水彩人出品作4点

   



 今度切り開いた場所から、水田を見ている。ただ見ているのだが、飽きることが無い。開放感というか、充実感というか、人間の作業が自然の中に適合した姿が立ち上っている。この切り開いた場所には、沖縄県の地境石がある。切り開いたところは少し前までは沖縄県の道だったようだ。

 この道はかなり古い時代からの道だろう。昔は歩くだけの狭い道だったと思われる。現状は車が通っていたくらいの道である。大分奥の方に続いている。上の牧場まで行っていた道であることは間違いが無い。上には田んぼがあったと言うから、そこに続いていたかもしれない。

 もしかしたら、まだ海岸道路が無い時代に歩いて使われていた道のかのうせいもあるかもしれない。少し上がったところに、不思議な平地が切り開かれている。石が曳かれている。何の場所だかまだ分からない。いつか道の奥を探検してみたい。

 水彩人展には4点の作品を出した。上野にある公募展代行業者「彩美堂」に作品をすでに送った。絵だけを送り、彩美堂は額も作るので額装をして貰い、水彩人展に搬入して貰うことにした。コロナのため東京都美術館地下の搬入の仕事には行けない。

 感染の不安で休ませて貰うことにした。やってくれる人に申し訳ないばかりだが、この状況でもやった方が望ましいという意見が多数を占めた結果である。それを決める集まりにも参加する気になれなかった。不安に支配されている。非常事態が続く中で無理では無いか。

 水彩人展にはここ1ヶ月の間に描いた、30点ほどの作品から4点を選んだ。先日絵はがきを作ったときに、そう決めて水彩人展に向けて描いていた。その出品作4点については写真撮影はしたが、まだネットでも発表はしない。水彩人展は未発表作品という気持ちでいるからだ。

 4点選んで、送り終わって何か整理した気分でいる。絵は描き終わればいつもご破算に願うと言うことである。それまでの制作を忘れるために、発表して再スタートをすることになる。自分が獲得したというものはなにもないことにしたい。いまここに生きている何に対しても無垢な自分が絵を描くという事に勝ることは無い。

 良い絵という結果を残すために絵を描くわけでは無い。只管打画と言うことになる。自分が生きることの自覚。生きることが深まり、その反映をするものが絵になれば良い。その自覚が絵に現われることを待つだけ。水彩人展に出す4点はいまの自分に一番近いものという観点で選んだ。

 水彩人展の初日は9月28日である。その日にこのブログにも載せたいと思う。4点以外の作品は順次7枚づつ日曜水彩画展示に出して行く。すでにページはつくり、予約投稿という形で準備をしている。今度の12日の日曜日がその一回目の展示になる。翌週、翌々週と続く。

 日々1枚と言うつもりで描いているが、だいたい絵の数の方が少し先行している。農作業で一週間描けないこともあったりするので、結局平均すれば、日々の一枚と言うことになっている。頑張って描くと言うことは無い。昔からこんな調子で描いてきた。

 ただ、石垣に来る前は絵を描かない期間が3ヶ月続くようなことが良くあった。どうしても描きたくならない限り絵は描かないことにしてる。そのまま絵を止めても良いという覚悟でいた。それが石垣に来てからは絵を描く以外のことが無い状態。この点ではモヤモヤが取り払われた感がある。

 30点を並べてどの4点にするかは、判断ができなかった。自分が描いたと言えるようなものであれば、と言うことを判断基準にしたのだが、自分らしいと言うようなことは、改めて見てもますますよく分からなかった。よく分からないいい加減な視点で4点を選ぶほか無かった。

 描く自分と、発表する絵。そしてその絵を見て頂く方への気持ち。絵の意味はどの段階でももう一つはっきりしない。本当は発表して、水彩人の仲間と絵を語り合いたいと思うのだが、それも今回の水彩人展では出来ない。

 出品する絵のMO全紙サイズの額縁は、石垣には4点は無かった。小田原にはあるのだが、小田原に4点の絵を持って行って、額装して出品するということが、今年は無理だった。どうしたらよいか考えて、彩美堂という上野にある搬入業者さんに相談した。絵を送ってくれれば、額を作り、額装して、水彩人展に出品代行してくれると言うことになった。地獄に仏の心境だ。

 だから今回は絵が額に入った状態は確認も出来ない。担銀という同志舎の額の写真を送って、それに近いものをお願いした。仕方がないことだ。もう担銀の額縁は無いようだ。随分昔の話だから仕方がない。絵に合う額だと良いのだが。

 今回の水彩人展は人に見て貰うと言うことは難しいだろう。コロナ非常事態宣言下である。絵を並べてゆっくり見せて貰うこと人する。それだけではなかなか自分の立ち位置は判断が出来ないだろうが、今回は仕方がないことになる。

 初日の9月28日には非常事態が終わっていると良いのだが。9月一杯は無理かもしれない。10月5日が最終日である。全作品の写真撮影はするつもりだ。どの程度写真が撮れるか
は分からないが、出来ればウエッブ展をしたいと思っている。人に来て貰えないのだから、そのくらいはしなければと思っている。出来るのかどうかはやってみなければ分からないが。

 28日はゆっくりとみんなの作品も見せて貰いたい。会えないわけだから、作品批評はできるだけ丁寧に書きたいと思う。コロナがどのように絵に現われているかと思う。原発事故のあとの水彩人展では絵が変わり、大きく現われた人もいた。

 私は楽観という気持ちに立つようにしている。空元気レベルかもしれないが、文明の転換期における希望のようなものである。絵は見る人が救われるものであって欲しいからだ。この耐えがたいような時代を、楽観する。それが安易なものの見方では無く、生きるという本質に繋がるような楽観でありたい。

 

 

 

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