斎藤知事がおかしくなった理由

斎藤知事はかなりおかしな人である。おかしくなってからしか知らないので、なぜこんなおかしな人を、兵庫県の有権者は選択したのかと驚いていた。経歴を調べてみると、この人にはおかしくなる理由があった。みんなが寄ってたかって、おかしな人にしてしまったということが分かってきた。
この人の経歴をじっと眺めていて、なるほどなと思えた。正常な判断力を失うまでには、それなりの道筋はあったのだ。なぜそこまで言うかと言えば、この人にとって唯一の今最善の道は、早くやめることだ。それ以外にはさらに苦しいばかりになり、しかもその悪い印象が蔓延してゆく。
現在、維新の吉村氏が唯一の支持者で、維新の会は罷免要求はできないらしい。これは悪くない。最後になって見限ったようだ。小泉進次郎氏によると次の総選挙は近いそうだ。そこまで斎藤氏が粘れば、維新の会が崩壊するだろう。吉村氏にも今の姿勢で頑張ってもらいたいものだ。と期待したのだが。
今後の人生を考えたならば、選択肢がもうないということが分からないようだ。今この人は兵庫県の顧問弁護士が、公益通報には当たらないといった。ということにしがみついている。いよいよ裁判になれば、自分が判断したのではなく、弁護士の判断に従っただけだと言い出し、責任を逃れられると考えている。
斎藤氏は我が身以外のことは考えていない。顧問弁護士もどうもある意味内部通報された利害関係者らしい。だから慌てて切り捨てようとしたのだろう。弁護士には能力の低い人、あるいは質の悪い人がかなりいるから、気を付けなければならないのだ。暴力団専門弁護士だっている。
斎藤氏はそもそもは総務省に入省した元官僚である。東大を出て、総務省で初めて社会人になり、官僚としての処世術というか、要領の良い生き方を学んだのだ。頭は回る人だから、たちまちに官僚の世界の異常な上下関係を学んだのだ。ともかくへつらうことが何よりもの勤務態度だったはずだ。
大阪の経済部長だった時、維新の会の吉村氏や松井氏と交流ができたようだ。おとなしい良く命令を聞く人だったので、今の豹変ぶりに驚いたと言っている。まさにそういう官僚の世界の上下関係にたけていた人で、吉村氏などを丸め込むのは簡単だったのだろう。上に立つまでの我慢だと腰を低くしていた。
官僚の世界で、卑屈な人格を育てたと思われる。この人が着目したのは、出世する官僚の世渡り術であったのだろう。出世するためには、公文書の書き換えまでして、しかも部下にその責任を押し付けるような官僚達から、多くの世渡りの術を学んだのだろう。
上級官僚になるような人は、頭が回る人以外はいないはずだ。計算も早くできるのだろう。その中での争いである。様々なつらい場面も経験したはずだ。それは就職をするまで、何でも優秀なおりこうさんで生きてきた人には、人生観を変えるような、新たに構築するようなことが起きたと思われる。
優秀さを見せただけでは、みんな優秀だから気づいてももらえなかったに違いない。以下すごいものなのであえて載せるが斎藤氏の経歴である。
平成14年3月 | 東京大学経済学部卒 |
平成14年4月 | 総務省入省 |
平成20年4月 | 佐渡市企画財政部長 |
平成22年4月 | 佐渡市総合政策監 |
平成23年4月 | 飯舘村政府現地対策室 |
平成25年7月 | 宮城県総務部市町村課長 |
平成26年4月 | 宮城県財政課長 |
平成28年4月 | 総務省自治税務局都道府県県税課課長補佐 |
平成29年7月 | 総務省自治税務局都道府県県税課理事官 |
平成30年4月 | 大阪府財務部財政課長 |
令和3年3月 | 大阪府・総務省退職 |
令和3年8月 | 兵庫県知事(1期目) |
官僚の出世コースについては、知らないがこの人は就職6年目に佐渡市の企画財務部長に転任している。本庁に残る出世の道から外れたコースを歩いてきた人のようだ。この点は想像だ。佐渡島に島流しになったと思ったのではないか。石垣市にも島流しできたお目付役出向の官僚が、中山市長を軍国市長に仕立て上げているといわれている。
うまく自分を隠して、吉村氏のように人を見抜く力はなさそうな人に取り入ったのだろう。そして、維新の支持を得て、兵庫県知事に立候補した。騙されていた吉村氏の甘いところなのだが、隣県の知事を罷免要求するのはいかがなものかなどと、維新としてはなかなか斎藤氏を切り捨てることができなかった。
それは元維新の橋本氏なども同じで、最初は何かもごもごあいまいなコメントをしていた。世の中の風の流れを見て慌てて、批判を始めた。もうその時には機会を逃していた。維新より偉くなってしまって、何も聞かない状況に進んでいた。こういう人の人格を考えれば一度おかしくなればもう修正は効かない。
私はこれで良かったと思っている。兵庫県民は迷惑なことだが、選挙で選んだ罪がある。こうしてダメな人を選ぶと、大変なことが起こるということを日本中が学ぶ事例だ。国会議員だって同じだ。有権者の間違った選択が日本を戦争にまで引きづって行く。喜夫つけなければならない。
まだしばらく、醜い保身がテレビで毎日流れる。斎藤氏は最高裁まで戦うかもしれない。たぶん誰でもが身近にもそういう人は一人ぐらいはいるはずだ。ドツボにはまり動けなくなる。そして人生を棒に振る。誤りを正すことは恥ずべきことはない。申し訳なかったと謝罪して、刑務所に行くしかないのだ。
やり直せない人生などない。これほどひどい失敗をしたのだから、この失敗を次の材料にすれば、新しい人生があるはずだ。ホリエモンだって刑務所帰りで、社会復帰して今では、かなりの影響力を回復した。失敗したときにこそ自分の生き方を学ぶ機会になるはずだ。