90歳を超えた歯科医

南足柄市の畑の中にある歯科医に通っていた。その歯科医の先生がすばらしい人だったからだ。何しろ私が付け歯が取れて、困って先生のところに行ったときに、そうか自分でアロンアルファーで付けたのでは取れるよと言われた。
そうではなくて、山北にあっただめな歯科医で付けて貰ったのですぐ取れたのだ。取れたら自分で接着するなど考えたことが無かったので、そうか接着剤で自分で付けるという手があったのかと、まずそれを考えなかったことが恥ずかしかったのだ。
その歯科医は私が通った頃には、息子さんが中心の親子先生の歯科医院である。何故か最初から私は老先生ご指名になったのだ。確かに老先生が良かったのだが、特にそういうことを口にしたことは無かったので、まず初心の人は老先生が担当かも知れない。
何かの都合で一度老先生になった人は、そのまま老先生と言うことらしかった。なんとなく老先生でなく若先生で無ければと言う患者さんばかりだったようで、老先生に見て貰う私は、行けば待たずに見て貰えるありがたい状況だった。
老先生は子供の頃に、南足柄から山北まで歯科医がない。これは住民にとってとても困ることだ。勉強をして自分が歯科医師になろうと決めたのだそうだ。そして臥薪嘗胆かどうかは分らないが、歯科医に成られたわけだ。つまり、あの地域の最初の司会の先生である。
そもそもそういう生き方が素晴らしいではないか。何故そんなことを私が知っているのかは、もう忘れたが山北周辺では誰でも知っている有名な話だったのだと思う。若い頃に人のためになる生き方を選んで、それを実現したと言うことがすごい。
私がこの先生を一番尊敬したのは、「この歯は確かにだめだが、直すかね。」と言われたことだ。「歯は死ぬまでの間使えれば良いのだから。」このように言われたのだ。あれも直せ、これも直せ、歯並びがおかしい、親知らずは抜いてしまえ。
少しでも治療をしたがる歯科医ばかりのところ、がまんできれば直す必要が無いという考えなのだ。「歯は死んでからは使えない。」とも言われていた。口癖だったのかも知れない。そして、これから直すとすればどうやるかを詳しく話してくれる。
歯科医から直さなければ顎の骨まで腐るなどと言われたら、やらざるえないだろう。しかし、私はお断りする。老先生に言われた「死ぬまで使えれば良い。」この一言が頭にあるからだ。何とかなる間は治療はしない。できる限り司会には行かない。
経験的に考えれば、治療してダメになった歯の多いこと。歯は治療しようがしまいがたいした変わりは無いと思っている。
多分今ご健在ならば、100歳を超えられているだろう。時々前を通るが中の様子は分らない。私もあの老先生のようになりたいのだ。仕事が出来る間はやり続けるという姿勢が素晴らしいと思えた。気になったのは子供を連れてきたお母さんが若先生でお願いしますと指名した点だ。
子供を思ってのことだから仕方がないが、それでは老先生に失礼ではないか。そう思ってよく見ると老先生ご指名の者は年寄ばかりで、何でも直した方が良いと思うような若い人ばかりだ。歯を治しに行って、いまさら直さないでも良いよ。と言うような人が老先生担当である。
何時までも老先生のことは心に残る。出会った偉人の一人である。歯医者さんに行って、人生を学んで明るい気分になって帰るなんて素晴らしい。私もそんな人間になりたいものだ。その通りで、自分のことだ。自分がそんな人間になりたい者だが、成れるかどうかである。
何故、歯は死ぬまで持てば良いと言えたのかである。もう90歳を過ぎた人だからだ。年寄の良さなのだろう。90歳の方に、死ぬまでの時間を、自分事として話して貰っている。これはしみじみと心に染みる。歯はアロンアルファーで自分で付けとけば良いという先生である。
歳をとったならば、老先生のような自由な空気の中に居る年寄が良いと思ったのだ。多分明治生まれの先生だったのではないか。そうか、まだ50歳頃の話になる。先生がもう生きているはずがない。あれから25年は過ぎたのだ。息子さんの若先生が老先生になっているのだろう。