生活を自分のものにする朝。
生活を自分のものにする必要がある。まず始まりの朝は重要な時間である。朝はやることを決めている。一番長く続けていることが、ブログを書くことである。15年続けている。2006年3月とブログにある。その前の15年は、朝記録日記を書いていた。
開墾生活に入ってから必要だったからである。山北に開墾生活に入ると、朝おきると、昨日やったことやその日にやることを整理しておかないと、実際の生活に何かと問題が起きた。それまでの40歳までの暮らしはある意味その日暮らしで良かった。
大豆の種をいつ蒔く。と言うようなことを、記録しておかないと農作業はどうにもならない。開墾生活では何かを見て参考にするというようなことはまるで無かった。自分のやったこととその結果だけが、翌年の参考になる。
自分というものを探求するための自給生活だった。自分の中にあるもので、どこまで生きる事ができるのかを確かめようというのだから、本もインターネットもなしである。手探りで探して行く。自分のやっていることを記録しておかなければ、次の年の生活の積み重ねにならない。
朝起きるとその開墾の記録を書き留める習慣が始まった。必要に迫られて始めたことだが、自分で作る10年日記のような体裁ものをルーズリーフノートを作った。去年の3月はと言うことでだんだんにたまって行くようにした。そうした分厚いルーズリーフが3冊ある。
それは絵を描く為の参考にもなることに気付いた。去年の塩山の桃は何月何日に描きに行って、桃の開花状態はどの程度で、どの当たりが良かったというような写生地の情報である。どこ神社の上の場所から描く場合、朝何時頃が光の状態が良いというようなことも、次のために参考に書いていた。
開墾日記の間に絵を描く様々な情報が貯まっていった。開墾生活から、写生のためのメモになり、徐々に絵を描く為にその時々考えたことも記録するようになった。絵を描く為には絵のことをどう考えるかを文章化することが重要だと思うようになった。
それが、ピースカフェという紙媒体の通信を止めることになり、ブログをやることになった。それが今も続けているブログになった。ルーズリーフノートより、便利で使い勝手が良い。公開していると言うことに抵抗がないわけでもないのだが、その辺は余り考えないことにした。
考えないことにしたのだけれど、公開していると言うことから、徐々に内容が変化をしてきたのだと思う、「小さな田んぼのイネ作り」はブログから作った本だ。ブログでイネ作りのことが徐々にたまり、精度が高まり、農業技術として本にまとめたく成った。
田植えをするときの苗の状態で一番良いものは、どんなものか。5,5葉期の両側に分ゲツのある苗が良い。と言うことに気付くためには繰返し試すことが必要だった。30年イネ作りをやったとしても、気付いたことを記録しながら、積み重ねて行かないと、誰でもが再現可能な技術には成らない。
農業はその人ひとりの技である事が多い。伺うと農業者はそれぞれに伝統工芸士と言って良いような、知恵の集積をもたれている。ある意味職人である。最近、田んぼを始めて石垣島の農業者の方から、様々なイネ作りの経験を伺う。実際にやってみて気付いてきた技だから石垣島で行うイネ作りの知恵宝庫になっている。
ただ残念なことに、伝統的な有機農業技術はやはり途絶えている。石垣島のイネ作り探求するためには、これから10年くらいの歳月は最低でも必要である。繰返しやってみなければ何も分かるはずが無い。沖縄のイネ作りが収量が低い原因には何かあるはずだ。
暑すぎるからお米の収量が低いと言うことではない。東南アジアでは反収600キロを超えている地域が多数出現している。但しインディカ米であるのは確かである。どんな品種が石垣島で作るべき品種なのかは、十分に検討しなければならない。
そのためには、これからブログで記録して行く必要がある。石垣島では「ひとめぼれ」が作られている。品種を変える必要があると思っている。それで一番参考になる方が、石垣島の熱帯農業研究所におられた福田善通 氏である。以前石垣島で研究発表をされていて、稲の研究データーを一番もたれているはずである。
この方のお名前などもブログに書いておいたので、確認して分かったことだ。ブログにあれこれ書き留めておくことが、何にもまして重要である。ブログを朝書くことが生活の質を高めるためには、とても重要なことになる。
以前は朝、一時間と考えて書いていたのだが、最近は二時間もかかっている。あれこれやりながら、と言うこともあるが、途中でいつの間にかネットサーフィンになっていることがよくある。今もアジアの米の反収調べをしていた。
絵もみている。目の前の壁に並べられている絵を見ながらブログを書いている。いつの間にか、絵のことに入って手が止まっている。朝に絵を見ていて、その日やるべき事に気付くことが多い。その絵の良さを発見することもあるし、ダメなところも分かることがある。
やるべきことが見えた絵を持って、写生地に出かけることになる。写生地で絵を前にしたときには、考えていたこととやることが違ってしまうこともよくあるのだが、ともかく方向は朝見ているときに考えていることが重要になる。絵のことを考えてとらわれていると、たちまちに時間が経過している。
そして、6時になれば動禅体操を始める。これも朝の重要なものになった。70歳になって始めて、そろそろ2年と言うことになるが、よく継続できたと思う。石垣島にいるときには、やらない日は一日もない。動きを工夫しながら、ほぼ形が出来てきた。
動禅体操は目をつぶってやることにしている。座禅では半眼という。眼を薄く開けているのだが、見ていないという状態。動禅は眼を開けていると眼に頼る。眼に頼ると身体の動きを眼と脳が調整しながら行うようだ。
目を閉じてしまえば、身体の持つ感覚だけで動くしか無い。体重の移動も眼に頼らないで、より身体の持つ感覚を目覚めさせる。目を閉じて行う動禅体操になり、禅の心境に少し近づいたような気がしている。朝一時間の動禅体操は自分の生活の基盤になってきた。