大谷選手に救われた。
大谷選手のアメリカでの活躍で、気持ちが救われた。コロナ感染者数をぞっとした気分で眺めつづけた。どうしてこんなことになるのか、いたたまれない気分で暮らしてきた。いまでも感染するかもしれないという不安を感じながら暮らしている。この苦しさを吹き飛ばしてくれたのは大谷選手である。
大谷選手がまたホームランを打った。大谷選手が勝利投手になった。こんな朗報がある度に、明るい気持ちになりコロナを忘れることが出来た。こんなに励まされることは無かった。感謝一杯である。もし、大谷選手の大リーグでの活躍が無ければ、さらに落ち込んだ気分になったことだろう。
大谷選手の活躍がこれほど嬉しかったかと考えてみると、不可能なことに挑戦して、ついにやり遂げた姿だったからだ。大谷選手は野球を始めたときから、投げて打つ理想に挑戦し続けた。少年の持つ野球を始めた時に抱いた気持ちを貫いたと言うことにある。
大谷選手はピッチャーであり、強打者でもある姿で、高校野球でみごとに活躍した。高校野球では時々そうした選手は現われる。むしろ、そんな投打に卓越した選手の方が多いくらいだ。ところが日本のプロ野球界は、了見が狭い。どちらかを選択した方が有利であると決めつけて、その夢を当たり前に捨てさせてきた。
たぶん、投打に活躍する夢を見ることすら、おさえられているのだろう。日本の社会全体が、こじんまりと実現可能な範囲での人生を考えるようになってしまった。その限界を超えた夢に挑戦する姿に感激した。人間の可能性が無限である事を感じさせてくれた。
夢の無い合理主義がまかり通るだけではつまらない。今日本のプロ野球を見ると言うことはまず無い。それでも大リーグ中継はたまにみる。計算を越えた、夢に挑戦する姿を見せてもらいのは当たり前だろう。今の時代にはあり得ない不可能と言われる生き方に挑戦しているのが大谷選手だ。
野球少年が目指した夢を、就職という段階で打ち砕くわけだ。日本のプロ野球はつまらない功利主義の世界になっている。これは実は日本の社会全般に広がっている空気ではなかろうか。子供時代の夢をそのままに生きることは不可能だから、ゆがめて現実主義になるのが大人なのだというつまらない姿。
高校生大谷選手はそれならば、日本のプロ野球には入らないと決意していたのだ。夢を持ち続けた高校生の大谷選手を日本ハムが評価してくれた。そして栗山監督が自分を信じてくれ、ピッチャーでありバッターである二つの道を貫かせると約束して、入団の了解を得た。その時に大リーグに行く夢も確約したのだ。
その結果、日本では希有な事例として大谷選手はピッチャーであり、バッターとして日本ハムで活躍した。しかし、日本のプロ野球界ではこの姿を生かし切ることが出来ない。念願の大リーグに入団することになる。日本ではその才能を開花するまで育てることが出来なかったのだ。
大谷少年の夢を実現すべき大リーグに入る。この時も大谷選手はこの二つの道を認めてくれるという条件でチームを選ぶことになる。LAエンジェルスである。大リーグの大半のチームが獲得競争をした中で、自分の夢を一番生かせるチームを選択した。金銭的にははるかに高い条件のチームもある中でのエンジェルスの選択だった。
ところが、大リーグに行って3年間、ケガをして、手術をして満足な成績を残せなかった。誰しも一年間投げることが出来なかったときには、もうピッチャーとしては復帰できないかと思えた。ところがこの苦難にもめげず、挑戦していた。そしてついに4年目に、投打での活躍を見せてくれたのだ。
大谷選手の選択は正しかった。大リーグの素晴らしい選手と競うなかで、大谷選手の才能は見事に結実することになった。誰もが不可能では無いかという道をついに実現した。それが今年のエンジェルス大谷選手だと思う。私には苦しいコロナ時代の希望のようなものだった。
大リーグですら、投手であり、強打者であったのは唯一存在したのが、球聖ベーブルースだけなのだ。アメリカと言う風土こそ、大谷選手の可能性を育てることが出来る国だったのだ。残念なことに日本では姑息な、功利主義が蔓延り、夢を描いて不可能に挑むというような事の価値を評価できないでいる。
日本であれば、臂の手術をしたときに、無理矢理バッターに専念させたことだろう。ところがアメリカでは3年目の今年、バッターとしても休み無く出場した上に、投手としても先発していた。普通ではあり得ないほどの疲労があったはずだ。アメリカはそんな大谷選手の臨む出場機会を与えてくれたのだ。
それは今年のノーベル賞のアメリカに帰化した日本人学者。地球の気候変動など、複雑な仕組みを理論づけたことが評価され、米プリンストン大上級研究員の真鍋淑郎さんと同じである。日本では出来ない研究をアメリカで実現できたのだ。
アメリカでの研究生活は使いたいだけスーパーコンピュターを使わせてもらえた。そのような自由な研究が無ければ、研究のせいかは出せなかったと言われていた。ノーベル賞を受賞するほどの才能に、十分な研究の場がない日本の現実。
アメリカに移って研究を続ける学者は実に多い。「私は調和の中で暮らすことはできないものですから、それが私が日本に帰らない理由です。」このように日本社会の同調圧力を指摘されている。みんなと違うと言うことを夢見ることが、抑えられてしまう社会。
中国に移り研究を続ける日本人学者も多く存在する。それを日本では国賊のように悪く言うが、そうではない。アメリカに行く人と同じ気持ちなのだと思う。日本では自由に研究を継続できる場がなくなってきているのだ。大学に残って研究を継続することの出来ない学者が実に多い。
総理大臣が学術会議の任命を拒否するような国では、自由な研究は出来ないと言う事だろう。実業に結びつかないような研究は制限を加えられるようになっている。知っている農業の研究者も、基礎研究で進めたいテーマがある。その基礎研究がどのように経済に結びつけられるかを、説明できなければ研究が続けられないと言われていた。
経済が苦しくなってきていると言うこともあるとは思うが、それだけで無く新自由主義経済というものは、実に視野が狭いきがする。具体的にいつ成果が出るのかを要求する。だから研究は産学協同になる。企業が評価する研究だけが、許されることになっている。
そうした、モヤモヤを大谷選手の活躍が吹っ飛ばしてくれた。限界を突破してくれた。誰もが大谷選手には成れないが、夢に挑戦することは誰にも出来る。自分の夢を持ち出来ないことに挑戦してゆくことがおもしろいのだと思う。大谷選手が人間のあるべき姿を見せてくれた。