第60回 水彩画 日曜展示
第60回 水彩画 日曜展示
320「甲府の空」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
321「舟原の庭のながめ」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
322「ホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
323「ホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
323「山の夜明け」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
324「志賀高原のホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
325「塩山桃霞」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙
庭を描くことに興味がある。庭という物は作られたものである。それぞれが気に入った風景を作り出したものだ。自然のようではあるが、自然ではない。耕作地の風景と似ているが、またそれとも違う。
自分の内側と外側の違いのような気がする。庭を眺めている自分というものがいる。庭にはそれを眺める人の気配がある。その眺めている人間を描いているようなものになる。その庭を良しとした感覚を描いていると言える。
家を描くとすればそれを考えた設計家や大工さんを描くという事になる。あるいは住んでいる人を描くという事になる。そういうものを描きたいと思ったことはないが、庭という自然が支配しながらも、人の手が入ったぐらいのかかわりならば、描いてもいいと思う。それが庭の畑ならば、もっと描きたくなる。人の手の支配がもっと行きわたっているからだろう。
と言って日本庭園を描きたいと思ったことはない。イングリッシュガーデン風なのも描きたくない。作られ過ぎたフラン風の庭はもっと困る。田舎の家の日本庭園は良く刈りこまれている。たぶん、周りの山の自然の木とはちがうのだということを強調しないではいられないのだろう。
要するに描きたくなる庭はなかなかないものだ。