大麦からイネへの二毛作
今年の小田原の東田んぼでは、イネから麦の2毛作の2巡目に入っている。だんだん良くなっている。その昔私も2毛作を試みたのだが、出来なかった。余りの煩雑さに、頭の整理がつかなかった。イネを重視していたので、ついに麦は止めることになった。
そこを東さんは見事に乗り切っている。今回、麦から田んぼへに変わる所を一緒にかかわらせてもらったのだが、2日間で麦畑が、田んぼに変わっている。麦刈りを始めたのが、31日の午後である。そのままアラオコシ、畔づくり、水入れと、夕方までには終わらせた。
水を入れ始めて、翌朝には田んぼの均しを行った。トンボ均しだけで田植えをする予定である。そして、午前中は機械小屋下の大麦の刈り取りを行い、午後2時30分からもう一度トンボ均し、そして3時ごろから田植えを始めた。暗くなる前に田植えは終わった。
ほかでも田植えをしたり、大麦刈をしたりしながらの、作業だったから、それなりに大変だったはずなのだが、流れるように進んでいった。3人で進めたのだが、3人の息が合っていたという事が、手順よく進んだ原因だろう。
作業は午後の短時間の2日間である。1畝少しの狭い田んぼであるが、自給農の体験には理想的なものである。東さんは他にも広い田んぼや畑をやっているのだが、ここでは実験的な麦からイネの二毛作を試みている。
麦は6条大麦で収量は30キロあると思われるので、反収300キロである。これは周辺の農家の収量よりも多収しているという事である。有機農業でやれば、多収できるという一つのモデルになる。今度は田んぼに変わって山田錦を田植えした。さて何キロ採れるだろうか。
イネは一本うえで30㎝角で植えていったが、最後苗が不足しそうになったので、最後4畝は45cm間隔にした。分げつが変わるものかどうか。たぶん感覚が広ければそれだけ分げつ数で補ってくれると思うがどうだろうか。
ここで出来る山田錦は将来酒米を作る時の種籾の維持でもある。やはり良くできた株から種籾を残したいものだ。山田錦は多収できるお米である。倒さず畝取りした経験がある。粒張りが良いから、収量も多くなるのだろう。
自給の為の田んぼであれば、このイネから麦の2毛作が一番だと思う。一番というより当然こうでなければならなかったのだろう。小麦を作り、イネを作り、畔で大豆を作る。これで生活の基本が賄えることになる。これが自給農家の基本ではないだろうか。
今回苗作りは欠ノ上田んぼの苗床でやらせてもらった。そのことも成功した一つの要因である。別の所で苗作りが心配なく進んでいれば、麦刈りの手順や田んぼの準備が安心して出来る。子供の頃を思い出すと、苗床は庭にあった。水路が庭の中に曲がって入り、洗い場があり、苗床に続いていた。
庭先で観察をしながら苗は作り、麦が終わるのを待って、一気に田んぼに変えて、田植えをしたのではないだろうか。昔の2毛作の伝統農業はもう消えてしまっている。この形を研究することは大きな意味があると思う。
田植えの終わった田んぼである。ここは紐を張っての田植えだった。代掻きをしていないうえに、水が引いていないので、線をひくという事が出来ない土の状態であった。小さな1畝ぐらいの田んぼだが、3人で植えて1時間30分ぐらいだったと思う。苗は5葉期半、2分げつという理想的な生育状態である。
苗床1メートルに山田錦を播いたのだが、100グラム以下の種だったのだろう。最後行って苗が不足したので、45㎝間隔で植えた。植えてしまうともう度も同じに見える。この田んぼは水が相当に冷たい。冷たい水をなんとか回して入れている。
水を入れる量も極力減らして、水が冷えない様にしている。水は排水口から田植え後しばらくは排水しない。水位を保つだけ入水する。暑くなってから排水するように変える。一昨日迄あの見事に実った6条大麦の畑がもう思い出せないほどである。
イネは苗床で準備している。同時に麦も苗床で作って移植するという方法がある。これをやれば、栽培期間の調整は付けやすい。何かで読んだのだが、千葉の方で、麦の移植栽培で1トン取りの世界最高記録になる多収した人の話を読んだことがある。
今回この大麦で麦茶を作らせてもらいたいと思う。麦茶があれば石垣島の暑い夏を気持ちよく過ごせるのではないだろうか。暑いときは農の会の麦茶が一番である。この大麦を分けてもらいたいものだ。