菅政権の終わりが見える。

   



 菅政権の終わりが見える。菅氏の様々な言動から終わりが見えている。菅氏は政治感覚が鈍く成ってきている。コロナの今、日本が必要としていた総理大臣ではなかったようだ。下層に対する人間の視線が冷たすぎる。下層の人が下層にいるのは自助努力が足りないからだと、本気で考えている冷ややかさ。

 あの「最終的には生活保護がある。」この言葉が出た理由のはかつて生活保護が身近にあった生活体験からだ。こんな言葉はアベ氏からは絶対に出ない。努力しなければ、生活保護に陥るかもしれないという不安の中で努力したことのある人の言葉だ。

 その意味では田中角栄氏なら、同じような言葉を堂々と主張して批判を受けなかったはずだ。時代が違うことが分からない鈍さなのだ。高度成長期であれば、確かにそうした側面があり、一度生活保護を受けたとしても、どん底から上層にまで成り上がることが沢山あった時代だ。菅氏はだいぶ前の人だ。

 田中角栄の時代からもう50年も経ったのだ。下り坂日本の中で、菅氏は総理大臣としてずれまくったことを、本音で発言した。うっかり言ったわけではない。国会答弁の場面を見ていたが、落ち着いて確信を持って発言した。これは総理大臣として制度上正しい発言のつもりである。

 口癖のようにでてしまう、自助も同じである。これは自治会長が常々挨拶に使う言葉である。私が小田原で自治会長をやったときに、連合自治会長が何度もこれを口にしていた。それが石垣島に来たらやはり、自治会長が挨拶で口にされていた。自治会長としては正しい言葉なのだ。

 自治会という住民が直接関わる立場に立てば、自助以外に道はないと繰返し発言せざる得ない社会環境ということになる。しかし、これを市長が言うくらいならまだ許される。しかし、国の責任者に国は何の力にも成れないのが現状ですから、自助でお願いしますと言われる国民の立場に立って見ろと言うことになる。

 確かに現状の社会がこうなってしまったのは、菅氏の責任というわけではない。菅氏は団塊の世代の一員として勝ち抜いた自信があるのだろう。良くその感覚は分かる。こうしたいわば下層を経験した人が、上層に上り詰めたときにどんな感覚になるかは、団塊の世代ならば、想像できる人は多いだろう。

 菅総理大臣の息子が、テレビ放送の会社に勤めていて、許認可に関わる総務省幹部を接待していた。繰り返されてきた官僚汚職の一部が明るみに出たと言うことである。菅官房長官の息子であれば、しかも元総務大臣であり、総務省の人事を支配している菅氏である。

 先日明るみになった卵汚職は大臣室でお金が渡されていたぐらいだ。高級料亭での接待など、日常茶飯であろう。そもそもそういうことのためにこうした高級レストランはあるのだろう。もちろん違法ではない接待が大半である。

 それでも自腹でそんなところに行く物好きは珍しいだろう。もちろん行ったことはないから想像するだけだが。料亭とか高級レストランというのはそもそも接待のためにある。そういうこと自体がくだらない日本の悪習である。情けないが、こう言う形で日本が出来ている。

 この事件で一番気になったのは息子は別人格だから、関係ないと言い切った菅氏の発言が通用するかである。確かにいい年をした息子の責任を親がかぶることはない。しかし、今回の事件は息子に親の肩書きを利用された事件だろう。

 官僚の本音からすれば、菅氏の息子からのお誘いは断れなかったのだ。断ればひどい仕打ちをされることも分かっていたはずだ。菅氏はそういう人だ。学術会議の任命拒否の嫌らしいやり口を見ればよく分かる。この息子の自助努力はこういうことだったのだ

 政治家の場合は親子は強く関係する。自分の秘書にしていたくらいだ。利害は強いのではないだろうか。今回の菅親子接待問題は、親の名前を利用して、接待をしたと考えるべきだろう。切り離せるわけがない。菅官房長官の息子です。局長今晩ごちそうしましょう、と言われて行かない役人は少ないだろう。実際の所行かなくて、話のわからん人間だで左遷された人もいるのだろう。

 何しろ、官房長官菅氏ににらまれれば左遷である。息子があいつはダメだと親に言うかもしれないと高級官僚たちは考えるのだろう。親子は別人格と考えている、官僚は一人も居ないはずだ。芸能人や財界人よりも政治家の親子は連結しているのだ。

 誘われたら最後である。行きたくもない接待に出かけて行き、お土産までぶら下げて嫌だったに違いない。しかし、行かなければならないと考えたのだ。それで出世も出来たのだろう。しかしばれれば、今回のように終わりである。怖かったことだろう。

 確かにこんなことで菅総理大臣を叩いたところで始まらないのは確かだ。しかし、人事権を束ねる菅官房長官を、官僚がどんな目で見ていたかを考えれば、これは全く氷山の一角の事件だ。学術会議の任命拒否と同じ類いの事件だ。

 上の顔色ばかり見て暮らす世の中になる前兆である。自分が自分らしく居られなくなる、嫌な時代を菅氏は作り出そうとしているのだ。菅氏には人間の一番大事な尊厳を、平気で踏み
にじる感触がある。人間の出世欲を引きずり回している。

 世間のしがらみの総理大臣である。世間様の権化である。理屈ではない。屁理屈でもない。大人なら甘いも酸っぱいも分かるだろう。それが自助努力という物だと、嫌らしく押しつけて来そうだ。自分もそうしてたたき上げてきたのだろう。

 菅氏は自らの責任の取り方を示さなければならない。親として申し訳のないことだと謝罪し。今後人事で人を操るようなことは致しませんと官僚にも謝罪して貰わなくてはならない。菅氏の政治手法が、このように官僚をだめにしていくことをみとめて貰わなくてはならない。

 アベ森友事件における財務相の官僚の応対ぶりはまさに、汚い仕事でも進んでやっている。どこかに、さすがにそれは出来ませんと言える人がいなかったのか。当然である。できないと言えばどこかへ飛ばされるのだ。だから、汚い仕事をやってくれた、佐川局長は栄転させるほかなかった。

 人事で人を言いなりにすると言うことはそういうことになる。今回菅氏は大きな失敗をした。40歳というダメ息子の扱いである。そもそも東北新社にお願いして入社させたと言うことがダメだ。コネ入社であり、総務大臣としての見返りを約束したようなものである。

 私と別人格だ。私とは関係ないと言い切った。関係ないと考える日本人は一人もいないはずだ。明らかに菅氏の息子だから、切れ者と言われる山田内閣広報も断れなかったのだ。だから抜擢された可能性もある。

 今回大勢の官僚が処罰された。しかし、一人だけおとがめの軽い人がいる。女性初の内閣広報官である山田氏である。菅首相は「深く反省し、おわび申し上げている。やはり女性の広報官として期待しているので、そのまま専念してほしい」と述べ、続投させる考えを示した。山田氏も「私自身、内閣広報官として任命して頂いている立場。辞表をお渡ししようとしたことはない」と述べ、辞任を否定している。

 この処分が人事の菅氏の勘の鈍ったところだ。山田真貴子氏はNHKを黙らせた人だ。NHKが所信表明に関するお話を伺いたいとしながらも、学術会議問題が所信表明になかった点を質問して、菅氏の逆鱗に触れた。すぐさま山田氏は前田会長に抗議の電話をしたと推測されている。

 それ以来NHKは菅内閣に対する忖度が目に余る。現に山田氏への国会での質問は国民が注目する場面である。ところがなんとNHKは放送なしである。そもそも、NHKの菅氏の息子の総務省接待事件に対する報道が及び腰なのは見え見えである。

 山田氏を辞めさせられなかった菅政権はそう長いことはないと言うことだ。息子さんはそれこそ大変だが、法律的には何の問題もないと言うことで、今後も東北新社の接待取締役を続けて行くと言うことなのだろうか。

 - Peace Cafe