舟原溜池の整備

   



  舟原ため池 草刈り前の様子。この後綺麗に草刈りをした。

 小田原に戻り、早速作業をした。大麦畑の除草と溜池の草刈りである。久しぶりの農作業で気持ちが改まる所があった。健康体操をするより、農作業をする方が私の身体は求めているようだ。久しぶりに仲間と顔を合わせて話せたことが心の薬のようである。

 欠ノ上の下に新しく開いた1反5畝の田んぼはきれいにできていた。21日には水を通すことにした。水を通すためには水路の泥揚げと、水路の調整が必要である。先ずそこから始める。水を入れてどうなるか、去年まで荒れ地だったのだ。想像するだけでおもしろくて仕方がない。

 一番に、予測されることはなかなか水がたまらないだろうという事。そして、田んぼの均平がとれていないだろうという事。水がたまらないという事は新しい田んぼでは普通のことだ。普通田んぼという物は何十年も耕作することで出来上がってゆくものだ。

 4枚に分かれた田んぼ全体に水が回るためにはかなりの時間がかかるだろうという事がある。たくさんの穴が地面の表面にあることだろう。それを代かきをして塞ぐわけだが、初めての田んぼであればそう簡単に水がたまらないから、代掻きがまずできない。

 やり方としてはよほど大量の水を一気に入れることだが、今度の欠ノ下の田んぼはそういう事は無理だ。もう一つは大雨の時に代かきを行う。これは案外に上手く行く。家の脇に田んぼを作った時には、準備万端整えて雨を待った。雨が降り出して頃合いを見て、一気にありったけの水を入れて、代掻きをした。

 一度水がたまりさえすれば、案外に少量の水でも水は溜まっているものだ。これは小田原当たりの土の性質なのかもしれない。見た所石垣島の土であれば、いつだって代掻きをすれば水が漏れなくなりそうである。乾いたら今度は日干し煉瓦のようになる。土壌はそれぞれで違う。

 荒れ地から田んぼに戻するという最初の一年は手入れの連続と考えなければならない。場合によっては大きく陥没が起きたり、代掻きでトラックターが動けなくなったり、様々なことが予測される。注意深く手入れを続ける必要がある。

 今日からその新しい田んぼへの入水が始まる。又何が起きたかは書きたいと思う。水が田んぼの土に沁みてゆく様子ほど期待の膨らむ農作業はないだろう。これがやりたくて今回小田原に来たようなものだ。素晴らしい田んぼに仕上げるぞ。

 舟原溜池はきれいだった。小田原当たりの木々の美しさを良く表現している。新緑の色合い多様で微妙で、絶妙だ。石垣島に行き改めて関東周辺の春の色のすばらしさを感じる。紅葉のことを言う人もいるが、やはり新緑の方が上だろう。

 この春の木々の緑は絵を描きやすい。石垣の濃い緑に満ち溢れた色は絵にするのは難しい。しかし、この難しさに挑んでいる内に、そのことが絵の強さに繋がってきたような気がしている。淡い緑を甲府盆地で描いていてそのことを改めて感じた。

 草刈りは農の会の仲間がすぐ集まってくれて、何と1時間ほどで終わった。有難いことだ。こういう共同作業ができると元気が出る。みんなでやり切った気分ほど良いものはない。そして仕事が終わり、あれこれ世間話を聞かせてもらった。

 溜池には多分今日にはカキツバタが咲くのではないか。カキツバタの青は平安の優雅な青。田んぼの花カキツバタ。何とか根付かせようとしたのだが、ついに成功した。10本ぐらいの苗を植えたところから始めたのだが、今は100本を超えただろう。この勢いで行けば、来年は上の池の半分ぐらいが埋まるのではないだろうか。鼠算で増えている。

 来年は舟原溜池のカキツバタとして売り出せるのではないだろうか。花は人を呼ぶ。人が来てくれるようになれば、舟原溜池は残ってゆくだろう。そうすれば、舟原溜池という江戸時代初期の農業遺構が残ることになる。それは久野地域に人が増えた歴史でもある。これから生活という物が見直されてゆけば、農業遺構の価値はお城どころではなくなるはずだ。

 溜池の上には玉ねぎ会の畑と、ジャガイモの会の畑がある。これが実によくできていた。去年畑を整備した甲斐があった。きっとここを畑に戻したことを亡くなられた下田さんも喜んでくれていることだろう。下田さんのやられたことが生きてきている。

 こうして久野の耕作放棄地を農の会は切れな耕作地として管理を続けている。もう久野だけで5haぐらいはあるのではないだろうか。市民の力も馬鹿にならないものだ。25年してここまで力が付いたという事である。農の会方式はどこでも、誰でもできる。

 ところがなかなか他では聞かない。何故だろうかと思う。たぶん、資本主義社会の価値観と離れているからではないかと思う。できる人がやる。必要な人が貰う。こういう価値観は農の会でもいつでも覆されている。それでも幾人かの人が理解している。

 社会主義を理解できる人が、10人のうち一人いれば何とかなる。農の会の延べ人数が200人だとすれば、20人のために頑張れる人がいれば大丈夫なのだ。この世知辛い競争主
義社会の中で、人の為を貫くのは大変なことではあるが、それがその人を磨いて輝かせていると思う。



 タマネギの会では種から、タマネギ迄をついにやり遂げた。ちょっと自慢していいのではないだろうか。簡単そうに見えて、タマネギを有機農法で種から作れる力は、農家でも少ないはずだ。これがやれる力が農の会にはできたという事になる。



 ジャガイモは実は植え付けの時に居なかった。それで残念ながら諦めていた。ところがなんと、みんなで私の分まで植えてくれたのだ。実は感激してしまった。何という心暖かいことか。農の会を始めたことは間違いではなかった。
 


 

 - 地域