石垣島の巨木伐採
首里城が燃えてしまい、今再建が進んでいる。本殿の再建のための材が沖縄各地から集められている。石垣市にも要請があり、崎枝の屋良部岳の奥にあるウラジロガシが切られることになっているらしい。果たしてこれは正しい選択なのだろうか。
前回、台湾の檜の巨木が大量に切られて、首里城は作られた。日本には檜の巨木などなかったのだ。そこには台湾の方々の日本に対する温かい心が込められていた。台湾人の暖かさの美談として語られてきた。その美談を裏切るかのように火事を起こしてしまったのだ。
形あるものはいつか滅びるという事は止む得ないことかもしれないが、今度の首里城をどのように再建するかは、新しい時代の文化財の考え方を取り入れる必要があるのだろう。世界自然遺産に選ばれたやんばるの森から巨木を切り出してよいものだろうか。ここは考えどころかとおもう。
首里城を再建することに反対する人は居ないだろう。問題は集成材でいいのかという事だろう。私の叔父笹村草家人は法隆寺の夢殿の再建にかかわったのだが、一部木の中が空洞の材を使うという話が出たそうだ。どんな材かわからないが、今でいう集成材のようなものかもしれない。その柱が外から見ても空洞なことがわかるとがっかりしていた。
過去の首里城を再建するという意味で、伝統技術を伝統的材料で行うという考えを尊重するべき、という考えは当然あるのだろう。むしろ、首里城再建に我が方の材を提供するという崇高な気持ちというものもある。
「国頭サバクイ」という木遣り唄である琉球古民謡がある。首里王城の正殿は、40~70年毎に改築される事になっていた。その建築用材の大木を、国頭村の山から切り出し、村の男衆の運びこみに唄われたのがこの唄。勇壮で喜びに満ちている。
両方の正しさがあるのだろう。「巨木は自然遺産として大切にすべきだ」「首里城を伝統文化の象徴として再建しよう」。どちらかが正しいというようなことではない。どちらの考えも正しさがあるのだと思う。この首里城再建の機会を伝統文化とか、自然保護とかを、市民全体の議論にして考えてみるべきだと思う。
この両者の議論を対立にしてはならない。両方が一つの正しい考え方なのだという前提で、どの道を選ぶことが良い選択になるのかである。確かに集積材に漆さえ塗れば、何も変わらないという感性の人もいる。しかし、伝統建築にかかわった人には、一目瞭然に違うものなのだ。
いずれにしても石垣市民が知らない間に巨木が切り出されるという事になってしまう事が一番悪い道である。行政はめんどくさいことを嫌う。それで事勿れになりがちである。そのことで市民参加が衰退してゆく。今はまだ良いかもしれないが、遠からず市民参加なしでは市の運営は出来なくなる。
シンポジュームを行うべきなのだろう。自然保護と伝統文化継承。議論を尽くすという事こそ大切である。問題があると隠して進めてしまう。そうした正面から問題に向かい合わない態度こそ、民主主義をないがしろにしていることになる。
民主主義は時間がかかる。決められない事すらある。しかし、その結果は議論に参加したものすべての責任となる。ウラジロガシを切ってしまう責任。首里城を集成材で作ってしまう責任。民主主義は議論を尽くした後に、進むからすべてが人ごとではなくなる。
市民が知らない間に独裁的に進められれば、素早く進むであろうが、行政という悪人を作り出し、市民が成長する機会を奪う事になる。むしろそのことが一番罪が重い。
第3の道はあるはずである。今複数の木が予定されているらしい。石垣市から1本だけにするという事もありうる。一番切りやすい周辺に影響しない木があるのであればそれを切る。もちろんこれは私の第3の道だが、それぞれが自分の意見を持ち、提案すべきだと思う。
そして、その自分の意見に対して責任を感じることだと思う。首里城は集成材が良いという人は何故それが良い選択であるかの意味を、未来の人たちに判断を仰がなければならない。もちろん巨木を切るべきという人はその考えの是非を未来の視点から、もう一度考えてみる必要があるだろう。