最終的には生活保護があると言う違和感

   



 菅首相は「雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく。できる限りのことは対応してきている」と国会で答弁した。「いろんな見方があり、いろんな対応策がある。政府には、最終的には生活保護という、そうした仕組みもある。しっかりとセーフティネットをつくっていく。それが大事だ」と国会答弁で答えている。

 何か違和感がある。ここで生活保護を持ち出す政治観に違和感がある。生活保護はそういう物なのだろうか。この発想はどこか違うと思う。確かに様々な事情で生活保護を受けなければならない人はいる。それが国民の権利であることには間違いがない。

 しかし、政府が政策を失敗して、生活できない人を大量に作り出している現実を前にして、生活保護が最終的にはあるから大丈夫と考えるのは違うのではないか。政府は困窮者を出さないために最大限努力するというのは当たり前のことだ。コロナの政策は大失敗だった。

 アベ政権、菅政権のコロナへの対応はいちいちに失敗であった。その根本原因は新型ウイルスによる感染症に対する備えがなかったことに原因する。国の安全保障をいつも主張しながら、安全保障を軍備以外に想定できていない、固定観念にとらわれているのだ。

 このブログを始めた一つの目的は新型ウイルスに備えろと言うことだった。必ず世界的流行が起こると考えられたので、そのための準備をしなければならないと考えていた。自然養鶏をやっていて、新型鳥インフルエンザの日本での発生が起こり、ウイルスの状況を学んで出た結論であった。

 もう一つが食料の安全保障であった。食糧自給が出来ない原因は農業者の減少にある。どうすれば減少を止められるか。それには市民の自給のための農業に道を開くと言うことだと考えた。これは自分が自給生活を体験して考えたことだった。

 どちらも政府は対応の準備をしなかった。それがコロナに対して無知な対応しか出来なかった原因である。そのひどさが、アベノマスクの配布やクルーズ船での失敗に繋がった。やらなければ行けなかった一番のことは、中国からの入国の禁止であった。

 同時にPCR検査が一向に進まず、総理大臣のアベ氏が理由が不明と国会で嘆くほどひどい状況になった。そして感染症に対して無知なため政治家にはリーダーシップがとれない。しかし、感染症専門委員と言ってもその立場は曖昧で、誰の責任で政治方針が決まるのかさえ明確に出来なかった。

 平時から緊急時の準備をするのが政治の責任である。その責任を果たすことをしていなかったことが、今回の事態を招いた一番の原因である。仕事を失う人が膨大に存在する。多くの国民が経済不安を抱えている。この状況を生み出してしまった、責任がある総理大臣が生活保護を口にするのは違うだろう。

 その上に又自助を持ち出した。どうやってコロナに対して自助が出来るのだ。コロナに対して有効な手立てを打てるのは公である。公助なくしてコロナに対抗できるわけがない。作戦を立て勝負をするのは政府である。政府が感染症に備えがなかったから、敗戦したのだ。

 コロナ戦争に負けて生活保護があるなどとよくも言えるものだ。敗戦の責任は国民にあるのではなく、準備を怠り、戦略を間違えた政府に責任がある。準備がないから、打つ手が後手後手に回ったのだ。もちろん国民の自主は良くやった方だ。

 感染症の医療体制が取れていなかった。病床数は充分にあるのに、コロナによって医療崩壊が起きた。こうしたパンディミックが起きたときに、医療機関がどのような対応を取るかを準備しておくべきだったのだ。これも政府の安全保障である。

 これは政府の責任とは言い切れないが、ワクチン生産が世界からはるかに後れを取った。ここまで日本の医薬品の開発力が落ちているという現実を見なければならない。新産業の創出と言うことをアベノミクスは主張していたのだが、新しいものを生み出す能力が日本人には失われてきている現実を見なければならない。

 これは教育の問題ではないだろうか。創造力を育てる教育は、知育偏重の詰め込み教育では生まれないのだろう。教育というと受験教育になっている。英語を小学校からやるなど間違っている。生活力を高める人間教育を根本から考え直さなければならない。学校に農業作務を取り入れる必要がある。このことは又別の機会に。

 飲食店がコロナ感染拡大の原因になっている。これは誰が考えても間違いはない。だから、夜八時以降閉店をして欲しいと要請している。これも間違えではない一つの方法だと思う。しかし、政府が感染拡大を止めるために要請しているのだから、その営業補償は当然するべきだろう。それを充分にしないでおいて、生活保護があるからと言われても、納得は出来ない。

 店を経営すると言うことは、心身共にすり減らす厳しいものである。商店の子供として育ったから、よくよくそのことは分かる。子供の頃の悪夢は学校から戻ると家がないのだ。私を置いて夜逃げをしてしまったのだ。そうした店が良くあったのだ。

 石垣島でも飲食店の方々は辛いことだと思う。隣の宮古島では自衛隊が緊急支援を始めたほど、感染が蔓延した。石垣島にもその恐怖が広がっている。多くの店が臨時休業をしている。夜はやらない店がほとんどである。店に入らないでも買って帰れるテイクアウトをできるだけ食べている。

 台湾は昨年の経済成長が2,98%だった。コロナ感染を抑えきったことと、金券を使った経済政策が消費拡大に繋がったからだそうだ。中国のように人権侵害を行ったわけでもない。有能な政府であれば、日本ほどひどいことにはならなかったのだ。

 あのアベノマスクに始まり、中国からの渡航制限の遅れ。緊急事態宣言の遅れ。政策ミスの連続の結果、日本経済はマイナス5%以上というひどいことになったのだ。その責任を菅氏は感じていない。だから、生活保護があるから大丈夫だなど言えるのだ。

 政治の責任というものを感じていないから、政治家は夜の会合の制限すら出来ない。そして、だらしがない議員たちは平気で夜中に飲み歩いている。総理大臣自らが、老人忘年会に参加した。このていたらくには政府の責任もきわめて大きい。

 こうした政治の落ち度を重ねて置いて、店が潰れ、解雇され、その結果生活できなくなる。その人の口から、生活保護があるから大丈夫だなどと弁解されてはたまらない。生活保護の意味をはき違えている。生活保護は最低限の生活をする国民の権利だ。

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