絵が表現する世界観

   



 絵は自分の感情を表現するようなものだとは考えていない。絵は絶対的な価値を表現するものである。しかも自分の哲学や思想を、人間の価値から捉えるものだと思っている。絵として表さなければならないものはそうした世界観だと考えている。

 大げさではあるが、一人の人間が人類の中に存在する意味、生きる根源を絵にしなければならない。だから個人の私的感情など、絵においてはどうでも良いことである。悲しげに見えるとしても、それは人類の悲しみにまで、昇華されているかどうかである。

 絵は私的感情に流されてはならない。例えば慟哭のようなものを慟哭のままに表現するようなものは、絵は違うと思う。悲しみが哲学として昇華されて絵になる。悲しみが客観化され、個人の悲しみから、人間の悲しみにならなければ絵にはならない。

 表現主義的な絵画は絵だと思っていない。怒りとか、喜びとか、懐かしさとか、思い出とか、そうしたもろもろの気持ちを表現するものでもない。一言にしてしまえば、自分があると言うことを示すものだ。自分があると言うことを世界をこう見ていると言うことを絵を描いて示すものだと考えている。

 世界が見えなければ絵は描けない。世界が見えると言うことは自分が生きていると言うことを確認できると言うことなのだろう。自分の見えているには深さが違ってくる。コロナに向かい合っての一年を通して、少し世界が見えてきた気がしている。

 生まれてきたこと、生きること、そして死ぬこと。コロナに出会い、実感を持って日々暮らした。死ぬと言うことを前よりは分かったのだろう。すると見ているものが少し現実味を増した気がする。絵空事ではなくなった気がする。

 絵を描く自分を深めない限り絵が深まることはない。自分の世界観を育てられるかが重要になる。自分の考え方、生き方が、明確にならなければ世界観は育つことがない。自分が分からなければ絵にはならない。コロナは自分というものの理解を深めてくれた。

 私絵画においては、あくまで自己存在からの、世界への確認が必要である。それ故に信仰や哲学のない人の絵は、世界観のない絵になる。美しいと感じる感性が、美しいと感じる人間としても見方にまで成らなければならない。観念的に書けば以上のようなことになる。

 具体的に考えてみる。耕作地を日々描く。自然の中に折り合いよく存在する田んぼを描く。それは、かけがえがないほど美しく見えるものだ。人間が生きていると言うことが、田んぼにはあるからではないだろうか。何千年もこの場所で稲を育てることで人間が生きてきたと言うことが見えている。

 庭園が美しいとか、自然の海や空が美しいと言うことは、絵における美しいとは、少し異なるところがある。そこには世界観に通ずるものはある。だから人間には美しいと見えることになる。その意味で、田んぼの風景には人間が宿っている。人間の生きる姿のようなものが田んぼにはある。

 幸せな家庭からは炎が燃えていると、詩人の八木重吉は書いた。炎を見る眼は詩人の世界観ではないだろうか。田んぼに人間の生き様を見るのが絵描きの目だと思う。手作りの耕作地には人間というものの姿が見える。自然に対する手入れの姿である。

 何千年もの人間の働いてきた姿がある。そのことに気付くと感動する。美田を残してくれた、人類の祖先たちの生き様に感動する。どれほどの挫折があり、どれほどの喜びがあり、今ここに静かに田んぼが存在する。その耕作地は自然とも言えるかのようにその場になじんでいる。

 少し実感を持って、石垣島の風景が見えてきた。人が生きることで作り出された風景。金沢にいた頃、大学に通うのに兼六園を歩いていた。随分贅沢な話だ。大学も金沢城の中にあった。しかし、兼六園がよくできた庭であるとしても絵を描くという気持ちにはならない。

 石垣島の田んぼに比べれば、自然への収まりが悪い。余りに人工的である。それは修学院離宮でも同じだ。良く出来ているがそれを描きたいということではない。人間がひたすら生きていると言うことには通じていないからだ。

 これは私の生きてきたという事情から来ているのだろう。それは誰にとっても特殊なことだ。自給自足に生きたことによって、耕すと言うことが輝いて見えるようになったようだ。毎日の田んぼの水回りが、田んぼに見えるようになった。

 そういうことが生きるという意味と繋がった。だからそれが描きたくなるのだろう。最終的には田んぼの田の一字を描けば良いのかもしれない。しかし今は石垣島の耕作地を見て思うところがある。この美しい自然の中になじんでいる田んぼのすさましさが見える。

 どれほどの命を削ってきたのかと思う。美しいの奥にある人間の命へ通ずるものが見える。それはコロナの中に生きた一年のおかげなのかもしれない。この田んぼを作りながら、マラリアにおびえた開拓者がいたはずである。

 その人がいて私が今ここにいる。風景はそうした時間を含んでここにある。すべてのことの結論としてここにある。はじめてマングローブ林に鍬を入れた人がいた。人は繰返し耕作を続けた。それは生きるそのものである。

 田んぼを取り囲む松やへごの木の密林を同じ眼で眺めたことだろう。浸み出てくる石清水にありがたさを感じたことだろう。暑いときにはのどを潤したことだろう。そして死んでいったことだろう。そういうすべての続きに田んぼがある。

 今も田んぼは自然に戻ろうとする力の中にある。この強烈な亜熱帯の自然の勢いに引き戻されそうな田んぼである。人間は巧みにこの力を削ぎ、耕作地を維持している。その自然の力と、人間の力が織りなすものすべてが風景というものを作り出している。

 石垣島にはこの人間の耕作の原型が見える風景がある。それに出会えたことは大きなことであった。しかもその中でコロナを体験した。人類はいよいよ行き着くところに行き着いた感がある。その中で石垣島の風景を描いている。

 これが今のところの私の徐々に明確になりつつある世界観になっている。絵もすこしづつ、明確になりつつあるのかもしれない。何を私の絵として受け入れられるかの基準が見え始めている。あと10年は描きたい。今見え始めたことが分かる日が来るかもしれない。

 - 水彩画