日本中にいる森喜朗の問題

   



 森氏が組織委員会の会長になったときから、失言をしてメチャクチャにすることを恐れるという意見は多かった。自分の内閣を日本は神の国だと発言して潰した総理大臣である。何しろ、支持率6%というほど人気のなかったと言う空前絶後の状況の経験者だったのだ。

 この人は一度辞めると言うことを決意したという嘘が広げられている。そしてそれを周りの人が止めたので辞めないのだという嘘である。あり得ないだろう。どこの誰が、この人を引き留めたいのだろうか。そんなことをすれば東京オリンピックを中止せざる得ないと言うことになる。それを分からない人が、組織委員会に居ると言うことなのだろうか。

 選手第一主義ではなかったのか。全くきれい事ばかりだ。選手が大事なら、万難を排してオリンピックを実現すること以外にないだろう。まさに災難の一番が森会長である。選手のために取り除いて上げるのが、組織委員会の仕事である。

 このまま森会長で東京オリンピックをやると言うことは、日本は旧態依然とした女性差別の国だと言うことを、世界に対して認めてしまうことになる。まさか、回りの忖度理事はそこまで世間知らずではないだろう。利害関係と言うことなのか。格好を付けて止められたので辞めないと言う噂を流しているだけのことなのか。

 確かに、森を持ち上げる代表的な人が維新の橋下徹氏である。橋下氏によると、オリンピックほど複雑な政治的調整が必要な事業をうまく進める事のできる人はいないという主張。何んという物事の進め方を知らない人かと思う。だから、大阪都は出来なかったわけだ。森氏のような人が進めなければならない状況を打破することこそがオリンピックには必要なのだろう。

 橋下氏はこう言うときにかならず、自分が知事だったときの経験によると、こんな偉そうな前書きを付ける。知事をやったことのない一般人には、その辺の難しいことは分からないだろうがと言いたいのだ。あきれた奴だ。

 こう言えば一見面倒な政治的な調整がありそうに見えるからだ。もし、そんな複雑怪奇な政治的な調整がなければ、出来ないようなくだらないオリンピックならば、辞めてしまえば良いだけだ。透明でわかりやすいオリンピックこそ平和の祭典である。

 オリンピックは別段難しいことでも何でもない。わざわざ難しくしようとする人がいるだけだ。便乗して一儲けしようと言う企業とか、自分の地域のプラスにしたいだけと言う行政とか、欲の突っ張った連中が、中を見えないようにしているのだ。それを一掃すれば良いだけのことだ。そんなものは政治調整でも何でもない。

 たしかに、女性差別を世界に向けて発信してしまうような会長では調整が難しい。森氏の行ったという政治的調整とは何を意味するというのだろう。アベ氏を黙らすとか、小池氏を抑えるとか。もしそんなことならやる必要もない。正しく進めば良いだけのことだ。

 何故過去に例のないほど、評判の悪い人を東京オリンピックの責任者にしなければならなかったかの原因は、自民党に対して、特にアベ内閣や小池氏に対して口がきける人が他にいなかったからである。日本における意志の決定は論理ではないと言うことだ。この機会にここを変えなければダメだろう。

 むしろそれがおかしいのだ。そういう進め方だから、裏での画策ばかりになるのだろう。妖しげなお金の使い方もしたのだろう。誘致に賄賂を使ったという話などどうなったのだろうか。うまく利権集団に割り振る差配もあるのだろう。つまり、物事の合理的な進め方を初めから否定しているから、森氏の政治力が登場するのだ。

 もし論理でこと進めるのであれば、会議に時間がかかるなど当たり前のことで、時間がかかることを良くないことだとするはずもない。日本の会議は参加者の意見を予測し、異論を出しそうな面倒な人を根回ししておくのが普通である。

 私などは常に面倒な人であったので、根回しがない場合はいつも会議を長引かせる人であった。秦野で行われた、共産党系の集会に何かの巡り合わせで出たことがある。その集会で議論された内容の政府批判は同感だった。しかし、突然その集会の決議声明が出てきて、これを持って政府に抗議しようとなった。

 ちょっと待ってくれ、いったいいつこの決議声明にある内容はいつ議論したのだ。この印刷物には全く触れてない内容まですでに書かれていて、しかも印刷済みである。と待ったをかけた。正しいものであれ、事前に決めて印刷までしてあるのでは、この集会の意味は何だったのだ。ここで話し合ってもいないことまで書かれている。

 結局私をなだめるのに、相当時間を費やした上に私のことだからなだめることにはならず、それでもどういうわけかその決議声明はそれでもそのまま出された。いったい民主主義はどこへ行ったのかと腹を立てて帰った。集会の参加者すべてが論理を捨てているのだ。しかし、私はそれくらい面倒くさい奴に過ぎない。

 会議なんてものはある程度、参加者の意見確認ができて根回しが終わってからやるのが古い日本式。結論が決まっていない理事会をやって、時間をかけて議論をするなんてけしからん。これが日本の行政が関わる会議の実体なのではないか。

 偉い人が読み上げる決定方針について雁首を並べて権威付けをするための会議。会議に参加して異議なしで進んだのだから、この偉い人の決定で何か起きても偉い人の責任ではなく会議に参加していた全員の問題。オリンピックがコウして準備されているというのだろう。

 だから、会議で話し合いを本気で行う気でいるような、女性は事前に調整しなければならないという主張だ。自分に意見を言うなどどういう了見だと思い込んでいるのだ。自由に会議で議論に参加しているなんて考える人がいること自体がおかしいだろうと口にしてしまった。これが日本社会の実態と言うこと。

 一人森氏の問題ではない。石垣市では住民投票など余計なことだと市長が主張している。そんなことをすれば、議会が軽視されることになると保守系の議員が主張している。森喜朗的進め方がまかり通るのは民主主義がいつまでも芽生えない証拠なのだろう。

 この問題は女性蔑視だけのことではなくなっている。すべての日本人の内なる問題でもある。自分の考えを持ち、どんな場面でも主張できる。こう言う日本人になるための問題ではないだろうか。それは決してクレーマーになると言うことではない。

 それは個人というものが自立すると言うことだろう。個人の自立は論理に裏付けられていなければならない。背景に思想の確立がなければならない。最近そういうことが、むしろ後退を始めている気がする。石垣市議会では自治基本条例など要らないという驚くべき後退である。

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