国民負担率47.5%
写真がおかしいが、小麦が出穂してきている。12月30日に播いたニシノカオリである。何かおかしい。やはり稲と同じで葉の数が少ない。十分稔るとは思えない。それでもいくらかでも取れれば、初めてのこととしては良いだろう。
国民負担率47.5%。国民負担率とは国民の所得に占める税金や社会保険料などの負担割合のことだが、財務省は2022年度に所得の47.5%となる見込みと発表した。収入が1000万円あれば、475万円は税金やら社会保険料などで払わなければならない。使えるお金は525万円と言うことになる。
1000万円は高収入の方だが、それでもこのところの電気ガス、ガソリン価格の高騰。様々な消費財の値上がりを考えると、生活はそれなりの範囲のものと言うことになりそうだ。しかも老人の社会保障は先細りだから、不安が募りそうだ。
政府は投資を奨励する。投資が奨励されるのは、貯蓄を吐き出させるためだ。老人が生活不安のため貯蓄ばかりしていて消費しない。こんな先行き不安の停滞社会では、貯蓄しておく以外に方法がない。そこで、株式投資をさせて、貯蓄を社会に吐き出させようとしている。
それは一定成功しているのだろう。最近投資の宣伝が目立つ。「私はこうやって10万円を1000万円にした。」こんな宣伝ばかりがネットでは入ってくる。1000万円を手にして、心の中がお金だらけになったと言うことだろう。株価の上下に一喜一憂する。そんな欲に満ちた精神状態は最悪なものだろう。
日本社会の経済停滞は日本株への不安を増している。そして円安である。海外投資となると、岸田政権の貯蓄吐き出させ策も功を奏さないことになるのかも知れない。それでも政府が株価を買い支えてくれるという、後ろ盾があるから、実質の伴わない株価が暴落しない。
この綱渡りには渡る先がない。どこまでもみんなで渡る以外に方法を失っている。今のうちに思い切って飛び降りることが一番だと思うが、それも怖くて出来ない状態ではないだろうか。こうして、お金のことで一喜一憂するという最悪の精神状態に突入する。
あの最近盛んになったポイント制度と言う奴がわたしの精神をむしばんでいる。ポイントを付与するから。ポイント2倍デイ。旅行奨励クーポン。こうして何もしなければ、あなたは損をしますよと、どこかから脅かされ、踊らされている気がして成らない。
本当は得しているのか損をしているのかがよく分からない。お金ではなくポイント言うところが味噌なのではないだろうか。江戸時代の年貢は5公5民と言われるが、実際の所は3公7民とも言われている。日本人が一番生活が苦しかったのは、明治時代である。
富国強兵の明治政府が税金を集める為に、厳しい税制を行い。江戸時代どころではない、生活の困窮が起きたのだ。今の北朝鮮のようなものだろう。それがついにアジアを軍事侵略することになり、みじめな敗戦と言うことで終わったのだ。負けてまだ増しだったようなものだ。
ではこうした国民負担が大きくなって行く時代にどういう生き方が可能なのか。自給的に生きる方法を考えることでは無いか。自給には税金がかからない。私の田んぼで出来たお米を自分で食べる文には、税金として上納しろとはさすがに言わない。
副業を余り税金のかからない程度に行うのが良いだろう。食べるものが自給できるならば、何とか生きて行ける。地方の山の中には放棄された農地や家はどんどん増え続けている。過疎化してゆく地域で助け合って暮らすのが、菅元総理大臣風に、「最後には自給生活があるから大丈夫。」
自給生活で暮らすことにすれば、1公9民くらいでやれるのではないだろうか。消費者にならないことだ。消費すると言うことは生み出さない暮らしと言うことだ。消費者という生み出さない立場が押しつけられると言うことになる。消費の喚起策などと位置付けられている。
どうせ政府は軍備費やら、原発やら気に入らないことばかりやっているのだ。税金を多く上納したところで腹が立つばかりである。1割負担ぐらいなら我慢も出来るだろう。消費税も物を余り買わなければ払わないですむ。たばこは吸わないから良いが、酒税は払わざる得ないのは残念だ。
経済至上主義から抜け出すためには、政府や社会から一定の距離を持つ必要がある。社会の価値観から抜け出す必要がある。自分の今日一日に何が一番必要なのかと問わなければならない。その必要なことをやるためにはどうすれば良いかを考える。
その第一歩が食糧の自給だと考えている。食糧の自給が出来れば、社会の拝金主義的価値観から距離を取ることが出来る。自分というものの意志に沿って生きることが選択できる。現在73歳であるが、まだ身体が動く。身体が動く間は自給生活を続けたいと考えている。
自給生活を続けられる限り続けて、絵を描く。残りの時間はそういう暮らしで生きてゆきたい。結局今日一日やりたいことと言えばやはり絵を描くと言うことになる。絵を描くことが、ますますおもしろくなってくる。やっと分かり始めた気がしているからだろう。
自分なりの絵が描ければ、もう他のことなどどうでも良い。絵は自由だ。何にも制限を受けない。良い絵とか、上手な絵とか、価値のある絵とか、そういう物からも自由だ。自分が描いたと言えるような絵を目指して進んでゆくだけで良いと思う。
自由であることが一番好きだ。絵を描くという目的からも自由でいたい。描きたくなくなれば、明日からでも描かないという気持ちでいる。ただ絵を描きたいから続ける。好きなことだけやって生きていられるというありがたさは格別である。
今日一日、何をやるかを自由に選んで生きる。それが出来ることを幸運だと考え、喜びを持って一日一日を生きたいと思う。のぼたん農園を作り上げることと、絵を描くことで十分なようだ。