ブログ16年

   



 2006/03/05 07:32:05と最初のブログに日付がある。小田原に引っ越してしばらくしてからブログを始めたことになる。その日から、毎日書くと決めて続けてきた。一日でも書かなければ、続かなくなると考えて、何があろうが毎日続けてきた。
   その以前は開拓生活を始めてからの文章の記録が15年ほどある。自給生活というのは、日々の記録をしないことには暮らして行けない。去年の記録がなければ、今年何時何をやるのか側からない。その土地で何時作物の播種をするのが一番良いのかは、何年もやってみて分かることだ。
 必要で始めた記録ではあったのだが、今では惚け防止のようないくらか実用ではないものになった。考えをまとめるために書いている。書きながら書き出したときに書こうとしたこととは、違う結論になっていることも良くある。書いている内に考えが変わるのだろう。考えていたことが、考えている内に変わるのだろう。

 ブログというものは公開日記という形だと考えてきた。加えてブログは小さな報道だと考えて始めた。大げさに言えば、自給農業の活動を続ける人間の発信が社会には必要だと考えた。あの頃はブログに個人が報道を手に入れたと随分期待が集まっていた時代だ。

 巨大な社会に対して一人一人は無力だ。無力だからと諦めてしまえば民主主義は終わる。個人は小さな力しかないが、せめてブログという形で発信してゆけば、思いが伝わると考えた。その成果はほとんどなかったのだが、自分個人にはそれなりにはあったと思う。
 ブログを通して、自給農農業の仲間になり活動を今でも続けている人がかなりいる。ブログで正直に考えを書いてきたために、関わらなくなった人もかなりいる。ブログは敵も作り、仲間も作る。いずれにしても正直にありのまま考えていることを書いてきた。

 16年やってきて良いことがあったのかと言えば、ブログから生まれた人との繋がりが良かったことである。今は都会から遠いい石垣島を中心に暮らしているのだが、小田原にいたときとブログでの繋がりは変わらない。特に水彩画の日曜展示を始めたことで、絵を公開しているということは自分の制作の大きな要素になっている。

 ブログ以外にフェースブックホームページをやっている。良く理解しているわけではないのだが、専門家の方からそうした方が良いと言われて、始めた。グーブログであっても仕組み全体がある日終わることもあるし、事故で内容が消えてしまうかも知れないから、複数にしておいた方が安全だということらしい。

 それなりに面倒くさいことなのだが、そちらは途切れ途切れ何とか継続している。やっていると言えば、ラインというものも「のぼたん農園」の仲間が始めた。これは連絡用である。日常の連絡はラインで行っている。電話として使うことも最近は多い。雑音が多いようだ。

 ただ、グループラインを連絡に使うと問題もある。誤解が生じやすい。スマホで短文を打つからか、昔の電報文のようでトラブルの基になったことがある。互いに命令を下しているかのような受け取られ方や、意味の取り違いをしやすい。ラインはスマホ打ちでどうも嫌だ。

 タブレットを使っていたときにはまだ打ち込みが出来て良かったのだが、ラインはタブレットとスマホ両方では使えないことになっているらしい。やはり、スマホよりもタブレットの方が使いやすいというのが現状である。スマホにキーボードをつなげないものだろうか。

 ブログの実用性ということでは、農作業にはこれほど便利なものはない。田んぼや畑の様子を写真を撮って、すべての写真がブログの画像ページに保存してある。あの田植えは何時だったのかとか、すぐに調べることが出来る。本を作るときには大いに役立った。農文協の方と打ち合わせがやりやすかった。写真保存にブログを利用している。

 もちろんパソコンにも保存はできるわけだが、文章と関連させてあれば、耕作日誌になるわけだ。細かな耕作状況の記録は重要なものになる。常に再確認しなければ、次への最善の選択は出来ない。今年の田んぼの一番の成果は、15枚葉が出るための栽培法があるらしいということだった。

 12月4日の直播きの「とよめき」の稲は15枚葉がでた株もある。栽培環境が良かった場所のものだ。水が足りないため成長が不十分だった株は15枚葉はでなかった。どうも13枚しか葉がでない現象は、生育障害がどこかで起きていると考えて良いらしいことだ。

 それが日照時間の変化から来るのか、夜温の高さから来るのか、まだ正確なことは良く分からない。12月始め蒔きのジャポニカの稲が、石垣では一番健全に生育できるのかも知れない。ひとめぼれも、試してみる必要があるのかも知れない。やる余裕がないか。

 麦の「ニシノカオリ」は12月30日は種で4月22日刈り取りになった。これも11月11日蒔きの方が良いのかも知れない。来期は検討の必要がある。ニシノカオリが十分とは言えないが、一応は実ることは実ることは分かった。分ゲツが足りないが、これはまだ土壌が出来ていないためと考えられる。

 大豆は4月の10日に播種した。一週間でいくらか出てきたが、19日でまだ出そろわない。揃
いが悪すぎるのも何か気になるところだ。大豆麦とやりたいから、23日に大豆のは種が出来れば良いと思うのだが小麦の刈り取り次第に成るだろう。

 ジャガイモも里芋もイノシシに食べられてしまい、結果が分からずじまいだった。里芋をもう一度たんぼの畦のそばに植えてみるのは良いかもしれない。今年はあくまで実験だ。水が湧いてくるような8番田んぼの下辺りが良いかもしれない。そうだ、あの辺りに田芋を植えておくのも良いかも知れない。これも実験だ。

 ブログの最近の成果はやはり、日曜展示である。毎日曜日絵を展示している。前回が157回とある。157週とはほぼ3年ということになる。ブログの上にも3年で3年間の日々の一枚の記録である。70歳から毎日書こうと決めたことである。石垣生活の決意である。

 石垣には絵を描く為に来た。それを形として表すことにしたのが、日曜展示である。石垣島に来て、絵を再出発させるつもりである。惰性でなく、心機一転して絵を進めるために場所を変えたと言うことがある。自分を変えるためには暮らす場所を変える必要があった。

 絵はそれまでに手が慣れてしまったものを、切り捨てる努力をしたのが、今までの3年間だったと思う。これから、あらためて再出発の段階に入る。どこまで行けるかは分からないが、日々の一枚は継続するつもりだ。もちろんブログの日曜展示も継続する。

 こうしてブログを始めて、16年失うものと、得るものがあった。失うようなことを書いてきたから、得るものもあったと思っている。自分はだんだん何者か明らかになってきた。自分が出来ることの限界も分かってきた。今はこうしてのぼたん農園の冒険がブログの目的になってきている。
 

 - 石垣島