台湾現代小説

   


 3羽のタカが台風余波の風に煽られて、ちぎれそうに飛んでいる。風を切る音が、ビュービュウーとまるで泣いているようだ。風が無ければタカは地に落ちてしまう。風が強すぎれば糸が切れて飛ばされてしまう。風に従うだけなのだが、その運命を受け入れきれないようなタカの凧。

 石垣島の古書店で本を物色していたら、「3本足の馬」という台湾の本があった。翻訳されたものである。台湾現代小説選Ⅲというものだ。1985年出版、山本書店出版部から出た本である。この本を読んで、少しだけ台湾の理解が深まった。

 古本探しが出来る島というのもいいものだ。石垣島が台湾に近いので、こういう本が古本屋さんにあるのだろうか。ちょっと無いくらい大きな古本屋さんなのだ。アトリエカーの中で読んだ。アトリエカーは昼寝をしたり、本を読んだり、カンムリワシの観察をしたり、色々具合が良いのだ。

 これがなかなか重たい本だった。本が醸し出す匂いが、台北の現代美術館で見た絵と共通のものだった。血が匂うような激烈さが潜んでいる。台湾の置かれた、政治的苦境のようなものが、表現の背後に横たわっている。この暗い重さのようなものは、今の台湾社会のどこか緊張した空気にも通じているのかもしれない。

 台湾は優しい国である。しかし、その優しさの奥に、常に人を意識しているという国民性があるような気がしている。複雑で、深刻な物を抱えているからこそ、人に対して優しい社会が生まれるのだろう。人間の奥行を感じる国だ。そういうことを、台湾の現代美術館で感じた。

 その台湾の人々の根底にある重圧のような物が、小説の中にもある。但しそれは80年代のことだ。今から40年も前の小説である。今の台湾は繁栄して、重さは無いかのような賑わいである。それでも、どこか日本には無い緊張を感じた。

 台湾の方が日本より、現実の社会という気がした。疎外されていない人間が生きている社会である。絵も生きることから生まれたような絵画だった。日本の美術展が趣味的な商品絵画に溢れている理由を改めて感じた。日本の社会が精神という物を失いっていると言う現実。

 日本社会は疎外が進んで、現実というものから距離を持たされていると言うことなのかもしれない。日本の現代美術館で感じる、絵空事感との違いが気になるところである。その台湾が日本の現代美術に強い関心があると言うことも、また気になるところでもある。

 この辺の空気感違いは、感じるところではあるが本当のところは分からない。分からないのだが、何かこのあたりに重要なことが潜んでいる気がして成らない。何なんだろうと思いなが、台湾の40年前の80年代の本を読んだ。

 「3本足の馬」チョン チンウエン と言う人の作品である。1932年桃園で生まれる。日本の軍事支配。日本の敗戦。日本人への報復。蒋介石軍が本土から台湾へ逃亡し、台湾を支配。そして日本支配とは比べられないほど中国の本省人から弾圧される台湾人。

 その後高度成長期が始まり、価値観が劇的に変貌して行く。その80年代の台湾の置かれた情勢の反映。蒋介石軍によって徹底的に弾圧された、台湾の民主主義、共産主義。日本時代に培われた物すべての否定。この複雑な社会構造から生まれた小説。

 一本足の無い馬の彫刻。その説明はどこにもないのだが、足の無い馬とはどこにも行けないと言うことではないか。逃げることもできない。飛躍することも無い。ただ過酷な運命の受け入れた、多分使役用の馬だろう。日々を重荷として生きる馬に象徴される物。

 絵のことを考えた。絵は生きると言うことを反映しているはずだが、現実が存在しないかのような日本社会の中にあって生きることと絵とは距離がある。生きることに向かい合う所に行こうとしている私絵画、そうあればそうあるほど社会の空気と離れて行く。これが日本の現実。現実である以上その空白のような物に向かい合う以外無い。

 コロナの対応でも政府が、感染した人の対策で考えついたのは、自宅療養。ワクチンを打たないで、感染するのは自己責任。冷たい政府。人間性を放棄したような対応が、この疎外社会の現実。経済優先の邪魔になるなら、すべて切り捨てるのが経済合理性。医療の充実などお金がかかりすぎる。政府が堂々と国民の選別を行う国に日本は成ってしまった。

 このことがどのように絵に反映してくるのだろうか。石垣島で、天国のような暮らしをしながら、このひどい社会の現実を避けるだけなのだろうか。道元禅師の時代は過酷な戦乱の続く時代である。その中で日本が禅という哲学を模索した意味を考える。

 この美しい石垣島に、ミサイル基地を誘致する人達がいる。金儲けの為が主たる理由であろう。理由付けは様々するが、要するに経済が頭の中にある社会。土建の仕事になる。土地を高く売ることが出来る。人口が増えれば、消費も増える。国の安全保障も金儲けの理由になる。

 このどうしようも無い日本の現実を、台湾の80年代の小説が明確にしてくれている。どこまでも日本に対する精神を破壊する悲惨な、反植民地の抵抗運動の存在。日本の現代社会に
は無い世界である。天国のような石垣島で、改めて考えれば、どこにでも地獄への道が開かれている現実。

 しかし、抵抗すら場所すら見いだせないむなしさはどこにあるのだろうか。高度成長によって金権主義に押し流されて行く人間性。他人ごとではない恐怖に襲われた。ため息をつきながら読んだ小説。台湾へもう一度行ってみたいと改めて思った。

 台湾の高度成長は中国以上に箱庭的である。誰もが当事者のような台湾。台湾の今を知ることは日本の自分の現実を改めて考えることになる気がしてきた。もう少し台湾の小説が読みたくなった。

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