中国覇権主義と日本の関係

   



 日本人と中国人の一番の違いは、中国人には西洋崇拝が無いというところだろう。日本人も誇り高い民族ではあるが、外から来るものを吟味せずに、へんに崇拝してしまうところがある。それが明治維新が間違った方向に進み、戦争に敗れる大失敗をした原因だろう。

 一方お隣の中国は商売商売と、儲かるか儲からないかが生活の隅々まで行き渡る。中華思想は商人的思想なのではないかと思える。どこか国家そのものが営業戦略を感じる。習近平共産党一〇〇年大会が、まるで北朝鮮かと見誤るほど似ていたことに、驚くばかりであった。何故こんなに中国人が矮小化してしまったのだろうか。

 私の知っている中国人ひとりひとりは、独裁政権に従うような人には思えないのだ。自立心が強く、自我が強い。権力に反発する気持ちも強い。階層差も大きいのだが、優秀な人の中には権力に従うことに良しとしない志の高い人も沢山いる。

 日本人と比べて、個人の自立が強い。政府を利用しても、利用されるようなことは無いと思っていた。何故、まるで北朝鮮の抑圧された国民のように成ってしまったのか不思議で成らない。天安門事件以来中国人は変わってしまったのだろうか。変わった振りをしていると考えている。

 紅衛兵を率いて毛沢東が復権した時代も一辺倒の空気にあった、内在していた反権力的な方向は、建前としても習近平政権には見当たらない。従っていれば、豊かになれる。コロナも中国だけが克服したと、自信を誇っている。

 たしかに、世界でマスクを付けないで大集会が開催できる国は中国だけだろう。中国武漢でコロナが始まったことも、誰もが知っている。中国の中にある混沌のようなものは、実に奥が深い。どれほど中国が統制を誇るにしても、次のウイルスも中国から始まると思っている。

 中国がコロナを克服できたのは、過去に弱毒のコロナがなんども流行しているからだろう。様々な形で流行したことがあるに違いない。日本をはじめ東アジアの国もコロナの流行が過去にあったと思われる。中国はさらに濃厚に広く感染した。コロナに簡単には感染しない免疫が確保されていると想像される。

 鳥インフルエンザの流行中の中国の養鶏業の実態を見せて貰った。その経験を通して、必ず中国から次のウイルスが起こると考えるようになった。大規模畜産の危機を訴えた。今でも、新しいウイルスの出現と大規模畜産は関係していると考えている。今回のコロナも、ミンク養殖を調べるべきだと思っている。

 明確な根拠も無いし、何か証拠のようなものを持っているわけでは無い。推測のみである。しかし、ミンクがコロナに感染することは分かっている。デンマークではすべてのミンク養殖場が淘汰された。ミンクは毛皮を利用するための養殖である。

 中国でミンクが劣悪な環境で、大量飼育されているに違いない。北海道のミンク養殖場から推測していることだが。この中にコロナウイルスが入ると、たちまちに何万回もの感染の連鎖が起こる。最近やっと一般に認められたように、感染の連鎖からウイルスの変異が起こる。つまり、大規模養殖場では変異ウイルスが出現する。

 この変異ウイルスが、人間に感染するウイルスへの変異になる可能性がある。鳥インフルエンザで起きたこともこれに近い事と思われる。豚の中でも同様なことが起きて、新しいインフルエンザウイルスが登場する。しかし、何故かウイルス学では未知の野生動物ばかりが注目されている。何か私の推測に問題なところがあるのだろうか。大規模畜産業者はこの問題に真剣に取り組むべきだ。報道には是非調査報道をして貰いたい案件である。

 中国の現状はまるで大規模養鶏場のケージの中に入れられたニワトリのように見える。人間の幸せとはほど遠いものである。今は豊かになる実感があるから、つまりいつでもエサは与えられるから、幸せを感じているのだろうが、檻に入れられた幸せはいつまで続くものではない。そのことを中国人は薄々感じている。

 コロナが中国から始まったことは、何か共産党一〇〇年大会が、象徴している。今中国が向かうところは何か大きな間違えがあるのではないだろうか。それはお隣の国の話である。今は日本自身の間違えを考えなければならないのだろう。

 日本人の外から来るものを憧れて見れることはすばらしい資質ということなのだが、どこかそれを恥として、無理矢理日本教になってしまうところがまずい。脱亜入欧と必死になりながら、明治日本帝国主義の建設と言うことになってしまった。この冷静さのない、不均衡がまずい。アベ鵺政権の茶番は過去の失敗を繰り返したに過ぎない。

 人から影響を受けることは良いことである。それを恥とするところがまずかったのだ。どの民族でもよそからの影響を排除し始める姿こそ、衰退の始まりである。今こそ日本は何故日本が後進国化してしまったのかを見つめなければならない。

 遅れ始めて成功体験にすがりつくようになったからだと思う。今更明治帝国主義憲法を持ち出す自民党の愚かさは目に余る。明治の政治家の幼稚さが今の自民党に見える。日本は変わらなければならない。方角は豊かな国土に根ざした、堅実な自給国家である。

 中国も眠れる時代を長く経験して、やっと最近目覚めたのだろう。私が最初に中国に行ったときと現在を比べるとこの30年の中国人の変化は目を見張るものがある。同じ人達とは思えないほどである。日本人が経験した明治維新以降の100年間を,一気に駆け抜けたような感じだ。

 このことは本来であれば近隣国としては大いに有り難いことであるはずだ。中国人がまさか今のように了見が狭くなるとは思いもしなかった。経済というものに気を取られ過ぎると、大切な国の倫理を失うもののようだ。もう少しゆっくりとした時間が必要なのかもしれない。

 日本ほど恵まれた国土の国は少ないと思う。島国である。多様な気候であり、災害多発地帯ではあるが、温暖で適度の雨量がある国。伝統文化が豊かに充実して育まれた国。稲作技術一つでも江戸時代に作り上げられたものは、究極の循環農業と言えるものだ。

 これだけの豊かな国土と豊かな海に囲まれた国は他にはない。人口が少し多くなりすぎたようだが、遠からず8000万人以下になるだろう。そのくらいになれば、充分自立できる環境にある。他と比べることなく、品格のある文化国家になりたいものだ。

 そのためには先ずは食糧自給できる国作りである。感染症対策では日本の安全保障が全く機能していなかったことが分かった。次に来る食糧不足時代への供えも、全く失われているのが現在の農業政策である。あの国際競争力のある農業の本質がいかに国の食料安全保障の理念から、外れているかを考える必要がある。

 企業の経済を優先する余り、感染症でも食料でも全く軽視している。そして安全保障と言えば、軍事力だと旧態依然として考えている。世界情勢の現状はむしろ経済戦争である。軍事力はあくまで使えない威力である。脅しとしての効果である。

 - 身辺雑記