失敗学といってみる、

絵を描いて居ると、必ず行き詰まる。当然のことである。いまだかつてない絵を描きたいと思っているのだから、何かを発見しなければ先には進めない。当然失敗ばかりである。失敗をして何故ダメなのかを考える以外に進む方法がない。やってみてダメだということが分かれば一歩前進である。
それは田んぼで学んだことだ。今までいろいろのところの田んぼで稲の栽培を試みてきた。いつも萬作のイネづくりを目指してきた。萬作のイネというのは、その稲の一番元気な姿である。サトジマンであれば、15枚の葉をつけて、分げつが25本以上。止葉は50センチ以上で葉の幅は2センチ以上で、しっかりとして厚い。その成果は反収10俵以上。ということになる。
この萬作の姿にならなければ、まだ何かが不十分なイネづくりなのだ。萬作という目標に向かってあれこれ試行錯誤して、イネづくりをする。そして何としても、失敗を重ねてその目標に到達する。それは充実した失敗の連続なのだ。失敗をするからそれではだめだということが分かる。失敗をを繰り返す以外に萬作のイネづくりは不可能なのだ。いま、石垣島で失敗を重ねている。
イネづくりで失敗することの必要を学んだ。だから、絵を描くことでも、思いつくことは何でもやってみて、それがだめだということを確認する以外に道がない通っている。すべてのダメをつぶせば、これが自分の絵だというところに行けるのではないかと考えている。
といっても稲作りよりも、絵の難しいところは行く先が見えないことだ。稲ならば満作が素晴らしい。それは私にとって明確な目標だ。ところが絵は何が良いかがないのだ。あるという人もいるが、私にはまだそのことがわからない。目標がわからないながら、わかっていることがある。それは絵を描くという充実である。
日々生きていて、描くという時間ほど充実した時間はない。生きているのだと思う。見えない絵という目標に向かって、自分のできる限りの努力を向ける。この充実以外に絵を描く意味はどうもないのではないか。だんだんそのように思えてきたのだ。ではその結果描かれた絵は何かと言うことになる。
私にとって良く生きるということは、充実して絵を描くことだといえるのではないか。生きると言うことの先にあるものは死ぬと言うことだけだ。生と死を明らかにする。そのように道元禅師は言われているわけだが、絵を描くと言うことが今を生きるという味わいなのではないか。その味わいを深める。只管打画しかない。
座禅をすると言うことは結果を求めることではない。座禅そのものが目標になる。その時間の充実に生きるわけだ。描くと言うことの結果の絵というものは、何かを生み出しているのかもしれない。それは正直わからない。今のところ、わからない結果が私の描いた絵だと言うことになる。
絵を描くことにはイネづくりのような明確な目標がない。描く方角を自分で決めることになる。方角が正しいのかどうか、常に迷い続けるのが普通だろう。道元禅師のように只管打坐と決めてただ一筋に生きるということはなかなか難しい。私は乞食禅である。何かを得たいえたいとあがく。良い絵を描きたいとあがく。良い絵というものをどのように乗り越えるかがむしろ目標なのだと思う。
道元禅師も宗派を作り寺院を建立し、正法眼蔵を著作する。一体何が只管打坐なのだろうかと思う。座禅をする時間を割いて、何故曹洞宗を広めなければならないと考えたのかが不思議だ。只管打坐でありたいとは考えていたのは確かだが、なかなかそうできないこともあった人と考えていいのだと思う。
道元禅師だって失敗を繰り返して、矛盾の中に生きて、正法眼蔵の哲学に至ったと考えた方がいいだろう。天才には天才ならでは苦しみもあるはずだ。まして我々凡人であれば、やることなすこと失敗である。うまくゆくなどほとんどない。しかもたいていの場合失敗の原因が自分の怠慢にある。
情けないことだが、普通の人間はやると決めてもやりきることができない。ぐうたらなものなのだ。ぐうたらでもいい。ダメでもいい。それが人間が生きるということだと思っている。そのように自分を許しているわけではない。だから絵という矛盾を含み混むようなものに憧れているのだと思っている。
描かれた絵は只管打画の実態を表している。絵は自分の生きる日々の道標である。冥土までの一里塚である。おまえは前に向かって歩いているのか。この実態の様相を絵が答えてくれている。昨日描いた絵よりも今日描く絵が、前に向かっているかどうか。人と比べるのではなく、自分の昨日と今日を比べて生きる。
今日描いた絵もダメなのだ。いや、描いたときには十分に描けたと思うこともある。ただ、しばらくたってみると、やっぱりまだまだなと思うばかりである。それでも、1年前、10年前と比べると、良い絵を目指さなくなっているとは思う。少しずつ自分が描いたといえる用になりかかっているかなと思っている。
これで十分だと言うことはない。でも昨日よりは良いかもしれない。自分なりで良いと思っている。自分という人間の生きる日々である。絵はあくまで自分の一里塚である。人間それぞれに一里塚があると言うことなのだろう。向かう道の先はそれぞれのものなのだ。高い山で
なくとも、自分の道を探してゆくしかない。
なくとも、自分の道を探してゆくしかない。
後長くて25年である。いつも北斎をまねて、100歳を冥土としているが、実際にはいつ断ち切られても不満は言えない年齢である。75年も生きて、絵を描かせてもらっているのだ。文句を言える筋合いはない。これからの1年一年は感謝して、お礼を言いながら生きる一年だと考えている。
いつ断ち切られても仕方がない日々である。不思議なことでだんだんにそれを受け入れられそうになってきた。ただ、絵を考えるとここでは終われない。絵はあまりに途上であることがわかる。自分の絵がまだ遠い。私は結論を求めて描いているわけではないので、それも仕方がないのだが、只管打画がいつかどこかに到達するという夢は描いている。
100歳までやれば、何でも描けるとは思っていない。北斎も出来なかったのだと思う。それでも自分の絵を描くという道の、目的地の方角は見えてきたのだろうとは思っている。ダメの繰り返しではあるが、それを悪いことではないと思い、ひたすら今日を生きてゆきたい。
これからの一日一日、中川一政氏のように、活力にあふれた生き様でありたい。70代よりも80代。80代よりも90代が素晴らしいという生き方でありたい。その結果の絵が、それなりのものであることが目標ではあるが、それは運命のようなものだから、仕方がないことだ。今日も精一杯やってみよう。