石垣島農的生活の提案。

   



 石垣島で田んぼを始めて、石垣島での自然環境の中での暮らしをしている気分にやっとなった。絵を描いてだけで居た間は、石垣島を眺めているだけだった事に今になって気がついた。風景に入り込んで眺めなければ、自分の中から出てくる絵は描けない。

 私絵画は他人事である間は描くべき事が出てこない。田んぼが自分の暮らしになったときに、描くべきものがすこしづつ湧き上がってくるように思う。石垣島で田んぼをやってみて、始めて石垣で暮らしているという実感が湧いてきた。石垣に移住したら、何か石垣での生産に関わらないと、石垣島生活とは言えないのだろう。

 田んぼには58人の人が参加してくれた。始めて半年という期間で、これほどの方が集まってくれたと言うことは、石垣島田んぼの会は多くの人に必要とされていることだったと思っている。あしがら農の会での経験を生かして、石垣島での伝統農業に触れる暮らしを提案して行けるかもしれない。

 石垣島には、石垣島の自然の中での生活を求めて移住してきた人が沢山いる。新規就農を目指してくる人も沢山いる。様々に情報を探してきたのだと思うが、来てから思うように展開できずに、島を離れる人も多いと聞いている。石垣島の魅力を感じてきたのに実に惜しいことだと思う。

 もし石垣島農の会が出来れば、ここでの緩い、ゆるい、ゆるゆるの連携を通して、それぞれの石垣島生活を見付けることが出来るかもしれない。それには四つの大切なことがあると思っている。まだあるのかもしれないが、先ずは以下のことだ。

1,石垣島の農業に関する情報の集積。
2,拠点作り。
3,農業生産品の販売の研究協力。
4,農業機械の貸出制度。

 石垣島には素晴らしい農地が放棄されているところが多い。しかし事情が複雑で、簡単に借りることが出来ない。また島外の人の農地の仮登記による、不動産投機が起こり、複雑化してしまった農地もかなりあるようだ。

 観光開発による不動産バブルの時代の元漫才師の人の影響もあるかもしれない。島の農家の人の多くの方が、島外の人に農地を貸すことに不安を感じている。また、不在地主が多いため貸借を進めることが出来ないと言う事もある。

 安心して貸借が起こるような機関が出来ればよい。行政としては沖縄県農業振興公社というものを準備しているが、現実にはうまく機能しているという所までは活動が活発では無い。仮登記農地の改称など役割ではないかと思うのだが、それは農業委員会の役目だと言われていた。

 一方農業委員会では、例えば相続によって、不在地主しかしている農地のや農業者で無い人の所有になり、法的に複雑化してしまったものを、整理してゆくような機能は今のところないと思う。貸借に関しては本人任せと言うことが、実態であるし、行政の限界もあると思う。法律の専門家や仮登記の上に担保物権になっているものを、整理することは専門家でも難しい。

 しかし、このままにしておけば時間経過によってさらに複雑化して、解きほぐせなくなる農地が増加することが予想される。今の時点でも少なくともやれることをやらなければ、さらに未利用農地の増加になるに違いない。解きほぐされ利用できるようになった農地を、安心して貸し出せる制度も必要だろう。

 その時に仲介役というか、協力者という形の繋ぎ役が必要な気がする。それなら私の経験が生かせるのではないかと考えている。一つそういう放棄された農地がある。不動産屋に出ている農地だから借りることは可能な農地である。

 しかし、一人で借りるとすれば使い切れないほど広い。ジャングル化している現状を農地に戻すことは、個人の人力では無理である。パワーシャベルやブルドザーのような機械は借りることは出来る。運転できる頼める人が必要かもしれない。ここで挫折してしまう人の話を聞く。これを使える農地に戻すためには、様々な仕事の経験のある熟達した人の連携が必要である。

 荒れ地を農地に戻すにはそのための、実践してきた経験が欠かせないものである。合理的に進める。総合的に力を合わせる。個人で乗り越えることが無理なことでも、10倍の面積を10人の面積で行えば可能になる。しかもその労力は一人一人には可能な範囲労力に成るかもしれない。

 しかも、水田をやりたい人。畑をやりたい人。ハウスで果樹をやりたい人。牛を飼いたい人。それぞれである。重要なことはみんなでやることは不可能で可能になることはある。新規就農者の多くは自分勝手な、一人でやりたい人だ。私がそうだったからよく分かる。

 自分流を貫きたいから、一人でやる。それは素晴らしいことなのだが、一人で出来たら、次はみんなのことも考える。ここが大事だと思う。それがその人のために本当は成る。私はそうだった。その覚悟が出来たのであれば、人の世話になることも出来るようになる。世話になった分だけ、今度はみんなのために力を尽くす覚悟さえすれば良い。

 それでも一人でやりたい人の思いを生かせるような、ゆるゆる
の連携が必要である。今石垣島ではそれが一番必要ではないかと思う。島の人にとっては新規就農者はある意味不愉快な話である。それはよくよく想像できることだ。小田原でも散々経験してきたことだ。

 しかも石垣島は島という空間である。ヨソ者が嫌いに決まっている。それでもあと10年すれば、石垣のイネ作りの継続は困難になっていると思う。米価は下がるし、輸入の圧力も高まる。この稲作の環境を考えれば若い地元の稲作農家が生まれる状況では無いだろう。
 
 嫌いなヨソ者も利用して貰いたいと思う。そうしなければ、石垣の文化で一番大切な、米作りが失われてしまう。すでに沖縄本島では稲作が失われかかっている。与那国島でも危ういと言われている。米作りは石垣島が絶対に失っては成らない物だ。小浜島の田んぼの方が、自分が止めたら豊年祭の5穀が無くなるからやっていると言われていた。

 石垣島の自然環境を支えている基本的要素に田んぼがある。もし田んぼがすべてサトウキビに変われば、石垣島の生物の多様性は疎外されてしまう。地下水の涵養、赤土の流出防止、カンムリワシの餌場、そして水のある景観。そして美味しい農産物。どれをとっても失っては成らない物に違いない。

 石垣島農の会を作りたいと思う。組織は無いくらいで良いのだと思うが、すこしづつ、緩やかに形を作りたいと思う。それが石垣島でやるべき事のように思えてきた。四つの目標以外に何が必要なのか。誰に相談をすると良いのか。

 行政との関係の構築はどのようにされたのか。分からないことばかりである。今どの方角に向かうかを決めることがとても重要だと思う。もし、世界中のどこかで、良し一緒に挑戦してやるぞと思う方がいたら、連絡を下さい。ゆるゆるに、しかし本気でやってゆきたいと思います。

 - 石垣島