4年目の動禅

   



 動禅は4年目に入る。3年坊主にならずに、何とか小学4年生になれる。1年目は形を覚えた。2年目は形を忘れた。つまり小脳化した。3年目は正しい動きを心掛けた。そして4年目の目標は動禅の心境の深まりではないかと思っている。

 心境の深まりとすこし遠慮勝ちに書いたのだが、4年目は禅定を目指すと言うことになる。無念無想の状態で動禅を行うと言うことだ。それが出来るというのではないが、そういう方角で動禅を行うということにしたい。1000日を過ぎたのだから、良いだろう。

 この3年間毎朝続けてきて、禅定の心がかすかに見え隠れしてきた。我慢して続けているのではなくなってきた。やりたくないなと言う日が無いわけではないが、やりたいなと言う気持ちも出てきた。これは自分自身意外な気がしている。日々続けてゆくことはなかなか苦しいことだ。

 人間歳をとると辛抱強くなる。例えば痛さに対しても昔寄りは大分強くなった。我慢が効くようになったというより、鈍くなってきたようだ。毎朝の動禅が辛抱できないというような活力が失われて、なんとなく続けられるようになった。ブログが続けられるのと同じように、動禅も気持ちよく続けられるようだ。

 動禅の目標とする禅定。つまり禅における空の心境。無念無想の状態での動禅。そういう状態をわずかでも味わえる静かな気持ちで動禅を行いたい。心のという可能の状態をどのように、無に定めるか。ここを4年目の課題にしたい。無の心境を目標に出来るところまで来たと思えば感無量。

 動禅の中でも立禅が重要である。立禅での心境を、動禅全体に広げて行ければと思っている。動禅をやると、出来なかった動きが出来るようになることがある。日々続けるというのは不思議なことで、100回では出来ないことが、200回目で出来るようになることがある。

 今も足を上げる動作のときにぐらぐらゆれる。眼を閉じてゆっくりと行うので、かなり困難な動きになる。それでも出来る日もある。たまに出来ると希望が在るような気になる。歳をとって衰えて前で着たことが出来なくなる日も来るのだろうが、まだすこしづつ進歩している。

 動作でも以前よりは良くなるのであれば、禅定についても少しは進むかも知れないと思うようになった。私のような人間には最後まで縁のない世界なのではないかと思っていたのだが、最近もしかしたらという気配を感じるようになった。

 まず、心の状態を味わうようにしている。心を感じるようにしている。思考を働かせないで、静かな状態に心が溶け込むようにしている。その感じを味わうようにしている。呼吸を数えるというのもあるのだが、それよりも状態を感じてみることに集中した方が良いようだ。

 呼吸は重要である。心臓などの臓器の活動も重要ではあるが、自分で高められる機能という意味でも呼吸を大切にすべきだ。運動はすべて呼吸の増進であると考えて間違いが無い。自己流の動禅でも呼吸機能を高めると言うことで、運動のやり方を考えている。

 一般に太極拳では口を閉じて呼吸をしなさい、と書かれているものが多いが、それにこだわらない方が良い。口を開けて呼吸をした方が良い場合も沢山ある。要するに呼吸を強く長く出来るように運動が出来れば良い。口を開けた方が良い場面と閉じた方が良い場面が出てくる。

 個々の動きに相応しい呼吸の仕方があるのだが、これは人によって違うはずだ。例えば私の場合、スワイショウは口を開けて呼吸をする。その方が呼吸を強めると思えるからだ。身体も呼吸もその方が楽だ。片方に腕を振るときに吸気を行い、反対に腕を振るときに呼気を行う。

 こうしたことはどの運動にもある、呼吸をどのようにするかで、動きの質が変わってくる。太極拳ではすべての動きに呼吸がの仕方が決められている。ところがまだ私にはそれに合せるだけの力が無い。自分の呼吸で自由に今は行っている。これではだめだと言うことは分かる。

 いつかは正しい呼吸で動けるようになりたいとは思っている。何千年の歴史の中で、呼吸の在り方も決まったはずだ。それに意味が無いはずがない。しかし、今のところ自分の呼吸でやらないと、とても太極拳を行うことが出来ない。いつかはそこまでやりたいが、まだまだ課程である。

 その点では八段錦はおおよそ呼吸が定まってきた。八段錦はすべての動きが呼吸強化の為の動きと言えるものだから、良い深い呼吸で行わなければならない。吸うべき動き、吐くべき動きすべてが定まっている。誠に良く出来たもの八段錦である。

 それでもかなり動きも呼吸法も自分流に変えている。何故、こうしたことをしたかと言えば、八段錦にも流派なのか、伝統なのか、実に様々な動きがある。そうした動きを参考にしながら、自分に一番合っている八段錦に変更した。

 形が定まり、1年ぐらいが経過しているが、もう動くことはない。そして呼吸の仕方で一番違うのは、吸気呼気共に吐ききるために最後は口を細めて行う。口を細めると、気管支が閉じないのだ。気管支が閉じてきて呼吸が終わるのを、口を細め気管支を広げたまま最後まで呼吸を行う。

 そして、注意しているのが、呼吸を止めている状態である。どのように呼吸を止めるかを意識して確かめている。止めることが呼吸で一番難しいところかも知れない。無理なく上手く止めることが、動禅では重要になる。吸い込んで止める場面と、吐ききって止める場面がある。どのくらい止めていられるの化を意識している。

 呼吸に気持ちを集中してゆくと言うことも禅定に近づく方法になる。立禅であ自分が理想とする呼吸を行う。腹式でも反腹式でもかまわない。静かに呼吸に意識を集中してゆく。そのことで雑念が湧くことが防げる。呼吸も意識しないところまで行くべきだろうが、先ずは呼吸に集中するところからだ。

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