苗代田んぼに水を入れ始める。

   

1日目

2日目

 楽観農園ではついに、苗代に水を引き始めた。28日に苗代になるベットの形が一応出来あがった。苗代は10㎝ほど高いから、低い場所に水を入れる事はできる。少し早いのだが、水を入れてみたくなってしまった。早いに越したことは無い。

 溜め池の畦を少し切り水を入れ始めた。一応流れ込んだのだが、しろかきをしたわけではない。雨の日だったこともあって、すこしづつ水が溜まっている。水が溜まる所を目で確かめたくなってしまったのだ。どのみちいつかはやることだ。

 翌日も同じくらいには水があった。溜め池からわずかずつ入水があるのだが、その程度では代掻きをしないでも水が溜まるというわけには行かないようだ。しかしどこかへ完全浸透してしまうと言うことでも無い。トラックターでロータリーをかければ何とかなる。トラックターなしでやるには、少し工夫がいる。

 土壌は田んぼに出来るものだと言うことは分かる。水持ちはそこそこある。トラックターがなくとも根気よく代掻きをしてゆけば、水は溜まるだろう。今のところはトラックターでの代掻きも出来ないし、クワで少しかき回している程度である。わくわくするし、ドキドキする。もし水が溜まらない場合どうしようという不安にときどき覆われる。

 朝田んぼに行ったときには、怖くて田んぼを見れなかった。ああ、そこそこ水がある大丈夫そうだ、といくらか安堵した。それでも安心できるほどの状態ではない。少し不安は今もある。不安はあるが、何とか良い方に進んでいると考えていいだろう。

 トラックターがあればと思うのだが。伝統農業を主張しているのだから、手作業で水くらい溜めてやるぞという思いもある。出来るだろうか。今は不安ばかりだが、同時に自分の何度もやってきた、復田の田んぼ作りが問われていると思うと、やってやるぞと言う思いもある。

 楽観農園の楽観である。必ず何とかなる。土の中には粘土がかなり混じっている。雨の時に歩くとたちまち靴は土で重くなる。昔からの田んぼの土が混ざっているのだ。溜め池に溜まっていたベタベタの土壌を田んぼに入れてやれば、水持ちが良くなるかもしれない。

 併行して一番田んぼの土木工事をしているのだが、こちらも何とか形が出来上がった。33m×6mでもけっこうな大きさである。2畝の田んぼである。120キロのお米が採れる可能性のある田んぼだ。ここに40坪の畑になる畦である。

 ただ畦の方の整備はまだ進んでいない。風の強い場所だから、防風にかなり力を入れなければならない。ノボタンと月桃を植えるつもりだ。ただ、最近は少し考えが変わってきた。6番田んぼ以降のノボタンの群生地は残す価値があるのではないかと思えてきた。

 段々畑の目標を5段までにして。楽観園の田んぼの下はノボタンの群生地も良いかもしれない。そして、最後の5段目の田んぼの下の適当なところに田んぼの水が落ちる溜め池を作る。溜め池のそばには東屋があり、座れる石がある。ため池で遊ぶ水牛と遊べる場所だ。

 東屋はどういうものが良いだろうか。風に強くて、水牛が押倒してしまわないないもので、風景を壊さないものでなければならない。伝統的なもので良いものがないか研究しなければならないところだ。ノボタンと調和しなければならない。

 回りにはノボタンが咲いている。幸いなことに水牛はノボタンは食べない。水牛をノボタンの群生地に繋いでいたら、だんだんノボタンだけが残ってきた。木の葉でも水牛が好むものもあるのだが、ノボタンは嫌いなようだ。

 では防風林のノボタンはどうするかと言えば、道路際の一段広い草地にもそれなりの数ノボタンがある。その当たりは駐車場や作業小屋を作る予定地である。ノボタンも取り除かざるえない。防風林になるノボタンは上の草地から移植することにする。

 早速今日楽観園に行ったならば、水牛を道路脇の上の草地に繋いでみる。水牛を一週間繋げばきれいになるだろう。そうしたら、ノボタンを掘り起こして田んぼの畦に移植することが出来る。それは一月半ばに出来れば遅くないだろう。

 下の方のノボタンの群生地には遊歩道を作りたい。今でもなんとなく歩けるような道は出来ているから、うまくそれを生かして作れば言い。どうせなら下の方は一面をノボタンにしたい。楽観農園の魅力の一つになりそうな気がしてきた。ノボタンには種がついているから、それを蒔いておけば良いだろう。いっそうのことノボタン農園の方が良いかもしれない。楽観は心の中にしまっておけば良いことだ。

 自給農園は美しくなければならない。江戸時代の日本の美しさに多くの外国人が驚いている。それはまるで農地や集落が庭のように手入れが行き届いていたことである。農地は生産の場であるからこそ、美しく場所でなければならなかった。江戸時代の人達の美的感性には祈りが込められていた。

 この日本人の美意
識は失われようとしている。それは産業革命移行の産業のすべてが、生産効率とか、労働管理とか、労働が経済の中だけのものとして考えられるように成ってしまったからだろう。農を生業にするものは、美しい場で働くこと自体を喜びに出来る。

 主食を生産することが、美しい暮らしの場を維持してゆくことでもあった。経済活動が、自然を育てることだった江戸時代の循環型社会を世界中で研究しなければならない。国連もSDGSの中で実際に250年永続性のある社会を構築した日本の社会構造を研究すべきである。

 日本政府が江戸時代の見直しを出来ない理由は、自民党が明治政府を理想としているからである。江戸時代を否定するところからしか、明治政府は出発が出来なかった。そのために日本人の暮らし方すべてを否定してしまった。それが第二次世界大戦を起し、敗戦した理由だ。

 それは天皇を軍事的な象徴に仕立て上げる愚かさでもある。天皇は稲作をつかさどる神官なのだ。その精神を形として表現したものが修学院離宮である。アベ氏のような日本主義者を自称する人が、実はアメリカの傀儡であったように、天皇の本質をゆがめているのだ。

 ノボタン農園をどこまで美しいものに出来るのかが、石垣島の天水田を中心とした伝統農業を伝えてゆくことになる。ますます、田んぼは5段あればその意図は充分に伝わる気がしてきた。二畝毎の5枚一反のたんぼ。これでいいのだろう。

 - 楽観農園