第49回 水彩画 日曜展示

   

                                     第49回 水彩画 日曜展示

 すべてファブリアーノの中判全紙である。






230「大里の田んぼ」
2021.3







231「箱根駒ヶ岳」
2021.3







232「宮良川中流域」
2021.3







233「崎枝半島の田んぼ」
2021.3






234「下田夕照」
1992.9 描き始めた。2021年に少し手を加えた。






235「波のある日・海」
2021.4





236「月光の海」
2021.4


 山の絵海の絵とさまざまである。何故こうも違う絵を描いているのか。描いていて、途中で分からなくなり止めた絵が沢山あるのが一因である。その途中までの絵を見ていると、この先が分かったような気がすることがある。

 それで進めて見ている。石垣島で風景を描きに出かけたまま、箱根の芦ノ湖で描いた絵を続けて描いている。どういうことかとも思うが、描きたくてしょうがなくなるのでそれに従っている。描けそうな気がした絵を車に積んである。

 最後の月夜の海の絵は石垣の夜の月に輝く海を見ている。描きだしたのは小田原の海である。夜の海の絵も良く描く。昼間の海を見ながら、夜の海を思い出しながら描いている。夜の海は眺めているだけである。見ているだけである。

 昼間描くのは夜の記憶の中の海である。それでいいのかどうかそういう事は分からないが、今はそういう風に絵を描いている。そんな風に描きたいという気持ちに従っている。記憶の中の海が絵として見えてくる。記憶の海と絵としての海が重なってくる。

 それは駒ケ岳も、御岳山も、同じことである。見ているものが記憶の中で凝縮されている。しかし、記憶だけでは描くためには何かが足りない。空間の成り立ちのようなものを、今見ている風景の中で確認している。おかしな描き方なのかどうかよくわからない。

 - 水彩画