どこでも通用するイネ作り技術はある。

   


 
 田んぼは一枚一枚違うから、一般的な稲作技術を語ることは出来ない。このように話す人がいる。そんなことは無い。必ず共通する稲作の基本となる技術はある。それを見付けるのは至難の業だとは思うが、無いわけではない。
 様々な条件下で稲作を行ってきた。その経験に基づき、イネ作りには基本的な技術は存在すると確信できる。特に石垣島という、小田原とは相当に違う稲作を始めて見て、そのことが確信できるようになった。

 基本技術を理解した上で、それぞれに田んぼで応用してゆくことが、イネ作り技術である。稲作技術は基本技術である。まずイネという植物の作物としての性質を把握すること。そして、土壌や気候や水の条件という変化要素を加味してゆく。

 この総合技術がが稲作技術となる。従来の農家であれば、同じ田んぼでやっていればことがすむので、あえて違う田んぼでの稲作という一般論を考える必要が無かっただけである。そのために、様々な自然農法が再現性がないと言うことになった。

 イネの病害虫は関東地方でも、石垣島でもほぼ同じである。稲の生育の段階はやはり、同じである。少し早いという程度である。これほど違う気候。土壌環境の中で、基本技術をどのように応用するかである。有機農業である稲葉式イネ作り法は、ネパールでも日本全国どこでも通用している。

 よく、福岡自然農法は福岡さん以外には出来ないと言うことを言う人がいる。まったくそんなことは無い。福岡さんは自分のやり方を、技術にしなかっただけである。技術とは誰がやっても同じに再現される方法のことだ。福岡自然農法が他の人には再現出来ないのは、福岡さんの田んぼから生み出された特殊解であり、一般化するには複雑すぎる技術の為なのだろう。

 野菜の叢生栽培というものがある。あたかもすべての作物に総生栽培が可能というように読み取っては成らない。出来る野菜と出来ない野菜がある。もし総生栽培で玉ねぎが可能だという人がいたら、その農業としての実践例を教えて貰いたい。無いはずである。

 植物には同じ植物だけの極相の状態を好むものもある。遷移の過程の植物のように様々な植物と共生状態を好む植物がある。作物によってそれに相応しい最善の方法がある。最善を尽くすことが食糧自給の基本姿勢である。自給農業だから、適度に取れれば良いというのでは、自然に対して申し訳ないことをしていることになる。

 農業という条件は、最小限のエネルギー投入で、最大限の成果を得るものである。どれほど素晴らしい技術であったとしても、投下するものが余りに大きすぎれば、農業としては無意味なものになる。自然栽培の中にはその点で農業とは言えないような仕組みもあり得る。

 IT農業とか、土から離れた工場農業など、地球の崩壊に手を貸しているようなものではないだろうか。気候環境、土壌環境に応じて食料生産をする。その食料生産量に従ってその土地に暮らす。これが人類の健全な姿だ。

 自然栽培が一番優れていて、次に有機農業があるというような思い込みを持たれている人がいる。それは偏見であって、一般に食べ物に対するこだわりの強い人の思い込みであることがままある。そもそも、無農薬栽培であると説明があったとしても、その生産法の全貌は何も示されているわけでは無い。

 その点JAS有機基準は全貌が表現されている。これは最低限の守らなければならない基準と言うことになる。ただし、この基準が日本の有機農業の展開の芽を摘んでいるのも事実だ。小さな農家にはこの基準の認定を受けて農業を行うことは出来ないのだ。認定料が高く、しかも書類提出等の手続きが面倒すぎる。

 だから、この基準は守るべき最低限の約束事であるととらえれば良い。その上で、どのような農業技術を構築するかである。本来であれば、食料である生産物を検査する。しかし、それが出来ないために生産法を基準にしているだけだ。

 重要なことは健全な作物が作られることにある。枯れかかった有機基準適合の農業の野菜が、良い野菜などとは言えないのだ。もし、様々な農法の作物を比較して順位を付けるのであれば、その成果物自体を比較してみなければ、結果は出ない。

 例えばそれが稲作であれば、良いお米はその種子保存が優れているはずである。何年間保存して、発芽する力があるかが重要だと思う。農薬を使おうが、化学肥料を使おうが、一番長く発芽できればそれが優れているお米である。

 発芽保存性に於いて、一般に言われている結果が、自然農法で作られたお米が一番長く発芽能力を保ったと言うことである。農薬や化学肥料を多投入して作られたお米は保存性が低いと言うことになっている。しかし、それは作物ごとに本当は違うことになる。

 自分が食べる食料であれば、一般論など無駄なことになる。これならより安全な食料であると言う判断力が必要になる。それが一番分かる為には自分で作ると言うことになる。自分で作ればどれほど良い方法であっても、手に負えない方法であれば、作物が出来ない。ここに農業技術が存在する。


 鶏卵も同じである。良い卵とはどれだけ保存して、雛になるかである。2ヶ月を超えても雛になるのであれば、素晴らしい卵である。どのような飼育をするかでそれは決まってくる。そもそも、雛には成らない無精卵であれば比較のしようも無い。

 石垣島でイネ作りに取り組んでいる。作っているのは「ひとめぼれ」である。このお米は有機農業で作るには難しいお米だと痛感している。これだけ暑い地域で、東北向きのお米を充分に作ることは出来ないことだと思う。3年間じっくりと石垣島のイネ作りを観察してそのように実感している。

 かなりの農薬を必要としているイネ作りになっている。病害虫が多いためである。予防的に農薬の使用をしている。篤農家になればなるほどその傾向が強くなる。そうしなければこのお米は、十二分には出来ないからである。

 ひとめぼれを亜熱帯気候下の8月田植えの二期作で、有機農業で作れるかである。まさにここまで違う条件下で作れるとすれば、有機農業技術として成立していると言えるだろう。自分がいままで学んできた技術が通用するかどうかである。

 自分が試されているようで、実に恐ろしい毎日ではあるが、通用しないはずが無いと考えている。もし通用しないのであれば、いままでの自給農業の探求の日々が嘘になる。特殊解に過ぎないと言うことになる。農業技術は特殊解では意味が無いのだ。

 一日も欠かさず、ほぼ一日中田んぼを見ている。見ていてどうなるものではないが、見ていると分かることがある。水牛が田んぼに入るので、田んぼに行かないわけには行かない。どのみちどこかで絵を描いているのだから、田んぼが見えるところで絵を描いている。

 最近水牛に返事をさせることが出来るようになった。水牛が鳴くと言うことが始めて分かった。もちろん鳴くのは当たり前のことだが、1頭だけでいるとまったく鳴かなかったのだ。先日、おじいさんが通りかかり、なんと水牛に呼びかけて返事をさせたのである。感動してしまった。

 それ以来毎日真似をして、練習をしている。ついに返事をさせることが出来たのである。たいては一体何を騒いでいるのだという顔をしているのだ。何でも繰り返していれば分かることがある。こういうことがおもしろくて、生きているのだ。

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」