好きなことだけをやってきて、困らなかった。

好きなことだけをやってきた。他の選択はしたことがない。偉そうに書くほどのことでは無いのだが、嫌いなことが出来ないわがままな性格だっただけなのだ。我慢が出来ないもので、すぐ腹を立ててしまいヤーメタとなる。その結果好きなことを選んだというより、好きなことしか出来なかった。
ところがそれどうだったかと言えば、74歳まで何も困ったことがない。むしろ幸運な人生だったと思う。大半は親の御陰なのだが、それでも好きなことはとことんやって来られたのは有り難い。分りやすく言えば、このブログだって書くのが好きだから、もう長いこと毎日かかさず書いている。
面倒だなと思う日もないわけではない。やたら他のことが忙しくて無理な日もないわけではない。それでも親の葬式の日だって書いてきた。それは絵でも同じなのだ。35歳以降日々の一枚のつもりはなかったが、ともかくほとんど毎日描き続けている。東日本大震災の時は例外で描けなくなった。
絵を描くことが好きだからだ。絵を描いていればおもしろいからだ。35歳くらいまでは好きなことが多すぎたのだ。あれも面白い、これも面白いで色々やり過ぎた。それがだんだん絵と自給農業に絞られてきた。40歳の時には明確に後はこの二つをやりきろうと決めた。
どちらも、商品とは別物として、やる決意だった。商売でないから面白さが深くなった。売れる売れないとは関係がないので、楽しかったのだ。問題は売れないものを作っていることを、世間に馬鹿にされる点であった。良い趣味ですね。などと嫌みをよく言われた。
世間はお金成ることを目的にして、大きな顔をする時代になった。こんなくだらない世間を否定して生きる事になった。世間がおかしくなる分、私は江戸時代に戻った。自給自足時代の生き方の面白さを痛感した。人間これで生きて行けると確認できた。
お金のことは好きなことをやっていれば、何とかなるものだと言える。鶏を飼っていて、卵を販売することが出来るようになれば、学校の教員を止めようと考えた。教員もある時点までは好きでやったわけだが、人間相手が重くなった。人間を教える資格がなかった。
山の中の自給農生活の方がやたら面白くなったのだ。あの30後半から開墾生活ほど、わくわくドキドキする暮らしはなかった。明日をも知れずと言う日々ほど、おもしろいものはない。今も分らないことを試してみると言うことが一番面白い。
あの頃から、今に至るまで、35年間絵を描き、田んぼをやる生活を続けてきた。それで何とか生きて来ることが出来た。ありがたい幸運続きで生きてきた。好きなことはいくらでもやれるものだと思う。飽きることが無い。絵をどれだけ描いても終わりがない。
このところ来年の田んぼのことに熱中している。考えると、不安と期待でドキドキしてくる。ともかく最善を尽くしたい。今年は石垣島の稲作の方向が見えそうな気がしている。初めて4年目に入る。今まで田んぼや畑の準備段階だった。来年こそそれなりに出来なければ、何か間違えがある事になる。
田植えをどんどん早めてきた。これがどういう結果になるか。11月10日種まきである。冒険である。3年間日和見をして来て、ついに船出である。問題点もあるのは分っているが、良い面もあると考えている。一番は梅雨前に稲刈りが出来る事。台風前の稲刈りになること。
ひこばえ農法での3回の収穫を目指すためには、12月初旬の田植えは可能性が高い。問題は苗作りでの日照不足ではないかと考えている。なんとかよい苗が出来れば、大きな問題は無いはずだ。良い苗は畑苗である。水遣りぐらいの土壌環境。これがなかなか難しい。
今まで苗作りで失敗したことはない。石垣でも苗が悪かったことはない。その後様々な問題が起きている。これを描いている今も、苗代のことが気になって早く田んぼに行きたくなる。水の調整が難しいのだ。水没はいけないが、渇くのもまずい。
ともかく新しい事をやるのは面白い。絵でも田んぼでも同じである。石垣島に引っ越して来たのは丁度6年前の11月10日である。その時は石垣島に来たら絵を描くだけの暮らしにするつもりだった。思い出してみれば、もう田んぼも畑も辞めるつもりだったのだ。
ところが、来てから色々あったのだが、4年前から田んぼをやることになった。そして3年前からのぼたん農園をやることになった。そののぼたん農園が自分の最後の冒険になった。結局田んぼや畑が好きだったのだ。止めることが出来なかった。
それから絵を描くことと自給農業をやることの毎日である。好きなことをしている毎日は楽しい。これ以上の幸せはないだろう。好きなことが後どれだけ出来るかである。身体さえ元気であれば良いのだが、今のところ眼が危ういが、後は何とかなっている。