岸田総理が常軌をはずれた

   



 コロナ、春から平常対応に、行動制限なし「5類」移行へ。マスクも室内でもいらないと言うことらしい。年寄にとってはとんでもない話だ。ますます電車など乗れない。飛行機でも春からマスクなしなのだろうか。そんなことはまさかまだ無いだろうが、年寄はいよいよ外に出られない。

 確かにコロナという病気を受け入れるほか無い。嫌でも人間は死ぬ。死ぬことだって受け入れなければならない。特に年寄にはインフルエンザよりも致死率が4倍も高い怖い病気なのだ。60歳以上では感染した人の2%は死に至る病なのだ。ところがこのデーターも、インフルエンザと変わらないと何のためにか、宣伝がされている。

 中国で起きていると言われるコロナ地獄が日本でも起きないのだろうか。5類と言われて、有料になれば、大半の人がワクチンを打たないことになるのだろう。インフルエンザと同レベルになる。それでいいと言う判断を政府がしたのだ。一体医療関係者はこのことを認めているのだろうか。

 インフルではワクチンは打たないが、コロナではワクチンを打つ。理由は年寄にはコロナはインフルより厳しい病気なのだ。もしワクチンを打たないで感染したら、73際であれば、半分の人は重症化し、後遺症を残すだろう。その上に10%は死に至ると考えるべきだ。

 コロナでは年寄と若い人は別扱いすべきだ。年寄だけで考えれば、引き続き2類の病気と考えざる得ないのだ。しかし、社会をコロナがある社会として動かしていかなければならない以上、先ずは医療機関の整備と対応を考えなければならない。医療を整えることが5類への変更の前提になる。その上で70歳以上に対して別扱いを考えなければならない。

 70歳以上であれば、飛行機でもバスでもレストランでもマスクは必要である。できるだけ室内での集まりなど避けた方が良い。その上でワクチンは少なくとも年2回ぐらいは打った方が良いだろう。年寄にお金をかけるのは無駄かも知れないが、そうしないと医療が崩壊する。

 病院は現在、医療崩壊が始まっている。八重山病院でも一般診療を断ることになった。今交通事故を起してケガをしたら、助かる命も助からないことになるのだ。年寄だけの問題ではない。この最悪のタイミングで、総理大臣としてこんな発表をするのはどうかしているだろう。少なくとも春まで待てないのか。

 岸田氏はとんでもない総理大臣だ。耐えきれない。配慮のないところがまともではない。なぜこの過去最大のコロナパンディミックの中で、5類から2類への変更を発表した。タイミングが悪すぎる。今のコロナ死者は過去最大であることは、誰もが知るところだ。

 死者が過去最大と言うことは、隠れ感染者が膨大に居たと言うことだ。しかもオミクロンが病原性が弱いなどと言うことは無いと言うことだ。今年寄はかつて無いほど注意しなければならない時だ。にもかかわらずのこの総理大臣発表では安全宣言に見えてしまう。悪く勘ぐれば年寄は感染して早く死ねと言って居ると同じことにならないか。

 なぜこの状況で、年寄の対策を放棄するのだ。コロナを封じ込める手段がないから放棄したと言うことか。それでは中国と同じていたらくではないか。政府が国民の命をないがしろにして、経済を優先したのだ。経済も大事だとは思うが、命より大事なものはない。

 有効な手段がないというのは分かる。手段がないから、受け入れてくださいも仕方がない。そのことと対策を放棄するのは違う。忽ちに医療崩壊になる。多くの人が死の淵に追い込まれると言うことだ。少なくとも第8波が終わって、社会の気持ちが落ち着いてから考えれば良い。

 コロナで多くの老人が死んでも、それでいいとしたのが岸田氏であることは、忘れないようにする。安倍氏よりひどい総理大臣など考えられなかったが、岸田氏の無神経はそれを上回り際立つ。この人はアベとは違い自分の頭で考えて人の意見を無視するのだろう。頭が切れるつもりなのだ。

 経済最優先の拝金主義者が世間にはごまんといるのはわかる。その連中を重んじた方が、支持率が回復できると踏んだのだろうか。世界が末期的な状況だ。コロナ対策を放棄して死ぬのはほとんど年寄だ。それなら財政負担軽減のために死んでもらう方がましだというところが本心なのかと言いたくなる。

 本音でそのように考える人が現われているように思える。若い人には確かに、インフルエンザと変わらないのだ。どうせ年金でも医療保険でも年寄に迷惑をかけられているのだから、今更年寄の病気のためにこれ以上税金を使うのは無駄だ。そんなところが本音だろう。

 そういう社会の本音を岸田政権は受け入れたのだ。それがコロナ2類への変更だろう。まあ仕方がない。今更不満を持ち続けても気分が悪だけだ。諦めて個人的な努力をするほかない。

 日本の政治には期待できないと最近は考えている。諦めている。経済の不調で倫理的な判断力を奪われているのだろう。お金が一番の価値観だからである。人の命よりもお金の方が重要なのだ。これを批判すればお金がなければ、死ぬことになるのだと言いつのることだろう。

 経済が苦しい
ことは分かる。コロナのためと言うこともあるが、企業が新しいことに挑戦する力が無いことが原因だ。ソフトバンクのように仕事で利益を上げようというのではなく、お金を運用して利益を上げようというようなことになっているのだ。金さえ儲かれば良いという企業風土。

 問題はそれを仕方がないと受け入れている国民にあるのだろう。もちろん私にもある。仕方がないとは思ってはいないが、結局の所、諦めているわけだ。諦めて何もしないのは、要するに受け入れていることになる。まずいことになっている。ひどい状態だ。

 元気な間にのぼたん農園を完成させよう。自給の生活は野外生活が大半である。感染症の感染もしにくいことになる。ますます新しい時代の生き方になるはずだ。資本主義経済が限界になり、社会は階層化してきている。生きづらい時代が、さらに苦しい時代になる。

 どんなに困難な時代であっても食糧を自給できれば、自分の生き方を貫くことが出来るかもしれない。食糧自給生活の研修施設を作る。これが楽観主義の具体化である。次の時代に向けて冒険に乗り出す。不満を書いたらいくらか元気が出た。

 


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