自給生活の楽しさとAI革命の希望

これからの人類の生き方で重要になるのは、自給自足生活である。それが出来るだけの条件がコンピュターAI革命によって整いつつある。蒸気機関の登場に始まる産業革命によって、人類は肉体労働に支配される世界を抜け出た。コンピュターAI革命によって人間は知能労働に支配される世界を抜け出ることになる。
頭が良い人間が、頭の良くない人間の上位に居て支配する。現代社会の差別状況はおわる。人間はAIによって能力差別の世界を抜け出ることになる。能力差別は、人間の最後の差別である。末期的な資本主義の競争が世界を戦争の時代へと進めている。世界戦争が回避されるとすれば、AIの急激な成長にある。
競争をしなくとも人間は生きて行ける世界が、AIによって来る。人間が生まれてきて死ぬと言うことには何時の時代も変わりは無い。その生きている時間を一人一人が充実させて生きる事ができる時代が来ると言うことだ。肉体労働に縛られる時代を機械が克服してくれた。一人の人間が考える限界をAIが突破してくれる。
能力競争の時代が終わる可能性が出てきたのだ。能力競争がなくなるのであれば、人間は自分が十二分に生きると言うことに、すべてを費やすことが出来る。自給自足に生きる事が誰にでも可能になる世界が、そこまで来ている。人を押しのけて、蹴落として生きる必要がなくなるのだ。
絵を描いて生きて行くという純粋な喜びに、邁進できることになる。過去の時代は絵など描いていては生活が出来ない。と言うのが普通のことだった。仕方がないので、絵画を商品として考えて、売れる絵を描くことで、絵を商品として、販売して生きて行くことになる。
もう少し前の時代であれば、支配階級に取り入って、お抱え画家になる。しかし、当然のことだがそれは競争に勝ち抜いた一部の人にだけ許されたことだ。絵が藝術とは言いがたい時代の話になる。絵が藝術として自立したのは、印象派以降である。
それでも、純粋な画家ほど生活は出来ない。絵を描くと言うことを純粋に追求するつもりだった人が、いつの間にか商品としての絵画を描くことに翻弄されることになる。そして、商品としてのランクで、社会的な評価や地位が決まり、栄誉欲までが絵を描くと言うことに伴うことになる。
絵を描くという、人間が生きると言うことに直結した純粋で素朴な喜びが、資本主義の価値観に巻き込まれ、醜悪な形でゆがめられて行くことになる。これが資本主義末期の商品絵画となり、異様で、即物的で、大衆的な絵画が持てはやされ、藝術の終焉になる。
それは、歴代の日本の文化勲章受賞の絵画作家を比較すれば、分かる人には明瞭に分ることだ。藝術とは呼べないようなものが、芸術と称せられる時代が来てしまった。そして一時代が終わる。この次の時代はAIコンピュター革命時代である。人間が出来る事ややるべき事の意味が、明らかになる時代に転換する。
音楽にレコードが出来たことで、大きな変化があったように、絵画もAIの登場で描かれた結果としての絵画よりも描くことの方に重点が移る。いわば絵画のスポーツ化と言えば分りやすいのかも知れない。確かに世界新記録を、最高水準のものを目指すのもあるのだが、そうで無いからと言ってスポーツをする喜びを味わっていないとは言えない。
自己新記録を目指してスポーツをする。同じように絵を描くと言うことにも自己探求としての私絵画がある、人間の根源に触れるような喜びの行為は必ずこれからも続いていく。絵画が商品経済から切り離される時代が来る。どれほどの名画も、簡単に再現できる時代が来るからだ。
装飾品としての絵画は、精密な複製によって充足されることになる。我欲の強い人間はその時も相変わらず版権がとか、制作者の権利はとか言いつのるだろうが、AI革命はそうした、人間の個別の欲求を無為なものとする時代を生むはずである。
良いものは人類の誰もが共有すれば良い時代が来る。個別性とか所有欲などと言うものはどんどん薄まって行くはずである。となると重要なことは一人一人の十分に生きると言うことに集約されて行く。絵は描くという行為の深さがその人の充足に繋がるかどうかが問われる。
それは人と較べるようなものではないだろう。あくまで自分自身が内に向かって深めて行くことになる。その新しい時代に描かれた絵画は、まだどういうものかは分らないが、それぞれ描いた人のものであり、自分の中から湧き出た描きたいという欲求で絵いた絵である。
多分そうして描かれた絵が並べられる時代が来ると、それが競争を越えた時代の自己探求の絵画がどういうものなのかが見え出すことだろう。今の時代はまだ、商品絵画時代の末期と言うことなので、すでに動き出している、私絵画の時代が見えにくいことになっている。
人間が行為する重要な藝術活動がある。そしてもう一つが自分が食べるものを作るという自給活動になる。人間にとって自分を作り出している、食料を作ると言うことは、生きる原点の確認になる。AIコンピュター革命で人間の働くという意味が、洗い直されることになる。
洗い直
しの原点に、自分の食べるもののことがある。食べるものがおかしければ人間もおかしくなる。食べるものが腸内細菌を作る。腸がおかしくなれば、精神もおかしくなる。良いものを食べるためには身土不二である。自給自足がその原点になる。
しの原点に、自分の食べるもののことがある。食べるものがおかしければ人間もおかしくなる。食べるものが腸内細菌を作る。腸がおかしくなれば、精神もおかしくなる。良いものを食べるためには身土不二である。自給自足がその原点になる。
食べることで生命を維持できる。食べるもので自分が作られている。それを自分の活動で生産してみる。その食料の生産によって、生きると言うことの意味を自覚する事が来るはずだ。どうすれば自分の食料を自分に相応しく生産できるか。
これが次の時代の人間の生き方の重要なことになると考えている。それそれが自分の食料を作るためには、一日一時間の労働と100坪の土地があれば可能である。化石燃料を使わず、自分の肉体だけで働く。農薬も化学肥料も使うことがない。AI革命で、さらに簡単にできるようになるはずだ。
食べるものを作ることに一度は戻るのだと思う。1日一時間健康体操のつもりで農作業をする。そしてこの簡単なことで、これで生きていけるという安心立命に至る。次の時代は自分の好きなことをして、生きる時代になる。AIコンピュター革命は人間が正しく受け止めることが出来れば、そうした時代をもたらすはずだ。
自給生活には人間の根源に触れるような、深い感動がある。これでいいのだ。ニャロメ!と言うような何をやっても許されるような安心がある。そのためには自給技術の確立である。今のところひこばえ農法と行っても、期待するような答えがない。もう一息自分で頑張るほか無い。
以上のように楽観で書いたわけだが、産業革命が原子力を生み出し、原爆を作り出し人類を危機に追いやっている。AI革命も同様なことになる。人間を滅ぼすさらなる危機を作り出す可能性も高い。これを良い方向に持って行けるのかどうかは、人間自身にかかっている。