シナベニヤの水彩画マットを作った。

   


 1月13日石垣島で気温10度台を記録した。石垣島に来てからの最低気温であった。パフィオペデュラムが心配になる。いただいた木立ベコニアは今花が咲いているのだが、一晩で葉を垂らしてしまった。

 マットをベニヤ板で作った。家に帰ったら、マットに描きかけの絵を入れて、壁に掛けるようにしている。掛けておく絵が増えてきて、見ずらくなってきたからである。マットに入れると隣の絵の影響が和らぐ。この後どう進めるかが思いつきやすい。

 家のアトリエは絵を見るためのギャラりーである。動禅の道場でもあるわけだが、絵をただ眺めている時間が絵を描く時間より長い。思ったように描いていることもあれば、何でこんなことをしていたのかと思うこともある。何かに気づくこともあるが、家で描くことはしないで我慢している。明日の課題である。

 マットを切ってくれるような画材屋さんは石垣島には無い。そもそも画材屋さんは無い。と言っても小田原でも必要な画材は購入できなかった。マットはネットでマットを注文するというのもあるが、これはなかなか難しい。送料を考えると、馬鹿馬鹿しいような値段になる。その上に紙マットをむき出しで使っていたのではすぐ痛んでしまう。

 額に入れればいいというようなものだが、毎日額から出したり入れたりでは煩雑すぎる。色々考えた末にベニヤ板でマットを作ればどうかと言うことになった。ベニヤ板に和紙を貼れば、きれいなマットが出来るように思えた。むしろ紙マットより私の絵には合うかもしれない。

 問題はベニヤの中抜き加工である。自分でやるとしても10枚を予定しているので、相当に面倒くさい。そこでメークマンという石垣島の大きなホームセンターに頼みに行った。小田原では中抜きは頼めない。がもしかしたら石垣島ならやってくれるかもしれない。

 こう言う親切なことを石垣島ではやってくれるのだ。机の材料をお願いしたら、なんとカンナがけまでしてくれたことがある。シナベニヤを5枚購入した。それで10枚の中判全紙用のマットがとれる。その作業費を1枚250円でマットにしてくれた。画材屋さんでマットを頼むより加工費がはるかに安い。

 和紙を貼ろうかと考えて始めたことなのだが、案外絵を見るためだけなら、そのままでも使えそうである。シナベニヤの表面はきれいなものだから、当分はこのまま使ってみようと思う。和紙を張り込むのはいつでも出来ることである。和紙を張り込むと、雰囲気が出過ぎる可能性がある。

 このマットはそのまま手持ちの額に入れられる大きさになっている。ガラス額に入れると板の調子が少し強そうである。むしろこのマットに細い木の縁を付けて、額にするというのも良いかもしれない。ガラスを使わないと保存にはまずいのだろうが、絵を見るという意味ではそれでも悪くない。

 シナベニヤの額縁は白の半透明の塗料で塗装したらどうだろうか。水彩の柔らかい調子が生かされる額縁が作れるかもしれない。どうも水彩額というものは中途半端で納得できない。今使われている水彩用とされる額縁は版画用のものを流用したような感じしかしない。

 水彩画には水彩画向きの額縁があるはずだが、未だそういう物を見たことがない。この機会に工夫をして水彩額縁を考案するのも良いかもしれない。すべてを和紙で張り込むというのも考えられる。水彩の微妙な色調と、透明な複雑な色彩の重なりが、よく表われるような額縁でなければならない。

 今描いている絵はガラスを入れない方がきれいである。少し絵が変わったのかもしれない。以前の絵はガラスに入れた方が見やすかった。水彩画は保存を考えれば、ガラス入りの額縁で無ければ無理だが。見るためだけであればガラスがない方が見やすいと言うことはある。もちろん長期保存にはきちっとした防湿の保存箱にしまわなければダメだ。

 ガラスが水彩絵の具の透明感を生かすと言うことがある。ガラスを入れないときには見えなかった色の重層感が見えてくることがある。同時にガラスが絵の具の強さを殺すと言うこともある。

 当然絵によって違うと言うことになるのだろうが、今度石垣島でアトリエ展をやりたいと考えている。その時であれば、ガラスなしの方が見やすいはずだし、保存のことや、絵の保護のことも考えないでいい。アトリエ展までに工夫してみたいと思う。

 確かにアトリエ展のことが頭にあったので、マットをどうしようか考え始めたことであった。アトリエ展は自己紹介という意味でやる気になった。東京での展覧会は文春画廊での展覧会を生前葬展覧会としてやった。それで個展は最後にした。

 石垣島での再誕展覧会と言うことになるのだろうか。確かに石垣島で自己再生にしようとしている。蘇生しようとしているのが近いか。いままでの自分を何とか葬り去り、新しい自分の絵に向かって毎日絵を描いている。こう言う気持ちを確かめさせてくれたのは、石垣島に暮らすことになったからだろう。

 石垣島を毎日有り難く描かせていただいているのに、その絵を石垣島で発表しないと言うことは良くないと思うようになった。皆さん気持ちよく描かせてくるのだ。お礼の挨拶をしなければ、どこか気持ちが落ち着かないのだ。展示する絵の絵はがきを作り、来ていただいた方には差し上げようと思う。

 コロナの様子にもよるが、来年春ごろになるのかもしれない。一年先ならば、人が集まっても安心になっているかもしれない。石垣島のどこかで毎日絵を描いている以上怪しいものでは無いことだけは分かって貰わなければならない。まあ絵を見て貰って余計に怪しくなるのかもしれないが。こればかりは変えられることではないので、仕方がないことになる。

 不思議なことだが、絵を描くアトリエとしてでは無く、ギャラリーとしてこの家は作った。別に見て貰うと言うつもりでは無く、自分が絵を見るためにギャラリーが必要だと思っていたのだが、それがいくら生かされるかもしれない。

 私が死んだ後も、そのままギャラリーとしてしばらくでも維持されるのも良いのかもしれない。

 - 水彩画