「アジア版NATO」が消えた

   



  新しく総理大臣に就任した石破氏が持論としてきた「アジア版NATO」の創設や日米地位協定の改定を、所信表明演説で表明しなかった。長年主張していた、政治家になり最もやりたかったはずの主張を、ここで言わなければならないという場面で口にしなかったのだ。
  アジア版ナトウは石破氏の構想と私の考える物は似て非なるものである。アメリカを中心にしたナトウでは、仮想敵国中国を前提にしたものだ。むしろ、アジアの中堅国がまとまって、アメリカや中国から距離を持つことを、構想とすべきものなのだ。それでも、アジア版ナトウの議論を始める必要がある。

 一体何のために総理大臣になったのかと思う。沖縄では日米地位協定があまりに日本が隷属的なものになっていることを、対等なものにしたいと言うことで、県知事が何度も政府に地位協定の改定を要請している。ひどい事件が起きる度に政府も進めるようなことを、一応口にはしてきた。

 その意味では石破氏は長年地位協定改定を持論としていたのだから、今度こそアメリカ政府と地位協定の見直しで、戦ってくれるのかとみられていた。所がこれも封印である。何という弱腰の政治家であるか。やはりこの人は総理大臣になりたいが為になっただけの人だ。

 そして、総理大臣になるとなったならば、裏金議員を選挙では公認すると前言を翻した。所がさすがにこれには世間の批判が巻き起こった。その途端に裏金議員を非公認にするとさらに前言を翻した。まさに朝令暮改 ということだ。一体石破茂という人間はどこに居るのだろうか。

 すべては選挙を早くやって、ぼろが出ないうちに進めようと言うことなのだ。どんな総理大臣でも出てきたときには一応期待感はある。この人なら、前の岸田よりはましかも知れないと思うのだ。その理由のない期待感の間に、何も言わずに選挙をしてしまう作戦のようだ。国民をそれ程馬鹿にしているのだ。

 こんなにつまらない人間だったのかと思う。今回の国会での答弁を聞いていても、全く才能を感じない。あまりに凡庸すぎて、自民党ならこういうだろうと言うことを、普通にしゃべっているだけ。まさかこういう人だったのかと、以前のテレビ向きの、評論家的面影はどこに消えたのだ。

 昔はテレビの前ではつい言い過ぎていたわけだ。そうしなければもうどこでも目立つ場面もないところまで、自民党内でも見放されていた。しかし、その評論家のような発言が、世間受けしている側面があって、自民党の不人気が極まった中では、党内の期待が石破氏に集まるほか無かったのだ。

 これでは凡人岸田前総理以上に凡庸に見えてきた。岸田氏は出来なかったことではあるが、道徳のある経済を一応は掲げた。一応石破氏の看板は「国民の共感と納得」が上げられた。しかし、全く共感が生まれない納得も出来ない、裏金議員の処遇である。

 国民は何故政治にお金がかかるかを聞きたいのだ。たぶん、お金をばらまかなければ、自民党の下部組織は動かないのだろうな。選挙やるためには、何らかの接待が必要なのだろう。あるいは国会議員からその下部組織とお金が流れないと、油ぎれになるのだろうな。と言うことで見ているのだ。

 それはなんとなくの想像で、自民党全体が金権体質になっている。というのは事実かどうか分らない。なにしろ、高市氏によると、国会議員には20万から30万しか残らないという表明があった。それが自民党議員の正直な実態であるのならば、すべてのお金の出入りをクレジット決済にしたら良いだろう。

 国民の税金が政治資金として使われているのだ。そのお金でまさか接待しているのでは、公開できないだろう。公開すれば、接待をして貰えない人は、馬鹿馬鹿しくて、投票をしないだろう。何しろアベ氏の場合、後援会の人には桜の会の参加が認められ、東京の一流ホテルで接待があったのだ。
 
 それが民主主議に必要な費用とは到底思えないのだ。いや、それはすべて疑惑である。疑惑の原因は領収書のいらないお金の出入りだからだ。国民の多くの人が、どうも自民党の政治資金の使い方は怪しいとみている。公明正大には出来ないお金が動いているように見ている。

 第一にパー券を買うと言う企業献金のやり方が、その仕組み自体が集金システムであって、昔の不良中学生がやるような稼ぎである。歓楽街に蔓延るメカジメ料である。企業がお金を出すのは、自民党に政治を担って貰いたいと考えるから献金するのだろう。

 それならば、裏金でやる必要は無い。堂々と見える化すれば良い。政治と経済は繋がっている。企業が自民党を応援したいという気持ちは良く分る。隠して行わなければならないと言うことが、問題の根源なのではないだろうか。隠すと言うことの裏にあるのが、自分だけ特別扱いにして欲しいという、利権に繋がる。

 石破氏は就任前から、金利を上げるとか、金利を今は上げる状況では無いとか。色々発言をした。それによって、円高が進んだり、また円安が進んだりと乱高下した。総理大臣たるもの、金利に対して直接的に口を挟むのは、どうかと思う。どうかと思うが、企業からはそういう要請はあるはずだ。

 輸出型企業は円安誘導
をしてくれる総理大臣を支援したいのだろう。しかし、こんなにあからさまに金利に対して直接発言をしては、総理大臣としてはまずい。日銀の総裁の判断と行動の権威を守る必要がある。まあ、今までは気に入った人を任命すると言うことだった。

 権力の分散である。権力を総理大臣から分散して、独裁にしないと言うことが、民主主議国家の厚みのある力になる。一人の総理大臣がすべてを決め手は成らない。それが三権分離の考え方である。日銀の総裁の独立性は、経済の民主主議の形なのだろう。権力が分散していれば、日銀総裁に賄賂を送るという人も無い。

 石破氏はどうも総理大臣の能力がなかったのだ。評論家にでも成れば良いような、実践力の無い批評家だったようだ。「相撲取り引退して強くなり。」である。農業でもやらない人間は、やれない人間は意味が無い。園芸の趣味と農業を勘違いしている人が居る。

 農業では生産物がすべてである。収量と品質である。養鶏業であれば、良い卵を沢山作れるかどうかである。良い卵とは、命を繋ぐ力が強い卵である。2ヶ月保存してもひよこになる卵である。卵が美味しいというようなことはその卵から学べば良いだけのことだ。

 しかし、その実践が出来ない人間は意見など言っても始まらないのだ。評論家は自分が出来ないことを、ついつい口にするのだ。総理大臣は実践家である。日米安全保障条約を動かす力があるのだ。アジア版ナトウと日米地位協定の見直しを是非とも、所信表明演説で、口にして欲しかった。

 その上で総選挙をすべきではないか。今行った所信表明演説はすでに解散を前提のものなのだ。実践は選挙が終わってもしも選挙に勝てば始まることなのだ。なぜなにも言えないつまらない人になったのか。予算委員会を開かないのも、やれば不利になると考えたのだろう。

 国会の議論を軽視する、こんな民主主議はないだろう。国民に考えを伝える場を自ら抑えたと言うことは、国民に秘密裏に事を進めたいと言うことになりかねない。自民党を今度の選挙で勝たせてはならない。こんな状況で自民党が勝利するようでは、もう日本に未来はないだろう。

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