水牛の世話をして

   


 水牛の世話をすることに成った。思いもしないことが成り行きでやってきた。動物好きとしては天恵である。と言っても一ヶ月少しの間のことだ。それは緊張する体験である。長くニワトリを飼ってきたので、生き物を飼育すると言うことにはそれなりの経験がある。

 この機会に水牛と真剣に関わるつもりはある。水牛がどういう動物か理解できるところまで観察したい。貴重な機会を充分に生かそうと思う。生き物を飼うと言うことは自分が学ぶと言うことである。思い出すと、顔を見るまでは心配で仕方がない。こんな大きな動物を飼った経験は無い。放し飼いできるのであれば良いのだが、つないでおかなければならない条件である。

 いつか放牧出来る環境を作りたいものだ。昔の石垣島では田んぼの隅にある、湿地のようなところが残されていて、水牛を飼っておく場所になっていたらしい。水があり、木陰があり、草がある。そんな水牛が水牛らしく暮らせる場所があればと思う。

 つなぐ場所が難しい。まず日陰が無ければならない。ところが木下だとどうしても繋ぐ綱が絡んでしまい、動けなくなっている。といって、木陰にやっと届く場所に繋ぐのでは、大きな身体は日陰に入れない。林の中ではあちこちの木に綱が絡んでしまう。

  水やりの容器の置き場も難しい。どういう訳かときにひっくり返してしまう。綱が絡んでひっくり返ることもあるし、水の飲み方でひっくり返ることもあるようだ。丁度良い距離感の日陰の場所に置かなければだめだ。良い場所はあるのだが、そこは車が通るのでちょっと繋いではおけない。

 田んぼの代掻きに水牛を使うという話があったときは、水牛の世話をする部分に関しては、なんとなく他人事のように受け止めていた。トラックターを持ってないし、仕方がない。伝統農法を再現することは意味があるのだからと、覚悟を決めた。ところが、水牛を1ヶ月以上飼育すると言うことはまだ考えが足りなかった。

 水牛の方も困ったことになったと思っているだろう。なにしろ、1頭で人もまったく来ない場所に繋がれているのだ。心細く不安に違いないと思う。ほんらい水牛は群れで生活する生き物だ。しかも世話をしてくれる人間も、見ず知らずである。どうなることかと不安そうだ。

 そこでまずは不安を感じないようにして上げることだと思っている。できるだけ顔を出すことが第一である。朝8時に行って午前中は、一時間に一回は顔を見せる。そして水を持って行って変えてやる。絡んでいる木をすこしづつ切っている。

 エサはその当たりの草を食べている。牛の牧草が繁茂している場所があり、そこを使わせて貰っているので、生の牧草は充分にある。新しい牧草を食べられるようにすこしづつ場所を移動している。生の良い草があると言うことは、水牛には良いはずである。

 毎日糞をよく見ている。普通の牛の糞よりも乾燥気味で匂いもほとんど無い。糞の状態が良いようなら先ずは大丈夫だろうと思っている。川や、水田に入れると、糞をするようだ。下痢便になったらまずいだろうと想像している。今のところそういうことは無い。

 一日一回午後の暑い時間に1時間は水浴びをさせている。水牛なのだから、水浴びをしなければ、気分が悪いだろうと思っている。泥浴びをしたいだろうから、本島は田んぼに入れてやれば良いのだろうとおもう。ただ田んぼに入れると、田んぼで寝転がり深い穴を掘ってしまう。身体を深く沈めたいようだ。

 田んぼに入るか川に入れるかである。田んぼから出たら、水で洗ってやっていたが、泥が付いたままの方が良いようだ。川の水でも寝転がって身体を冷やしている。

 蚊やハエがきて嫌がるだろうと思うのだが、案外に虫は少ない場所である。水牛は身体に泥を塗って虫を防ぐらしい。その意味では泥は洗い落としてはいけないのかもしれない。それでも川で身体を洗ってやるときにはとてもおとなしくしていて、気分が良さそうである。



 そういうときに糞をしたり、おしっこをしたりする。エサもどういう訳か人が見ているときに草を食べ始める。餌を食べて何か表現しているらしいのだが、何が言いたいのかは分からない。歩かせていると、途中にある草も食べたがる。

 木の葉っぱもよく食べるが、食べたがる葉は限られてる。草もそうだが、自分で選ぶことが出来て、おかしな草を食べてしまう心配はない。人が近づくと日向の所まで出てきて、餌を食べている。不安が無くなり食べる気になるのかもしれない。

 6月28日に水牛がきたのだから、12日で二週間が経ったことになる。あと三週間田んぼに居て貰わないとならない。その間に水牛がどういう動物なのか、もっと知りたいと思う。田んぼに入れない日は川に一時間は居させるようにしている。川が好きで、自分から川の方に行きたがる。暑い間は水の中が快適かもしれない。水牛は暑いところの動物だけど、野生の水の中にいるのだろう。

 エサはだいた
い朝晩の涼しい時間によく食べるようだ。炎天下は嫌うが餌を食べるときには、日向にも出てくる。誰も居ないときにはだいたい寝転んでいるようだ。最近は顔を出すと、車の音を聞きつけて、林の奥から人が来たぞという顔で見ている。

 水牛は飼いやすい動物のようだ。預かった水牛の名前は「わかば」と言う。竹富島の水牛車で働いていたようだ。しかし、ちょっといじめられっ子で大勢の中では上手くゆかなかったらしい。そこで、石垣島の方で種付けをして預かっているらしい。



 先日生まれた水牛の子供である。生後10日目のユズマメッコを抱いている栗林さん。いつも水牛の世話をしている方だ。水牛の様子を見に来てくれた。みんなが水牛がどうしているのか心配なのだ。水牛が居る場所を見て、これは良い場所に繋がれていると喜んでくれた。

 今のところ問題は無いようだ。栗林さんも田んぼに参加してくれたので、時々様子を見てくれるだろうから、大分安心が出来る。この子供の水牛を見ると、魅了されてしまうかわいさである。水牛園を作りたくなるぐらいだ。水牛と与那国馬とヤギの居る家畜園。石垣島らしくて良い。

 - 自然養鶏