楽観人生
ブドウの畑の向こうに甲府盆地が広がっている。その向こうに、北岳、間ノ岳、農鳥、と続いている。右の方にわずかに雪があるのが、甲斐駒ヶ岳。その間の左側の方にあるポッコリとした丘陵が坊ケ峰。私には開墾に出かけた、愛着のある山だ。
好きなことをしていたら、楽しくここまで生きてこれた。今は年を取ったので、周りの目も気にならなくなった。若いころは好きなことだけしているので、あまりよくは思われなかったのだと思う。あまり気にしないようにはしていた。そしてここまで楽しくやってこれた。
篠窪の景色。なんとも華やいでいる。もう100枚以上この場所で描いている。何度かいても飽きるなどということはない。描いて居ればそれだけでいいような気になる。それほど充実した気持ちで絵が描ける場所だ。小田原に行くと必ず描きに行く。
絵を描いて居れば満足なのだから、人から見れば不思議なことかもしれない。絵を描くということが、好きなことなのだと、子供のころに気が付いた。それから絵は描き続けている。描きたいという気持ちになった時だけ描いて居たのだが、途切れる子はなかった。
車の後ろ側を開いて描く。もうさほど寒くはなく。爽快である。4月は絵を描くには一番良い季節だろう。どこに行っても花が咲き乱れている。これは当たり前のようでそうではない。日本人が花が好きで、植えることで出来た景色だ。有難いことだと思う。
描きだしのところを、写真に撮ってみた。こんな感じでいつもやっているのだろう。意識はしていない。手順も特にない。あまり考えないで描いている。考えないで描いて居ると、絵を描いて居ることをつい忘れてしまう。ただ目の前の景色を映していることになる。
これは絵を描かなければ、とはっと目覚める。見えるものを写すことと、絵を描くことは全く違う。絵は創作するのであって、作業をしているわけではない。画面を作り上げているのだ。別段見えている景色は参考程度のものだ。それをついつい、写している。
小田原に来て、3日間絵を描いている。一日朝から晩まで絵を描いている。こういうことは久しぶりな気がする。小田原に来るということも、気持ちを切り替えるという意味で大事なことだと思った。のぼたん農園のことを思い出さないで、絵を描いている。
いつも農作業を中心だが、今回は絵を描くことが中心になっている。小田原も、甲府盆地も4月初めの花盛りの季節だ。篠窪の桜も美しく、明るく、花降る姿を見ることができた。この美しさは石垣にはないものである。今回は桜降る姿を描こうと考えて描いている。
花降るということを明るい希望に向かうものとして描きたい。花舞う。でもいい。具体的に有本利夫さんのように花弁が散るところを描くつもりはない。風景をただ描いて、花が舞っている気分を描きたい。日本の風景の一番美しい季節かもしれない。
今回の甲府盆地はまさにモモが満開の時だ。こんなに満開に当たったことはない。3か月前に飛行機チケットを取ったときに、石和の宿も予約したのだから、全く偶然だ。いつもは、10日過ぎがいい。今年は1週間早いのだろう。それにしても、甲府盆地は桃ばかり増えて、盆地全体が桃色に染まっている。
今日は塩山の方に描きに行く予定だ。塩山でいつもの場所に言って描いてみようと思っている。できるだけ朝早く出かけて、描こうと思っている。飛躍描いてしまわなければ。朝甲府盆地に陽が差し込んでくる時がいいのだ。午後は場所を変えようかと考えている。
石垣ではのぼたん農園を作っている。最後の冒険に出発したつもりだ。実に面白い。おかげで楽しい日々を送っている。作業は大変な日々なのだが、やりたいことをやりたいだけやっている喜びがある。誰に頼まれた訳でもない。ただ、生きていてこれだけはやり尽くそうという気持ちだ。
自給農業の形を完成させたい。このことを思うと一日でも長く、身体を働かさなければならない。動ける間でなければ、農場の仕事はできない。昨日のメールに走り穂が出たということだ。やはり早すぎる。石垣の気候はやはり、インディカ米がちょうどよいのだろう。
十分イネが育つことなく、穂が出てしまう現象をどうすればいいのだろうか。品種の選択以外に逃れるすべはないのだろうか。不十分な株に穂が出てしまうのでは、収量は期待できない。15枚葉が出る品種を作りたい。そう思うのだが、日本にはそういう品種がない。
インディカ
種でもいいのだが、味の点で問題がある。インディカ種とジャポニカの交配種でほどほどの味がするものはないのだろうか。まあ慌てても仕方がない。もう少し「とよめき」を作ることが先決だろう。まずはひこばえ農法である。
種でもいいのだが、味の点で問題がある。インディカ種とジャポニカの交配種でほどほどの味がするものはないのだろうか。まあ慌てても仕方がない。もう少し「とよめき」を作ることが先決だろう。まずはひこばえ農法である。
絵を描く暮らし。のぼたん農園を作る暮らし。この2つの暮らしがうまく統合されてゆくようにしたい。その為には時に小田原に来て絵を描くことも必要な気がしてきた。やはり甲府盆地の景色には自分の原点がある。時々この景色を描いて確かめる必要がある。
絵を描き、のぼたん農園で農作業。これを続けてゆけば、必ず行き着くはずだ。その為には、一年でも長くやるほかない。絵も最近やっと分ってきたような気がしている。絵が良くなったという意味ではない。絵は昔の方がいい可能性だってないわけではないが。自分の絵を描くという意味ではやっとその入り口まで来た気がしている。
あと数年この調子で続ければ、どこかには行き着きそうな気がしている。自分の絵までたどり着きたい。自給農園の完成した姿を見たい。そこまで何としても元気で行きたいものだ。