大村リコールは維新の党が事務局長
やっぱり維新の会というのはネトウヨ政党だったのだ。橋下氏の発言を見ているといかがわしいとは思っていた。ついに馬脚が表われたと言うことだろう。こう言ういかがわしさに、民主主義が壊されて行く。
大村愛知県知事リコール運動は、維新の会と河村名古屋市長と、美容クリニック院長の3人という、じつにいかがわしい連中の仕業だったのだ。これは何度も書いたことだが、そもそもアイチトリエンナーレ展の企画展、「表現の不自由展・その後」に関わるリコールである。
整理しておくと、そもそも従軍慰安婦少女像が展示されると言うことに対して、維新の会の松井代表は大問題だと当初から発言していた。そして、河村名古屋市長は視察した上で、「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの」として大村知事に中止を要請。
菅官房長官は申請時に展示内容が記載されていなかったので、補助金は再検討すると発言。大村知事は、記者会見で「公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と河村市長を批判。
これに対して、松井一郎大阪市長は「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ、たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」と発言することになる。文化庁は一度は全額補助金交付を停止したが、最終的には交付することになる。展覧会は一度は閉鎖されたが、最終的には再会された。
以上が経過である。私には松井維新代表や河村名古屋市長は美術館という特別な場所への認識がなかったと思われる。当時のインタビューを聞いていても、美術という物の理解がなかった。たぶんそうした文化への興味自体がない人と思われた。
その結果、日本大使館前に展示されると言うことと、美術館の中に展示されるという意味の違いが理解しがたかったのだろう。美術館での展示という物は正しいとか、間違えとか、美しいとか、見にくいとか、あらゆる価値観が同列に展示されなければならない。
美術館においては、誰かの特定の歪んだ価値観での表現であるとしても、自由を奪ってはならない。公共的価値とは違うと思うのであったとしても、展示自体の自由は奪うことが出来ない場所なのだ。社会的価値という物はその時代という枠内の物だ。
美術作品は現代という時代の枠を越えているのかもしれない。自分には気付かない何かが作品の中にあるのかもしれない。それを、故人の価値観で否定してはならないのだ。そうした、中立的空間を社会の中に存在させること自体に意味がある。
従軍慰安婦少女像は、ある側面からの時代の切り取り方であることは確かなのだ。こうした表現方法の、この価値観が正しいか正しくないかは、今判断できないのかもしれない。だから、ともかくこれは一度は表現が禁止されたことのある作品という意味づけの上で、展示されたことは、愛知トリエンナーレ点として意味あることだったと思う。
表現は徐々に狭められてきている時代なのだ。東京都美術館でも展示が禁止された作品がある。アベ政治批判の作品が、政治的主張であり、美術展には相応しくとされた。これはと美術館の忖度である。
いずれにしても、当初から松井維新党首、河村名古屋市長、高須クリニック院長の3人はこの展覧会の中止を主張し、最終的には大村知事のリコール運動を展開したのだ。だから、高須院長が代表で、事務局長が維新の党名古屋県会議員で、次の衆議院に立候補予定者。そして応援団長が名古屋市長の河村氏。
そして、リコールが始まったが、当初からこんな間違ったリコールに署名する人などあるわけがないと思われた。騒いでいるのはネトウヨぐらいの物で、どうも維新や名古屋市長は、これで自分の人気が上がるだろうと勘違いしていたのだろう。
ネトウヨの背景にいる組織は、なかなか人を操るのが巧みである。高須氏の金を引き出し、維新を抱き込めば、河村氏などそのまま引きづりこまれたのだろう。全くリコールに届くほどの運動にはならなかったわけだ。
リコールは住民が立ち上がらなければ出来ない。住民にはそもそもトリエンナーレ展に興味のある人が少ないにちがいない。見たことのある人だって、愛知県民のわずかな人だろうと思われる。リコールのテーマ自体に無理がある。
それでは何故、こんなデタラメなリコールが始まり、署名の大量偽造が行われたのか。その経費は何千万円にもなるという。費用はクラウドファンディングで集められたと言うが、そもそもそのお金の使い道は公表されているのだろうか。
維新の党の旧党首松井大阪市長は関係ないと個人的な行動として、リコール事務局長田中孝博元愛知県議は維新党を止めた。リコールの最中、衆議院の候補者になった田中氏は個人のことと切り捨てられたわけだ。どう考えても次の維新の候補者が事務局長で、事務局から署名偽造が発注されているのは確かなのだから、その実態を事務局長が知らないはずがない。
維新の会は真相を明確にする義務がある。トカゲの尻尾を切り捨てて終わりにして済ますとすれば、それは維新の会こそがいかがわしい本部であると言うことになる。田中維新県議は署名が集まらないことは分かっていたはずだ。そうした状況も分かっていなかったとすれば、とうてい県会議員は無理だろう。維新党になれば、そういう状況が見えない人がいるのかもしれないが。
河村名古屋市長は早く市長を辞めるべきだ。騙されたのだとは思う。しかし、騙され間違ったことでムキに成って、県知事のリコールを画策したこと自体が、許されるようなことではない。名古屋市民は河村氏のリコールこそすべきではないだろうか。
高須氏は政治に口を出す資格がない。騙されたと怒っているが、どう考えてもこのおかしな人の中でも、一番おかしいのは高須氏である。何故、こんな馬鹿げたことに巻き込まれたのかを考えてみるべきだ。人を責めるのではなく、自分の頭の中を美容整形した方が良いのではないだろうか。