中川一政全文集

   



 中川一政全文集を購入した。中川一政氏の文章は絵を描く人の書いた文章の中で最も興味の湧くものである。私にとっては実用書と言うくらい、具体的な絵を書く方法が示されている。昔の実用書には趣味と実益と副題があったものだが、中川一政の文章は趣味にも、実益にも成らないことだけは確かだ。

 以前から何冊か単行書を読んでいたのだが、たまたまネットで全文集の揃いが出ていたので、あわてて購入した。他のことを調べているときに、突然、ネットのページにこの全文集が表示されたのだ。何で私の希望が分かるのだろうか。今の時代のネットは私の願いまで見透かされている。良く出来ていて、気味が悪いほどだ。

 購入したのはアトリエカーが出来たからである。アトリエカーにはいくらか本棚がある。ここに置けるので購入できたのだ。もう本棚が一杯であれほど捨ててきたのに、今更新しい本を買うという事はできない状況になっていた。よく分かっているので、捨てられない本の購入は我慢している。

 今回、読み終わっても捨てられない本を久しぶりに買ったことになる。読んでは破り捨てる読書法というものがある。文庫本などであれば、全部これでゆく。読んだところまでを剥がして破り捨ててしまう。本も薄く軽くなるし、この方が後々具合が良い。本には申し訳ないのだが、破り捨て読書で本が貯まらなくなった。

 中川一政全文集さすがに破り捨てられない。教えていただくのにそういうことは出来ない。早速アトリエカーに半分積み込んだ。ついつい絵を描かずに本を読んでいた。別段それでいいのだが。一巻から読み始めたのだが、一巻は以外に面白くない。二巻、もそれほどでもなく、3巻当たりからすこしづつ面白くなる。年代順に出来ているようで、文筆を目指している時代の作品はそれほどひかれなかった。

 絵も晩年になるに従ってすごいことになる。最終巻になると、どの文章も読み応えがある。味わいも深い。どうも文章も絵も同じことのようだ。若い頃は白樺派などの人と関係していたらしいが、白樺派らしい文章は書いていない。

 人に教えよう教えようとしている点がおかしいくらいだ。美術学校に行かなかったことに結構こだわっている気もする。美術学校に行かなかったのはゴッホだって、セザンヌだって同じことだ。時代を突き破る人は学校などでは教わらないでも突き破る。

 中川一政がアトリエを作ったときに、字の良い友人が一政画室と書いてくれたのだそうだ。その人は字を書くことに自信のある人で、一緒に同人誌をやるときに雑誌の題字を仲間が中川氏に頼んだのだそうだ。ところが面前で中川は字が下手だからダメだ。オレが書いてやると言って止めさせたと言うほどの人だ。

 中川氏の所に小学生からのはがきが来た。小学生の知り合いはいなのにおかしなことだと思ってよく読んでみると、なんと字のすばらしい友人のハガキだったそうだ。その人は若く死んでしまった。その人の遺文集の中の中川氏の文章である。

 その死んでしまった友人は中川氏を弟と呼んでいたそうだ。だから兄が字を指導してくれるのでは仕方がない。と書いている。その人は亡くなる前今度生まれ変わったら、絵描きになりたいと言った。それなら早く生まれて来てくれ、オレが弟にしてやり絵を教えてやると書いている。深い友情を感じる文章である。

 

 それをアトリエカーの中で読んだもので、その場にある水彩筆で、早速出画室と書いてみた。せっかくアトリエで読んでいるのだから、そう思って書いてみた。随分、真面目な字である。とても小学三年生の字には見えない。これがダメなところだ。そう思って絵の方を描き始めたら、なんと小学三年生の空になった。

 

 どうも今ひとつなので、もう一枚書いてみたら堅くなった。真面目な中学生の字になった。なるほど中川一政全文集は実用書だ。絵の方は文章の勢いがそのまま絵に来てくる。良いのやら悪いのやら分からない。でも本を読めるようなことは、実はほとんどない。描き始めて一息つくと12時なので帰る。もう何も出てこなくなり帰る。

 後半の文章になると、ずいぶんと影響を受けていると思えてきた。絵のことで私が考えていることが、そのまま書いてある。自分で考えたのでは無く、中川一政の絵を見ていて影響を受けている内に、考え方まで影響を受けたと言うことらしい。たぶん、そういうことだろう。

 絵はその人の考えで出来ているのだから、当然のことだとはおもう。それなら中川一政氏ほどの線が引けるかと言えば、そうはいかない。やはり及ばないわけだ。これも当然である。あと25年良くなって行けば麓ぐらいには到達できるかもしれない高い山だ。

 10冊の全集なのだが、あっという間に読み終わってしまった。絵を描かないで読み続けた日もあった。読み終わって思ったことは、井伏鱒二氏の方が文章はすごい。何度でも同じ文章が読みたくなる位魅力がある。中には写したくなるほどの文章さえある。それで今はまた、井伏鱒二全文集を載せてある。

 中川一政は画家である。文章も書くが、画家である。井伏鱒二は文筆家である。絵も描くが、文筆家である。二人とも両方が一流という人ではないようだ。当たり前のことなのか、むしろ不思議なことなのか。ちょっと分からないことになった。

 でもどうでも良いことかもしれない。中川一政の文集は絵画の実用書と言うことだけは確かだ。人の絵を見て、絵の具の色を言い当てたりしている。パレットに並べる色のことまで書いてある。それが又、私とはまるで違う色であるのにも驚かされた。
 
 実践家に見えるが、むしろ研究家と言うことだ。東洋の絵画や書の研究は相当にやっているようだ。あの線はそういう所から出てきていると言うことがよく分かった。研究の仕方がすばらしいとものまねにならないと言う勉強の仕方をしている。自分が在って学ぶと言うことの大事さを教えられた。

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