石垣島に移住して

   



 コロナを予知したかのように、石垣島に移住したことになった。コロナが起こることは10年前予告していたということはあった。絵を描きたい石垣島に三年前に移った。原発事故で石垣島に移住した人も居た。今回のコロナで石垣島に来た人もきっと居る。

 石垣島で知り合いになる大半の人が、石垣島に他所の地から来た人である。石垣島は合衆国と言われている。一〇〇年前から石垣島に住んでいる家系の人はたぶん半分も居ないのだろう。糸満からの漁師さん。明治の併合で琉球王朝を追われた人達。宮古島やそのほか多くの島から新天地を求め渡ってきた人々。米軍基地の接収に伴い、石垣に渡った人。

 そして、私のように引退して石垣島での暮らしを選択した人が今は比較的多くきている。若い農業移住者もいる。コロナをきっかけに都会での暮らしに限界を感じた人も多いのだろう。そして石垣島の若い人が、石垣島を離れて都会に出て行く。入れ替わりが起きている。

 都市生活の危うさというものを深刻なことと受け止めている。巨大都市は資本主義が生み出したものだ。人間はいつか都市から離れる事ができるのだろうか。資本主義が限界を言われながらも、資本主義は止められないままその矛盾を広げて行く。

 多くの人間が矛盾の極限化して行く社会のなかで、大きくなりすぎた都市から、離れることが出来ないまま、苦しみもがき続けてゆくような気がする。暮らしを失う都市の持つ複雑怪奇な魅力は抗しがたいものがある。新緑の緑を見て吐き気をもようす新人類。

 人間の混沌の渦が都市というものに流れ込んでいる。都市生活者でなければ人間の絵は描けないのかもしれない。パリで印象派が生まれたように。学生の頃は金沢に暮らしたわけだが、やはり金沢という場所に相応し形での、人間の集まりの渦が濃密に生じていた。人間は場というもののに応じて誕生する事を実感する。

 学生時代を金沢という規模の都市で暮らせたことは、自分にはとても良かったことだと思っている。東京で高校生活をしていた。東京から、離れることが必要だと考えた。良い選択だったと思っている。それは高校時代の友人の東京で大学生活と比べて見て、濃密に自分と言うもののを探る大学生活を送れたと思うからだ。

 学生の頃も絵を描き続けていた。お寺から離れて、絵を描くこと以外に自分というものを確立する場がなかった。大学に行くときには寺子屋の研究と言うことを考えていた。自分が育った山寺である、向昌院も江戸時代には寺子屋があったと言うことである。

 あんな山の中の一軒家のような寺で、どんな教育が行われていたのかと思う。江戸時代の農家の子供が、学ぶと言うことをどのように考えていたのだろうか。そういう学問をしてみたいと思い大学に行った。私の高校時代は大学闘争の時代だった。高校でも学校へ抗議して、授業のボイコットなどやた。だからそんなことを考えたような気がする。

 大学に入ったが、大学は閉鎖されていた。その中で学問をすると言うことより、絵を描くと言うことに引きづり込まれていった。地道に学問をする努力ができなかったと言うこともある。同時に絵を描くという面白さにのめり込んだ。

 それは金沢という都市の影響なのかもしれない。金沢には美術大学もあり多くの人と知り合いになった。街全体が美術の空気が満ちていた。あの頃の金沢ほど、生活の近い場所に美術が存在した街は無かったかもしれない。兼六園の中を通り、金沢城にある大学に通っていた。そのうち大学のなかにあった元軍隊の馬小屋の中に暮らすようになった。

 伝統文化としての陶芸や漆芸の美術も身近にある。沢山の画廊ありと沢山の絵描きらしき人がいた。美術展もひっきりなしに行われていた。そんな人達と接触しているうちに、いつのまにか絵を描くことで自分というものを確認し主張できるような気がしたのだろう。

 石垣島に来たという話だった。人は暮らす場所で作られると言うことだとおもう。石垣島に来て、一人で絵を煮詰める最後の30年にしようと考えた。そのくらい無ければ、自分の絵に納得がいかない不十分を感じたからだ。それを今続けて3年目である。

 70歳にも成れば、人から受けるものより、後は自分自身を探ろうと考えた。そして、石垣島に来てやや落ち着いたと思う頃に、コロナ感染が世界中で広がった。世界が変われるかどうかが今この瞬間問われている。政府の優柔不断な態度を見ていると、変われないだろうと思える。

 悲惨なことが次々に襲来する時代に入るのだろう。少なくとも、大きな格差がうまれと階級と呼んだ方が良いような、人間を能力差別する時代になる。上級能力階級とそれ以外。資本主義社会が資本家と労働者を分けたように、この社会に適合する能力の高いものが、不要不急の使えない能力の人間を操作する時代。

 一次産業の時代であれば、体力の優れた人でもせいぜい2対1ぐらいである。それがハイテク時代で1対0の能力差の時代であろう。超能力者のおこぼれに預かるような情けない時代が待っているようだ。富裕層と貧困層の階級の固定化。

 都市というものはさらに巨大化して
富裕層の支配する社会である。一方都市以外にはそれ以外の不要不急の自由が存在する社会が生まれるのかもしれない。中国では環境を守ることで豊かな暮らしになる。こういうキャンペーンが行われている。地方が豊かになるためには環境しか無いと言うことだ。中国人には先が見えている。

 地方の価値は環境を守り、美し場所になれば、都市生活者が観光に来てくれる。都市生活はますます、コンクリートの中の暮らしになる。自然環境の良い場所でゆっくりしたくなると言うことだ。地方は環境を美しく保ち、観光業に向かうべきと言う考え。

 石垣島も大きな流れでは観光業を中心とする産業の社会を眼ざす以外にないのだろう。そのためには美しい環境を守ることが、ここに暮らす人すべての生活を守ることになる。中国では政府が推進しているキャンペーンだ。日本の地方は、未だにプチ東京の都市化を目指していて、地方の活路の方角が定まらないで居る。

 石垣島で自衛隊基地を誘致するようなことは、まさに島の未来を潰すことだと言うことを気付かない人が居る。それは都会の犠牲に石垣島をすると言うことなのだ。石垣島の美しい自然を破壊して、ゴルフ場を作ろうという人が居る。今更衰退するゴルフ場を考えるなど、時代錯誤だ。

 石垣島の未来の方角は石垣島の環境を美しく保てるかどうかにかかっている。JTB沖縄は石垣島のポンツーン(浮島)設置計画している。とんでもない話だ。何も無いから美しい海なのだ。人工島など石垣島に全く似合わない。そんな人はデズニーシーに行けば良いのだ。

 環境か開発かの選択は、明らかに環境を選択しなければ、石垣島の豊かな暮らしは来ない。何故、そうした中今更ながら開発を選択してしまうかと言えば、既得権益である。利権を形成した公共事業土建業は、次なる公共事業を糧として求める。

 すべてが問題というわけでは無いが、環境を破壊してしまう事業では、石垣島の観光資源を台無しにしてしまう。赤土が流出すれば、珊瑚礁は失われてしまう。大きな方角を美しい自然環境を第一にするという、共通価値観を持つことが石垣島の豊かな未来に繋がる。

 - 身辺雑記