自分になりきること

自分というものが、どういうものであるか、よく考えている。自己中と言うことなのだろう。ダメなものだと言うことは分る。そのことをさらに考えてみると、自分になりきって、その自分が好きなものを感じて、それをやり尽くしたいということに行き着く。
絵を描くことが好きな自分というものは確かにある。絵を描いているときは無我夢中に成ることが多い。絵を描くことに没頭している。描いていれば時間がいつの間にか過ぎて行く。その絵を描く自分というものは、私自身が長年描けて作り出した自分という気がしている。
絵が好きと言うことに最初から確信があったわけではない。好きなことを捜せ探せ、とおやから言われて育てられた。子供の頃一番良さそうな答えをしたのが、絵と言うことだった気がする。絵を描くことが好きだと言いきってしまった。そこからそういう自分を作り出したような気がする。
その時は絵を描いている状態が好きと言うことは分った。描かれた絵が好きなのかというと、そういう興味は少なかった。世田谷中学に入学して、美術部に入りみんなで絵を見に行くと言うことは楽しかった。それで、新入部員の3人の畠山君、井沢君、と私で美術館に出掛けた事は思えている。
中学一年生の私は何かしたくてうずうずしていたのだ。絵の展覧会を見に行くと言うことでなくても良かったと思う。絵が好きという感じも、よく分らなかった。みんなで絵のことを話したこともあったとは思えない。何が良いのか全く分らなかった。
絵が好きでなければならないとは思っていたが、ボナールの絵を見たことで、絵に引き込まれてしまうと言う体験をした。何度もボナール展は見たので、何時のどの展覧会かは分らないが、ボナールに魅了されたのだと思う。その体験から絵が特別なものになった。
たぶん西洋美術館で最初に行われた展覧会は1968年だったとある。もしそうであるなら、19歳の時になるから、この時ではない。中学生であったのは確かだから、1963年くらいのことのはずだ。ラ・トゥールの大工聖ヨセフの真作が1966年に最初に来た。これが17歳で高校生である。この前に模写の方が先に来た気がする。間違いはないと思うが、これも記憶違いかも知れないが、書いておく。
日本ではラ・トゥールは田中英道氏が本を出版したほどの人気のある作家である。カラバッジオなどよりもむしろ日本人好みなのではないか。ナンシーに行ってから、フランス人にラ・トゥールの話をすると、郷土の画家に対するお愛想としか受け止められないので、不思議で成らなかった。
「大工聖ヨセフ」の本物が来たと言うことが二回目の展覧会で言われたので、ショックを受けた記憶があるのだが、どこか不確かである。ナンシーに行った理由の一つがラ・トゥールのことがあったくらい好きだったのだ。どこか記憶の底に残っている。
美術部で描いていた絵は見に行ったルオーの真似をしていた。ルオーのどこが良いのかは全く分らなかったのだが、あの油絵の具の盛り上げ方にびっくりしたのだ。1965年に西洋美術館でルオー展があった。とすると中学3年生の時になる。
そして、突然ボナールに飛躍して巻き込まれたのだ。家に帰り、ボナールが素晴らしいと言うことを父親に一生懸命話した。すると、昔の画家より現代の画家の方に引かれるのは当然のことだと言われた。自分にはラ・トゥールとボナールの年代差など全く意識がなかった。絵として同じに見ていたことの方に驚いた。
絵の他にも、鶏とか、金魚とか、犬とか、ベイゴマとか好きなことは色々あったのだ。しかしそれは親が期待していないだろうと、小賢しく考えて絵を描くことと答えたに違いない。そういう嫌らしいところのある子供らしくない子供だったと思う。
しかし、無理矢理答えた絵を描くことを今までやっていて、今でもまだまだやり足りない気分なのだから、驚く。無理に好きになったような気がしている絵のことが、やってみてやはり、自分の気質に合っていた。つまり良いという基準を自分で作れるという所が好きだったようだ。
そうであるとしても、絵に才能があると言うことはない。やはり父親が言ったのだが。父の兄の彫刻家の草家人を見ていて、芸術を目指す人間がどういう人間かよく分る。お前は芸術家向きではない。お前にはどこか弱いところがあるといっていた。今思えば父は真剣に私のことを見ていたのだと思う。
あの頃の子供は良く書を書いた。その字を見て弱いと言われた。書き初めなどを魅せると、字が弱いというのだ。そしてお婆さんの書いた時など魅せてくれて、これが強い字だと話してくれる。父親も良く書を書いたが、上手すぎるような字だと思っていた。自分の字が弱いという意識があったようだ。
始めてみれば実はどんなこともその奥には宝が詰まっている。宝のそばまで行けば、大抵のことは面白くなるのではないか。ベイゴマだって、強いベイゴマを作るための形態、材質、作り出す方法、そう鉄ごまに焼き入れまでしたのだ。それで誰にも負けないベイゴマ作りから、ものを作るという面白さを学んだ。
図書館ま
で行って同じ鉄でも固さが違うことや焼き入れすると鉄はどう変るのかなどまで、色々調べた。あの頃の図書館にいた人は子供が聞くと色々本選びを手伝ってくれた。学校の勉強などまるでしなかったのだが、ベイゴマ作りはもう熱が入ってしまい、学校を早退してまで作っていて、ひどく怒られたことがあった。
で行って同じ鉄でも固さが違うことや焼き入れすると鉄はどう変るのかなどまで、色々調べた。あの頃の図書館にいた人は子供が聞くと色々本選びを手伝ってくれた。学校の勉強などまるでしなかったのだが、ベイゴマ作りはもう熱が入ってしまい、学校を早退してまで作っていて、ひどく怒られたことがあった。
もちろん駒の回し方や、ルールの違いで使う駒の違いなどがある。ガリというルールがあって、上から叩きつけて駒をはじき出す技を使う、ガリ有りルールである。これには又違う駒が必要になる。ガリられ手もはじき出されない駒の作り方まで研究したのだ。駒の角度の問題が大きい。
そんなことはどうでも良いことだった。ベイゴマでも、絵を描くことでも自分というものになりきることが重要なことだと考えている。やり尽くせば、そのさらに奥にある世界が開けてくる。そこからが何でも面白いのだ。絵は才能はなかったのだが、もうそこまで行けば、才能などどうでも良いことになる。
今毎日考えているイネ作りでもそうだ。やり尽くすことが面白い。その到達点は、「満作稲による畝取り」である。イネ作りには分りやすい目標がある。小田原では到達した。しかし、石垣島に場所を変えたら、困難な中に入り込んだ。しかし、困難であればあるほど、面白いとも言える。
11月10日の播種を始めてやってみている。ここに可能性が潜んでいるかも知れないと考えている。毎日苗を見るときにドキドキする。種まき一週間で10センチ2葉期になってしまった。今日で二週間、随分徒長しているのだろう。これはまずい。しかしまだ可能性はある。