石垣島に戻って

   


小田原上空からさようなら


すぐに富士山が見えるようになる。

 飛行機が羽田を飛び立つとすぐに三浦半島を回り込み、小田原上空を通過する。あの当たりが田んぼだと思ってみるのだが、いつもよく分からない。すぐに富士山が見える。雪が無いと富士山は寂しそう。飛行機は必ず窓側に座る。石垣島に帰るときは必ず右側に乗る。小田原に行くときは左側である。

 12時に小田原を出て、夜の8時に石垣島に着いた。飛行機が欠航になり、予約が変更になり、那覇での乗り継ぎが少し待たされた。直行便なら早いのだけれど、価格が乗り継ぎ便の方が安い。貧乏性なのだろう、安い方にしか乗れない。今回は1泊上野のドーミィーインでの宿泊付きで、3万9千円。直前に予約を取った割には安かった。

 次行くときの切符を今さがしているのだが、楽天トラベルで山梨で一泊付きで二週間34500円というものがあった。もうこれにしてしまおうかと思うのだが、もう一つ大豆の収穫の日程がはっきりしないが仕方がない。ブログが書き終わったら予約しよう。

 石垣の田んぼの稲刈りはさすがに終わっているはずだ。やはり石垣島の田んぼは良くない。悪すぎる。過去最悪の状況だ。一度水を落としてみるつもりで排水口を切ってみた。何とも稲に元気が無い。10葉期で穂が出てしまったイネはやはり十分には実らない。

 小田原の黒柳さんが台湾でイネ作りを2年されていたと言うことで、話を聞くことが出来た。持って行ったコシヒカリを作ったそうだ。やはり、10葉期で穂が出てしまったそうだ。たぶん同じ現象では無いかと言うことだった。

 特に2期作目は10葉期ぐらいで穂が出てしまうことが良くあるとも言われていた。台湾には台湾にあったイネ作りがあって、10年間やっていた日本人の友人がいてその人はうまく作っていたと言われていた。コシヒカリでも10年やるとその土地にあうのかなと言われていた。

 肥料不足だと早く穂が出てしまうとも言われていた。充分土が出来ていない場所で、有機農法でやれば出来るはずが無い。4,5年は無理だろうと言うことだった。そういう訳にもいかない。次の田んぼはどうしたら良いのだろうかと悩む。

 田んぼは時間をかけて土をよくしなければならない。腐植を増やすこと。石垣島で簡単に手に入る腐植になるものを探さなければならない。今はしばらくは我慢して、土をよくして行くことを考えたい。緑肥を作ることが一番であるが、どういう緑肥が良いのだろうか。クロレタリアならどうかと思っている。

 石垣島も少し楽な空気になってきているようだ。飛行機は行きよりも帰りが込んでいた。すこしづつ観光は戻ってくるのでは無いだろうか。しかしゴーツートラベルはもう良いだろう。私は直接的に恩恵を受けるが、そんなことをしなくても、コロナさえ収まれば観光は一気に回復する。

 ここで又パソコンの調子が悪くなり、機能回復を試みていて中断してしまった。3台のパソコンと一台のタブレットがあり、1台はカヨ子さんのもので、一台が共用のもので、一台は小田原にある。その連動が上手くゆかない。何とか小田原のパソコンを修正してしまうと、今度は石垣島のパソコンが具合が悪い。

 そこで、小田原のものは使わないようにしたいと思う。今度はノートパソコンを小田原に行くときには運ぼうかと思う。これがなかなかやっかいだが、そうしなければどうしても私の能力では4台の連動は出来ない。困ったことだが仕方がない。

  わかばは元気になっていた。みんなが寄ってくれるので少し安心したのかもしれない。しかし、田んぼが終わればそれもなくなる。やはり仲間の水牛の所に戻して上げなければいけないのかもしれない。

 - 石垣島