1000円床屋に行かない理由
石垣島の床屋さんは3000円である。2ヶ月に1回ぐらいである。石垣スタイルは短く刈ってくれるので、2ヶ月に一回行けば問題ない。小田原ではたぶん月に1回ぐらいだったかともう。小田原でも3000円であった。
頭の刈り方に注文を付けたことはない。たいした違いは無いし、床屋さんにしても任された方がやりがいがあるのではないかと思っている。床屋さんも得意の借り方があるらしい。同じ床屋さんでも毎回手法が違うものだ。はさみだけでやってみたり、バリカンを使ったり、好きばさみで切ってみたり。そのうちだんだん安定する。
石垣島には床屋さんの数は多い。たぶん一〇〇軒ぐらいはあるのではないだろうか。先日近所の床屋さんにいったらば、前にいたお客さんは西表島から床屋に来たおじいさんだった。買い物のついでにいつも寄るらしい。離島から石垣に床屋さんに来るという感じは悪くない。
床屋さんと言うものは結構な田舎でもある。登山によく行っていた頃、岐阜のアルプスから下りてきた一番奥の部落に床屋さんがあった。たぶん今はその集落はそのもんがないだろう。床屋さんはどこでも開業できるようだ。小田原でも和留沢という一番奥の開拓部落に美容室という地図の記載があって驚いたことがある。
飛行機で沖縄に来て床屋さんで頭をきれいにして貰い、それだけで帰るという人の話を読んだことがある。床屋さんはどこの誰でも気楽に入る事ができる場所だ。その土地の人がやっていることが普通だから、床屋さんと親しくなると言うことはその土地の様子を知る一つの方法である。
何しろ、1時間ぐらいはかかるものだ。どこの床屋さんも会話には心掛けている。お客さんに話を合わせてしゃべるのも商売の一つとされているのだと思う。私の行く近くの床屋さんも2回目に言ったときには、「いらっしゃい、笹村さん」こう挨拶をしてくれた。私はまだその床屋さんのお店の名前を覚えていない。
こうした人間関係を作る話術が頭をきれいに刈る技術よりも経営には大切ではないだろうか。石垣の私のゆく床屋さんは無口な方である。ほとんどしゃべらない。何かを聞けば話してくれるが、私がしゃべらなければしゃべらないで居てくれる。特に今はコロナだし、しゃべらない方がお互いに良い。
以前は小田原にいたころは、神山神社の向かいにある床屋さんに出かけていた。とても馬が合う人で、歳も私とそうは違わない人が一人でやっている床屋さんだった。マラソンが趣味で全国のマラソン大会に参加していた。本当はマラソンよりもさらに長距離の100キロマラソンが好きだと言われていた。
私も高校生の時には一応長距離を走っていたので、長距離を走りきる気持ちはある程度は分かるつもりだ。そんなことでその床屋さんに通うようになった。やはり、3000円だったと思う。今度値上げするからと宣言したのだが、結局値上げは出来なかった。何で上げないのと聞いたら、みんなが上げたらもう来ないよ、というので値上げを撤回したのだそうだ。
1000円床屋という物がある。とうぜん、石垣島にもある。全国チェーン店らしい。私のように安い物が好きと言う人間でも、1000円床屋には行ったことがない。髭が生えているからだ。髭を当たって貰えば、又1000円とか取られるはずだ。頭を洗って貰えば、又1000円である。結局の所3000円にはなるはずである。
そういう追加料金がない1000円床屋があるとすれば、随分迷惑な客と言うことになる。迷惑な客では気持ちよく出来ないだろう。そんな気がして行かない。腕が悪いとは思わない。1000円でも3000円でも間違いは無い。
床屋さんは料金が外からは大体は分からない。分からないから入りにくい。最初は2500円でやってくれた。それがいつの間にか3000円に変わった。3000円でも来ると思ったのか。もう他には行かないと思ったのか。
床屋さんには昔は理容組合の協定というものがあった。今もその名残があって、月曜日休みのところが多い。協定料金では3800円らしい。たぶんそれは今の時代価格競争に勝てないのだろう。そこで、1000円床屋との間で、3000円くらいに落ち着いたのではないだろうか。
1000円で営業をして行くためには、10分程度で刈らないとだめだ。私の行く床屋さんは大体1時間はかかる。刈るだけなら、10分できるとパリのカリスマ美容師さんから聞いたことがある。世界でも名だたる美容師さんに一度やって貰ったことがある。
何しろボーグの表紙のカトリーヌドヌーブの頭をやられた人だ。若い方だったが、日本でも一流の店で働いていて、パリでも大活躍の人になった。パリで隣室の加藤小次郎さんという人がデザイナーの人で、そうした関係の人をいろいろ紹介してくれたのだ。
名人は何度も同じ場所を切らない。最初から結論となる場所を一気に切って終わる。だから10分で十分だそうだ。確かにみすぼらしい容姿の私でもそれなりの姿に整えてくれたのには驚いた。そうだその時も1000円でやってくれた。それは気持ち的にただではまずいという価格だった。
そもそも私は自分で頭は刈っていた。これは高校生から習慣である。得度をして、世田谷学園の宗内生だったので当然頭は坊主である。頭が坊主刈りだったので、電機バリカンで自分で刈れば充分だった。慣れればバリカン刈りは簡単で10分で出来た。
坊主頭の習慣は大学生の時にはなくなった。床屋に行かないでただ長く延ばしていた。当時の学生にはそんな汚いのが結構居たのだ。教員になり、又坊主頭になった。そのまま、床屋に行かない習慣で山北にいた頃は坊主にしていた。バリカンで簡単に刈れた。
小田原で暮らすようになりなんとなく街暮らしに戻り、近所でも違和感がある坊主頭は辞めた方が良いと思った。床屋さんに行くようになったのだ。それがいつも前を車で通っていた、神山神社前の床屋さんだ。それ以来、床屋さんで気分を一新する習慣になった。
今は床屋さんの良さは気持ちが改まるところにある。1000円床屋さんの慌ただしさでは短い。床屋さんにいったら、無念無想である。これが落ち着く。人と接することがない石垣島生活でめずらしい人との接点である。だが先日は一言も口交さず終わった。それでもさっぱりとした。石垣スタイルの短い髪にももう慣れた。