河村たかし名古屋市長の問題

   



 河村名古屋市長がオリンピック金メダルをかじったというので批判を浴びている。確かに市長としての品格というものはそもそもない。河村氏は気さくなオッチャンキャラが売りなのだ。最近キャラに陰りがあるので、おチャラケを外したに過ぎない。

 どうでも良いことではあるのだが、日本の選挙がおかしくなってきている原因は、この機会に考える必要がある。河村氏が選挙に強いという理由である。名古屋ではこの庶民的キャラには、不思議な人気がある。この受ける理由を考えておく必要がある。選挙は人気投票では無いのだ。

 その前に、菅総理大臣の支持率が軒並み30%を割ったというのが、オリンピック後のニュースである。オリンピックの日本選手のすごい活躍でも、言われていた菅氏の支持の復活は無かったのだ。当たり前のことだ。菅氏の農家出身の苦労人キャラはもう化けの皮が剥がれてしまった。どこか嫌みなただの人に見える。

 でもここで止めないで欲しい。じくじく粘って貰いたいものだ。衆議院選挙は菅氏で戦う義務がある。そうして何とか、自民党を崩壊させて貰いたいものだ。菅氏なら出来る。政策で選挙はやるべきである。菅氏の不人気の原因はコロナ蔓延である。又その責任も菅氏にはある。

 頭をすげ替えろは、たぶん電通の選挙対策情報では、かなり緊急のものになっているはずだ。それで、二階幹事長の手下どもが、妙なニュースを発進して様子を見ているはずだ。今がその裏の画策がやたら進んでいる状況だろう。

 日本の選挙がまともに行われないことが、日本の民主主義をだめにしている原因である。河村氏は、愛知県知事のリコール運動に維新の会と組んで血道を上げた。理由は愛知トリエンナーレだったわけだが、これは単なる理由である。

 県知事とはそもそも犬猿の仲だったのだ。初めは共闘したのだが、主導権を奪われてしまい、自分のお気楽なやりたい放題キャラが、知事には通用しないことになり、自分が霞み始めたので袂を分かったのだ。理論を整えた言論では自分を発揮できないことが分かっている人なのだ。

 しかし、名古屋では不思議な人気がある。東京、関西に挟まれた、名古屋人の意地のようなものが反応しているのだろうか。名古屋としての存在を主張を河村氏はしている。話題になれば勝ちみたいなところがある気がする。

 全国的に見れば、極めて不人気であればあるほど、名古屋人としては河村氏を支持する気持ちが高まる。金メダルをかじったぐらいで、そこまで言われるのでは可哀想では無いか。ちょっとギャクを外したぐらいで。と感じ始めているはずだ。

 この根の深いところでの支持層をつかんでいるのが河村氏なのだろう。叩かれれば叩かれるほど、河村氏に幸いしてゆくものがある。愛知トリエンナーレ問題をきちっと考えれば、市長に再選されることはあり得ない。これを許して受け入れる異常に、名古屋市民は気付いていない。

 この問題は何度も書いたことだが、美術館という特別な空間に於いて、意図を表明した展示で、見たくない人は見ないですむ状況を作り、表現の自由を担保することは必要なことなのだ。美術館内に於いては、意見や感覚が違うからといって、表現を制限することはあっては成らないのだ。

 もちろんそれは法律の範囲内のことだ。表現が法を外れるものであってはならないと言うことは、美術といっても人間社会の法の範囲を超えてはならないと言う意味である。分りやすく書けば、美術館内で美術表現として殺人を行うと言うことは許されないわけだ。

 愛知トリエンナーレ展では、美術館における表現の自由が問われた。自由に表現してはならないと言うことが、河村名古屋市長の主張だった。このことが名古屋の市長選挙では問われた。そして、名古屋市民は愚かにも、美術館内でも表現の自由は無いと投票したのだ。

 名古屋市民は市長選挙後は恥ずかしくて美術を語ることは出来ないのではないかと思っている。こうした異常な選挙結果を、名古屋市民は異常だと感じ無ければならないはずだ。それは、従軍慰安婦問題や天皇不敬問題にすり替えては成らないことなのだ。

 そのご、それなら美術表現として、在日韓国人に対するヘイトスペーチを認めろという活動があった。これが美術表現として退けられたことは法律的違法行為であるからだ。従軍慰安婦像や天皇の写真の燃やす映像は法律の範囲だったのだ。そう判断が出ている。

 違法で無いとしても気に入らないものは表現をしては成らないとしてしまうことが、表現の自由を制限してしまうことになる。河村市長にはこのことが理解できなかったのだ。たぶん今でも理解できていないはずだ。庶民感覚的に許せないというような位置から政治をやっているのだ。

 河村氏にしろ、維新の会にしろ、どうやって人気を取るかに躍起となっている芸人なのだ。芸がおもしろいから許されるというのが名古屋である。そう考えるとさすがに菅氏は芸人としてはまったくつまらない。ガースーでーす。で外した姿の哀れさよ。是非とも衆議院選挙は戦って貰いたい。

 菅氏は芸人では無くて、総理大臣であるのだから、菅氏を頭として選挙をやるなら政策で戦うしか無い。コロナでデタラメになってしまった、財政再建をどうするのか、先進国とは言えなくなった日本をどうするのか。きちっとした政策を示すほか無い。

 民主主義の選挙を再建して貰いたい。政策選挙を行って欲しい。野党も同様である。選挙に勝つために野合していたのでは、たとえ選挙に勝利したとしてもまともな政権はならない。少なくとも憲法に対する姿勢だけは、統一して選挙に臨まなければならない。

 憲法研究者と言って良いほど憲法を研究していた衆議院議員だった山尾志桜里 氏が、残念ながら立候補を止めた。立憲民主党や国民民主党の憲法研究が不十分であるから、政治家を降りるほか無かったのだ。残念な日本の政治の表れである。

 山尾氏の主張の基本は充分憲法は議論すべきだ。そして、憲法裁判所を作る必要があるというものだ。議論すれば押し切られるという、姿勢の今の野党勢力の判断が山尾氏を受け入れられなかった。議論を避ける背景には、日本の議会がまともでは無いと言うことなのだろう。

 民主主義が成立していない日本の政治を、どこから変えて行けるかと言うことだろう。まず自分の回りから始めるほかに無い。面倒くさくとも、どんな活動でも民主的に進める。ここが変われば、と言っても難しいが、ともかく足下から変えるほかない。
 

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