石垣島16日祭はすばらしい祭りだ。
今年の16日祭は2月27日だった。十六日祭(ジュウルクニチー)は旧暦の1月16日となっている。つまり、春節となる旧暦の正月,今年は2月11日から、16日目にお墓でご先祖とともに正月を祝う日と言われている。
石垣に旅行できていた頃は、アートホテルという所に宿泊することが多かった。ここはサウナがあるホテルだったからだ。楽天トラベルの宿泊と航空券とレンタカーがセットになったチケットを使っていた。それが一番安かったからだ。
石垣島に暮らすように成って、今では小田原に行くときにはこのチケットの逆コースを買っている。そして、どこかに一泊だけする。このチケットは一泊だけでも止まらなければならないのが条件である。大抵は石和温泉に泊まる。そして境川や石和で絵を描く。セットチケットは航空券だけを買うよりは安いように思われる。
話が始まる前から逸れてしまった。アートホテルのサウナの中での話をおもいだしたのである。たぶん、日本全国そういう傾向があると思うのだが、サウナ利用者には身体を使う仕事の人が多い。小田原でも工事関係者が多かった。身体を使えばサウナに入りたくなる。私も百姓仕事をした後、サウナに行きたくなった物だ。その意味で今はサウナに行くなくてもなんともない。
そうだ早く本題にはいろう。サウナで工事現場監督と思われる人の会話である。今日現場に行ったら、誰も来ないで勝手にみんな休んで仕事にならなかったと怒っていたのだ。この人はああ、石垣に来て日が浅いに違いないと思われた。16日祭でみんなが休んでしまったことに気付かないのだ。16日祭の日に仕事に行く方がおかしいだろう。
サウナに入っていたたぶん地元の海人と思われる人が、ソレャアー当然だ。とすっトンキョにとつぜん声を上げた。16日祭に働く奴は石垣島にはおらん。と強めに教えていた。何で、平日にとつぜん休むんだ。一族のお祭りだからと言って勝手に休まれたら、仕事の手順がおかしくなる。現場監督らしき人は16日祭を理解できないらしい。16日祭は法事ではないのだ。
16日祭は地域の祭りとは確かに違う。まだ地域の祭りで仕事に来ないなら分かるが、墓参りで仕事を休むとはどういうことだ。と現場監督は思ったらしい。海人が言うには、16日祭をやらないようでは、石垣の者としてとんでもない話だ。これには親族一同集まらにゃー成らん。島の外に出た者もみんな帰る日だと教えていた。
16日祭は、死んだご先祖様のお正月と言われている。石垣にはお正月が3回あると言われている。1月1日の元旦。そして中国式の春節。そして16日祭である。旧暦一月十六日に墓参して祖先崇拝し、供養する先祖との正月。これは中国の風習から来たと言うことでもないようだ。
お墓の前で親族が集まり宴会をする。これほどすばらしい祭りはないだろう。この良い風習のためにお墓の前には必ず広場が取ってある。石垣のお墓は亀甲墓と呼ばれる物が古い形である。まるで住めるほど大きなお墓もある。ピラミッド型もあれば、数寄屋造りさえある。
少し掘り下げてあり、その窪んだ正面の壁にお墓が掘り込まれている。そしてひさしのような出っ張りがカメの甲羅のように出っぱっている。そしてその窪地の前に10畳ほどの前庭が広がっている。広がった前庭には白珊瑚の砂が敷かれているところが多い。
その様子はお墓と言うくらいイメージよりも、何かキャンプ場のような明るい空気が漂っている。わざわざ雨の日に備えて、テントが張れるようになっているお墓も少なくない。16日祭は本家としてはともかく力が入るのだろう。
古今東西大抵の民族が死者を恐ろしい存在と考えていた。死ぬと言うことが分からないことだから、死者のその後が怖かったのだろう。死者を弔うと言うことが行われる。よみがえることや化けてでることを避けたいという気持ちがあって、お墓が出来る。明るい場所にした八重山の文化はすばらしいと思う。
死者と宗教は結びついていない。宗教者に死んだ人のことを任せて、終わりにするという、本土的な考え方がなかったのだ。16日祭を見ると宗教行事ではなく、一族の宴会という空気が強い。
そしてそのカメの甲羅の上に、本土式のいわゆる墓石がちょこんと載せられたりしている。このお墓の様式が屋根の上に棚上げされているようで、実に奇妙な形になる。このお墓までも様々な者を受け入れて、八重山風に作り上げるすがたがいい。お墓さんはこの前庭こそ重要で、肝心の墓石は棚上げされてもそこに何か魂があるわけではない。
この前庭の何もない空間こそ、ご先祖がいる場所である。正面に先行を立てたり花を供えたりする場所はあるのだが、みんなが宴会をやる何もない場所こそ、意味深い場所なのだ。沖縄における神聖な場所とは何もない場所なのだ。
何もないすがすがしさこそ、聖なる場所なのだ。これは御嶽(うたき)と呼ばれる神社のような所も、何も無いところである。何もないからこそ、死者の魂が舞い降りてくると感じる。空間そのものを感じる文化。ここにはとても惹かれるものがある。私が絵を描いているのもそういう空間である。
この明るい野外パーティー用の前庭こそ16日祭の宴会場だ。いわばお墓さんという、ご先祖様の家に親族が集まり、一日正月のお祝い事やら宴会をする。何とも良い習慣ではないだろうか。私も父や母と、そして祖父や祖母と、年に一度くらいは宴会をしたいものだ。
こんな習慣があれば、自分がどこから来て、どこに行くのかがよく分かるという物だ。きっと、年長のオジーから昔のご先祖の話が出るに違いない。孫たちに、ひ孫たちに、我が一族の歴史が語られるに違いない。多良間島からご先祖は来たんだとか。ハルサーだったんだ。ハルサーは百姓のこと。
楽しかった昔の暮らしの話が出れば、三線を弾いて唄がでるのかもしれない。もちろん本土に行った息子一族も今日だけは戻っている。都会育ちの孫にも島の暮らしの楽しさが伝わることだろう。こんな形で繋がって行くのが人間の暮らしという物ではないだろうか。
16日祭を私もやってみたい物だと思うが、私の家のお墓さんでは無理だ。前庭がない。確かにご先祖の骨はそこにあるのだが、とうてい宴会をやる雰囲気ではない。お墓は品川の海晏寺さんにあるのだが、明るさはまるでない。暗い雰囲気である。
だから、いろいろのご供養の後にはホテルの宴会場で法事をするのが、笹村の家の普通のやり方であった。しかし、法事と言ってももう次はないような気がする。17回忌は終わった。次があるとすれば、33回忌だが、33回忌まで今はやらないような物だろう。