石垣島を選ぶ理由

   



 きっと日本に暮らす何百万人もの人が暮らす場所を変えようかと考えている気がする。コロナで暮らしをもう一度考え直しているのではないかと思う。もちろん大多数の人は簡単には移動はできないだろう。しがらみがある人、勤務先の関係。普通に暮らす人にとってはよほどのことである。

 それぞれの生き方である。ただ何度も場所を変えてきたものとして、石垣島を選んを理由を書きたい。生まれた場所は山梨県の藤垈部落の一軒家のお寺。そして東京の三軒茶屋で小学校。世田谷の松陰神社で中高時代。大学は金沢。そしてフランスで美術学校。戻って三軒茶屋で絵描きを目指す。そして丹沢山北の山中で開墾生活。その後小田原で養鶏業。そして、終の棲家として石垣島で今暮らしている。

 一カ所で一番長くいたのが、小田原の14年ほど。葛飾北斎は100回の引っ越しをしたと言うが、都内である。全く違う環境に移動して生きてきた。その年齢に相応しい場所を選んできた結果である。数えれば9回である。平均8年に一回となる。

 現在3年目の石垣島暮らしは小田原超えの15年以上のつもりである。これからである。石垣島で家を作るときも、設計の方に一番に言ったのは、家は死ぬまで持てば充分なので、100歳まで生きるつもりなので、30年の耐久性でお願いします、と言うことだった。

 残りの長くても30年の石垣での日々は絵を描くばかりである。この30年は集大成の30年のつもりである。人生には起承転結がある。25年づつとすれば、これからが結論を出す25年である。いままでやってきたこと、坊主になったこと、養鶏やイネ作りをやったことも絵を描く為と言ってもいい。

 絵を描く為に最も良い場所を選んだ末、石垣島と言うことになった。石垣島というと川平湾の景観が観光パンフレットには出てくるが、まだ描いたことがない。石垣島には現在20カ所以上の写生地があるが、川平湾はまだ描きたいと思ったことがない。

 選んだ石垣島は日本の里の風景なのだ。日本にはすばらしい里が、あちこちに残されている。どこも絵を描きに行ったことはあるが、確かにすばらしいのだが、そこに暮らそうなどとは思わなかった。理由はどこも保存され作られた感がある里だからだ。

 観光に竹富島に行くのは良いと思う。緩やかに流れる時間は他にはない。しかし、私にはテーマパークに見えるのだ。今現在の生活で出来た風景ではないのだ。だから竹富島は絵を描こうと思わなかった。

 人が美しく作り上げた庭や家屋では絵にならない。絵を描く気持ちにはとうていなれない。それは長野や能登の棚田であれ、一関市厳美町であれ同じことなのだ。見れば美しいのはわかるが、どうも絵を描きたい気持ちが湧いてこない。

 石垣島はごみだらけである。竹富島とはまるで違う。どうしようもない生活の場である。観光客がレンタカーからごみを放り投げて行く。コンビニで買った弁当やジュースの捨て場がないので放り投げるのだろう。農地であっても景観を意識して耕作されているような所はどこにもない。

 生活をするためにごちゃごちゃになりながら、農地が残されている。その残された農地が絵を描きたくなる農地なのだ。特に水田の面白さは他にはない。修学院離宮の棚田は確かに一つの理想世界である。しかし、その作られた世界を絵にするのは、観光案内図のようなものだ。描きたいとは思わない。

 この違いは絵を描く上で重要だと思っている。似顔絵とモナリザとの違い。モナリザは人間の存在というものの不思議に迫っている。風景を描くと言うことは風景の説明や案内しているわけではない。そこに惹かれて描く人間自体を、見ていると言うことの意味を探求している。

 人間が田んぼの近くに暮らすということは、江戸時代の天皇が想定した田んぼのある離宮という、日本人の理想の暮らしとは違う。どうしようもないものをはらみながら、人間は日々に必死に田んぼを開き生きてきたのである。この人間が生きるという田んぼを描きたい。それが石垣島の田んぼにはあるのだ。

 耕作地というものは人間が自然と折り合いを付けながら、切り開いたものである。いつでも自然に戻ろうとする力が働いている中で、耕作をしている。手入れされて維持される、自然と人間の暮らしとの関わりの姿である。

 悪く言われる代表的なものに特定外来植物というものがある。これは自然なようで、自然ではない違和感があるものだ。石垣島にも結構はびこっている。しかし、もう限界を超えてしまい諦めたのか、新しい調和を始めているようなものも多々ある。

 石垣島はある意味植物の混沌地帯である。農薬を使っている桃の花が美しく見えるわけがない。こういったことがある。美し見えない人もいるだろうし、それでも美しく見える人もある。絵は理想を描いているわけでは無い。

 ハブを駆除するためにマングースを導入したようなものである。孔雀が野生化してしまってもう当たり前のような顔をして歩いている。石垣島でビオトープを作りの自然観察をすれば、ごちゃ混ぜの世界が出現するだろう。このごちゃ混ぜ感が私には丁度だったのだ。人跡未踏の自然を描きたいなどとは全く思わない。人間を研究するのがアカデミーだそうだ。石垣島はいかにも人間が暮らす島なのだ。

 石垣島は観光業で生きて行かざる得ない。観光業を否定すれば、この島は1000人ぐらいの島になってしまうだろう。竹富島であればそれも良いが、スーパーから病院まで一応すべてのある場所としてはそういう訳にはいかない。だから、ホテルも、牧場も、ゴルフ場さえ、目をつぶるほかない。それをふくめて落としどころを探るのが石垣島の現実である。

 トラックターが入れるような田んぼにしなければ、農業と言うことでは放棄されて行く。軽トラがそばまで行けなければ、田んぼはこれからは作れない。もうそうなれば、イーハトブーではないというのだろうか。宮沢賢治はどう考えるだろうか。

 人間が暮らすと言うことは自然破壊であることには変わりはない。しかし、手入れの加減を見る。この枝は折った方が良いか。この草は抜いた方が良いか。いちいちに自然との関係性を受け止めて行くことが出来るかであろう。わたしの目には、石垣島の土壌の性質からできた冬水田んぼはすばらしい景観なのだ。自然保護だけの冬水田んぼはそれほど美しいとは思えないのだ。

 島の普通の暮らしが維持されるためにはゴルフ場を作ることが止むえないことであるなら、その赤土の流出をどのように抑えるかである。美しい沈殿池を作れないものだろうか。そうした混沌の総合されたものが石垣島の今の現実である。そしてそれを描いてみたいと感じている。
 

 - 石垣島