62年前の小学生ラジオ番組

   



 昼ご飯を食べながら、ラジオを聞いていることが多い。11時30分過ぎから食べていることが多い。FMラジオである。石垣島の崎枝は電波状態は悪い。「のぼたん農園」ではFMしかはいらないことが多い。AMラジオは中国語か、韓国語が聞こえてくることの方が多い。

 たまたま聞いていたら、面白いラジオでつい最後まで聞いてしまった。いつもは人生相談を聞いているのだが、人生相談がハマルのだ。人の不幸が面白いという嫌みな趣味というわけではない。回答する人の回答が上から目線の珍回答、迷回答で、たまに泣けるような名回答なのだ。漫才を聞いているようなものだ。それでも悪趣味と言えばいえる。

 その日は日曜日だったもので、人生相談はない。それで周波数を変えるとNHKがきれいに聞こえた。「伊集院光の百年ラヂオ 」小学生たちが大人顔負けの議論を展開!【僕たちは子供である】 途中から聞いた。今の子供にしては随分しっかりと討論しているものだと思ったら、私の子供時代のラジオ討論である。

ーーー今回は、昭和37年に(1962年)香川県で放送されたローカル番組「皆さんとともに」から【僕たちは子供である】をお送りします。小学生たちが大人顔負けの議論を展開!昭和30年代に子供時代を過ごした方、必聴です!
  ▽戦後17年、戦争を知らない小学生たちが語った太平洋戦争 ▽戦争ごっこ賛成?反対? ▽戦争がない今の時代は幸せか?子どもたちが語った夢 出演:伊集院光、礒野佑子 

 伊集院光さんと礒野佑子さんは、さかんに「子供が語ることが、しっかりしている」とシャベルのだが、そうかな昔の子供は誰でもこの程度だった。そもそも子供は別段大人と変わりなく考えては居る。大体のことは分っては居る。普段は戦争と平和などについて、子供の分をわきまえているから、正面から語らないだけだ。

 少なくとも、私自身は子供の頃も今も、戦争と暮らしのことで、考えていることは似たり寄ったりである。何か考えが深まったとは思えない。子供の頃も何故戦争はいけないのかと考えていた。「なるほど戦争をしても何も解決しないからだ。」と理由に思い当たった。

 人が死ぬから戦争がいけないわけではない。交通事故でも病気でも人は死ぬのだ。歳をとれば必ず死ぬ。死ぬのは嫌だし怖いが、死ぬと言うことは、命あるものすべてに起こることだ。だとすると何だろう。と子供ながらに(この合いの手がまずいのだろう)、随分考えた。その結論が戦争は問題の解決にならないとからだと分った。

 その考えは今でも少しも変らない。今でも子供っぽい人間とは言えるのかも知れない。というか、あまり変わることなく75歳まで来た。子供は頭が幼くて幼稚であるというのは、そう思いたい人の思い込みである。子供達の戦争論は国会での中国仮想的国論などを聞いていると、大人の方がよほど頭が悪いというか、たちが悪いとしか私には思えない。

 自分が軍隊を強化したいと考える人達ならば、あれこれ何でも軍隊強化ための理由付けに使うばかりである。何故軍隊強化をすれば安全が高まるかについては、当たり前と言うことで議論がない。子供と違うのはここで生活感を失うのだ。

 いい大人は、自分の経済と戦争を計算している。自衛隊が強化されるとなると、自分はどのように立ち回れば得が出来るか。自分がそれを押せば、軍国主義の人が自分に投票してくれるとか、あるいは軍事産業の人が、パー券を買ってくれる。あるいは統一教会に言わされる。と言うようなことが、発言の直接の動機になる。

 子供のように純粋な裏のない議論にならないために、様々な裏事情が背景にあるのを隠してしゃべるので、何か回りくどくなる。石破さんなど総理大臣になって支離滅裂である。自分にとって得なことがどこにあるかが、中国の覇権主義が出てくる理由だ。覇権主義に対抗する方法は軍備だけでない事ぐらい子供なら分る。大人の議論は思惑が強すぎる。

 自分が戦争を目指すという理由に、相手が悪いからと言うのは、幼稚な言い訳にすぎない。自分が戦争を直接したいと言うことは少ないだろうが、その周辺で得が出来るという計算が強いのだ。その結果回りくどい、ごまかしの議論を行うことになる。

 アジア版ナトウ計画がまさにそれだ。石破氏がASEANにゆき、首脳外交をしたにもかかわらず、それを言わなくなかったのは、言いたかったが言えなかったのだ。アメリカの思惑が頭をよぎるわけだ。どうせ短命の政権なのだから、言うことだけは言えば良かったのにと思う。

 私もアジア版ナトウ計画は希望があると思っている。アジア版ナトウの議論が重要だと思っている。東アジア全体で具体的に議論されるようになれば、石破氏のアメリカ寄りのアジア版ナトウとは全く違ってくると考えている。ここから平和外交が始まるはずだ。

 ただ平和平和だと話し合っても、もまともな議論は起こらない。大人は思惑が多すぎるからだ。核廃絶は誰でも正しいとは考えている。子供が世界を支配していれば、とうの昔に核は廃絶されている。子供はノーベル賞だ。変な思惑が少ないからだ。核兵器が人類を滅亡させることが理解できるからだ。

 子供達が夢を
語り合う。これは高度成長期前後でまるで違うとおもう。AI革命前後と言っても良い。今の子供には夢が語りにくいだろう。団塊の世代の子供時代は、いつでも夢をと、歌謡曲でもよく唄われたものだ。希望の時代だったのだ。どんな夢を持つかは、子供の定番だったと言っても良い。

 夢を持つ子供が良い子供だった時代。父は子供の仕事は自分の好きなことを探すことだと、口癖のように言っていた。それで一番好きだった絵を描くことを一生やることになった。実に有り難いことだとおもう。御陰で日々面白く生きてくることが出来た。

 子供の頃から好きだった絵を描くことを、そのまま続けていられたことは、有り難いとしか言いようが無い。父が私が生きる経済的な道筋を着けてくれたのだ。つまり、父は好きなことを自由にやれるような、経済的準備までしてくれたのだ。そこまでして好きなことをやれと言っていたわけだ。

 時代が高度成長である。頑張れば夢に到達できるという実感があった時代なのだ。東京タワーが建てられ、東京オリンピックが行われる前の時代。子供が夢を持つ事ができた時代。先日も同窓会で、夢がどうなったかということになんとなくなった。

 これから夢の実現をしたいと考えている。自分の絵を描くと言うこと。自給農園のぼたん農園を実現すること。それは子供の頃の藤垈の向昌院で暮らした時から変らない夢。絵を描いて、畑を手伝って、鶏を飼って、遊びほうけたまま疲れて眠る。何も変らない。
 この後どこまで進めることが出来るかで、夢がどうなったかが分る。あのラジオの子供達にも、是非夢がどうなったか聞きたいものだ。大切なことは何を成し遂げたかというようなことではなく、何をどう目指したかだろう。そして70歳を超えて、今夢を目指しているかが重要になる。

 - Peace Cafe