菅総理大臣を許せない理由

   



 4回目の非常事態宣言の菅総理大臣記者会見では多くの人が、不愉快だったのではないかと思う。はぐらかしだけだったからだ。確かに政治家の聞かれた事を正面からは答えないという態度は、国会の答弁の常套手段ではある。しかし、この場面は意味が違うだろう。

 総理大臣が効果の上がらない4回目の緊急事態をどのように効果のあるものに出来るかの正念場ではないか。一世一代の真剣さで、国民と向かい合う命がけの場だ。ところが何という気力のなさか。どうはぐらかせば良いかという、無責任感満杯の記者会見であった。

 内心ヤケになっているように見えた。押しつけたアベ氏の顔が浮び腹が立つのかもしれない。仏頂面で、悪いのは私では無いと言う気分をにじませた態度では、コロナで生活が緊急事態になってしまった人にしてみれば、耐えがたい、より追い込まれる感じである。

 まず、3回目の非常事態宣言を早く止めた間違いは間違いとして認める。尾身会長や専門委員会の意見を無視したこともわびなければ始まらないだろう。もう少し緊急事態を長くしていれば、今頃は緊急事態を脱した可能性がある。そしてオリンピックを迎えられたかもしれない。

 菅政権は判断力を失っている。オリンピックを観客を入れてやりたいというのは誰しも思うところだろう。しかし、それをすれば感染が広がるというのも、だれしも思うところだ。そして、飲み屋が酒を出すな、オリンピックは一万人では、どう考えても整合性が無いのだ。

 国民の多くは自粛生活で人間が壊れ掛かっている。もう1年半が経った。我慢の限界を超えたのだ。しかも、若い人にはそもそも病気に対する不安がほとんど無い。感染するのも、ワクチンやるのも結果的に考えれば大差ないというような気持ちだろう。

 ワクチンの副作用と、感染して無症状なら、どちらにしても変わらない。それなら出歩いて感染したら感染したときのことさ。こんな判断をしている若い人も多いのかもしれない。問題はワクチン免疫なら他人に感染させないが、ウイルス感染なら他人に感染させるという違いだ。

 20歳の人が副作用のリスクと、感染して悪化するリスクと、どの低度さがあるのだろう。明らかにワクチン副作用の方がリスクは小さい。しかし、ワクチンは良かれと思い、やった能動的な結果である。感染は止むえず向こうからくる受動的なものである。若い人の中に自分のことだけになっている人がいるのも、無理は無いことかもしれない。

 医療の逼迫度合いは改善されていると口にした。そんなこと言われたら医療関係者は耐えがたく感じるのではないか。死亡者や重症者の数を見れば、相変わらず大変なことだと思える。数字的に改善されたのは病院の受け入れ体制が、いくらか増え年寄のワクチンが進んだからだ。それだってほかにしわ寄せがいっているに違いない。

 なんとしても3回目の非常事態宣言を止めたのが早すぎたのだ。菅氏にはこの点の反省が無い。オリンピックを観客を入れて無理矢理開催したかったので、間違った判断で非常事態宣言を止めてしまった。その結果尾身会長が予測したとおり、そのまま感染者数の増加に転じ、ついにオリンピック直前で4回目の非常事態宣言になったのだ。

 こうなることは日本国民の大半の人が、普通に予測したことだっただけに、政府のオリンピック予断が情けない。もちろん同じことをこのブログにも書いた。菅氏は自分の政権の延命のために、都議選に勝ちたい思いもあったのだろう。大きな判断の間違いをしたのだ。こうして、菅氏は間違えばかり続けている。

 菅氏は能力のない人とは思えない。要するに人望が無い人なのだ。菅氏のためを思い、本気で進言をする人がひとりもいない人になった。それは人事で人を操り続けた人のなれの果ての姿ではないのか。自分の立場を省みず、本気で日本のことを考えるような人は、周囲にはひとりもいなくなった。

 総理大臣という役割は自分の能力が高いと言うだけで無く、どれだけ能力の高い人を周囲に集められるかだろう。もう泥船である菅政権のために本気で貢献しようなどと言う人は、居ないはずだ。コロナで一儲けしたいというような人だけが近づいているのだろう。

 ひどい時代である。コロナで大変なことは世界中同じなのだが、日本では政府の愚かな対応に苦しめられている。政府のひどさは誠実さが無いところだ。政府が適格な対応をしているのであれば、自粛も我慢も続くが、政府がやることとがデタラメであれば、やっちゃ居られない。

 石垣市長の中山氏はパンディミックの最中に、接待を伴う飲食店で夜中まで宴会をしていた。 こんな市長がいくら夜中まで酒を飲まないようになどと言っても、まともに聞く人は居ないだろう。 まずおまえがやれ、ということになる。 上に立つ者はそれだけの覚悟が居るのだ。

  政府のオリンピック対応は全くデタラメである。 アベ前総理大臣はオリンピックに反対する人は反日的であると発言している。 私から見れば、この状況でオリンピックを開催する人こそ、日本潰しでは無いかと思える。 人それぞれであるが、反日のレッテル張りをするのが、ネトウヨでは無く、前総理大臣と言う国に日本は成ってしまったのだ
。 ここまできても自民党を支持するのか。 まるで、アメリカのトランプ支持者のようだ。

  こんな国に暮らしていると、嫌なことばかり続く。 しかし、政府がだめでも国民はみんなで協力して行く必要がある。 医療関係者の方々の頑張りを見ると、へこたれては居られないと思う。 感謝の気持ちが湧いてくると、元気をもらえる。

  子供達のマスク姿を見ると、実に辛い。 子供にとって最悪の状況である。 互いの顔がよく見れない状況が長く続けば、人間という者の認識がおかしくなるかと思う。 互いの表情を判断する能力は、子供時代に身につけるものだ。 コロナで失われる様々なものがあるのだろう。

  どうすれば、こんな時代に人間らしく生きられるのかである。 人間が随分優しくなってきている。 優しいことは良いのだが、耐える力が弱くなっているようにも見える。 ただ、医療関係者の頑張りに励まされるように、ひとりの頑張りは、ひとりで終わることは無いと思っている。

  辛いときにこそ人のために頑張ることだ。 自分が行き詰まるとどうしても他人のことなど眼に入らない。 自分の世界の暗闇に追い込まれる。 私のような脳天気でも、若い頃には辛い日々があった。 福島原発事故も作物が放射能汚染され辛かった。 それでも何とか乗り切るしか無い。

 - Peace Cafe