コロナとオリンピック

   



 オリンピックは大好きな平和の祭典である。平時で無ければ開催できない世界大会である。前回の東京オリンピックも大いに楽しませてもらっている。あのときは復興五輪と言われた。57年前と言うから、随分前のことになる。

 やることになった以上楽しませて貰おうと思う。無観客と言うことで選手は残念な気持ちはあるだろうが、何億人もの人が各国のテレビの前で熱く応援している。日本人選手が出るとなると、心配になってしまい直視できないかもしれない。それぐらい力が入る。

 しかし、今回はパンディミックの緊急事態宣言下の、平時ではないオリンピックである。開催できたことは出場予定の選手にしてみれば、嬉しいことだろうが、もし、選手村などでクラスターが発生し、出場できない選手が出ないかと今から心配である。

 各国緊急事態下の対応は違う。バブルの意味だって理解できない選手もいるだろう。すでに、甘い管理体制に心配の声が出ている。選手自身がルールを守るという前提でのオリンピックであるが、すでに亡命希望者が逃亡した事例すら出ている。

 英国ではウインブルトンが通常の観客をいれて、マスクなしで行われた。ジョンソン氏によると、通常の生活に戻したことで、死者や重症者は増えるだろうが、のりきろうではないかと国民に訴えていた。前回、それをやって失敗しているのに二度目の挑戦である。

 実際に感染者は爆発的にまた増えてきた。死者も少し増加を始めている。それを覚悟でやるというのもすごいことだ。国の経済を守るためには犠牲も止むなしという合意が、国として出来るようだ。これも民主国家の一つの選択なのだろう。

 オリンピックも普通に観客を入れてやるべきだという主張もある。もし、そういうことなら、英国のように死者の増加を覚悟してやらなければならない。そして、接触を伴う飲食店も酒を出すのも認めなければならない。そこに国民の合意形成があるなら、それはそれで良い。

 コロナパンディミックに対してどんな対応をするのかは、各国の政府が民主的に決めなければならない。日本政府は何にも説明を出来ずに、ワクチン全面依存だけの国である。それなら60%の国民がワクチンを打ち終わったときに、オリンピック開催だろう。準備や他のイベントの関係でそれが出来ないと言うらしいが、それなら止めるしかないだろう。他のことはすべてそうしているのだ。

 そのワクチンは不安だから打たないという人が居る。それも自由だから、それを説得したり、批判してはいけないと言われている。本当にそうだろうか。世間様はワクチンをできるだけ打って貰いたいと言うことだろう。理由が不安ぐらいでは、科学的に説明をして何が悪いのかと思う。

 一番の理由は副作用によって、死んだり、後遺症が残る人が居るからと言うの主たる理由のようだ。この理由はどこからどこまで間違っている。ワクチンを打って後死んだ人が250人居るというような意見だ。しかしワクチンと死亡の因果関係は明らかにされていない。

 一方で、ワクチンを打たない人で同じ年齢で、同じ期間に死んだ人は何人居たかとなれば、むしろ多いと言うことだ。つまり人間は必ず何らかの原因で死ぬ。ワクチン群と非ワクチン群を比較して、非ワクチン群の方が死亡者が多いのはワクチンの効果を意味している。

 ワクチンを打ったことで、感染リスクが大きく下がる。これはさすがに誰もが認める科学的事実だ。老人の感染者が下がってきた。そのために5波の流行にもかかわらず、重症者は増えなくなっている。ワクチンの社会的効果は明らかに見え始めている。

 ところが第五波で感染者が急増してきた。原因はデルタ株とか言われる変異株の感染力が強くなり、大丈夫だと思われた電車の中などでも感染が起きている可能性が強まってきた。こんな時にオリンピックは観客を入れるべきと言う人は、あるいはワクチンは打つべきでないという人は、もう少し科学的な判断をすべきでは無いか。

 そもそも、オリンピックで日本に来る選手および関係者、報道関係者の中から、感染が起こることは間違いが無い。バブルなどとよく分からない言葉で言われているが、オリンピック関係者と日本人とを分離すると政府は説明しているが、そんなことは出来るわけがない。

 ルールブックというもので、オリンピック来日者をコントロールすると言うが、それは一体誰がどのように行うのか。今のところ来日者の遵守精神に期待している程度のようだ。そんなことが出来るわけがない。残念ながら、感染者がそこからもすでに生じている。

 オリンピックは今も楽しみである。大いに楽しみたい。しかし、心配な気持ちは収まらない。クルーズ船のコロナ事故のようなことが起きないか不安がひろがり、楽しめないと言うことがある。コロナの影響で出場できない選手が出ないか心配で成らない。

 やることを決めた以上、ありとあらゆる方策を採り、万全なオリンピックにして貰いたい。と書きながらも、最近の日本の配慮能力の衰退を考えると大きくは期待できない。あちこち編み目がほずれていることが見えるようだ。

 日本政府はイギリス政府のように明確な態度を取るべきだ。ずるずる状況に押しながらされ、オリンピック開催は理由も責任も明確にならないまま、決まった。そして、結局は無観客にならざる得なかった。選手間で感染爆発が起きたときにはオリンピック自体が中止になるのだろうか。

 その判断は一体誰がするのだろうか。開催も中止もいつもの5人で相談してきめて、誰が判断したのか分からないようなことになるのだろうか。その時の五者協議は公開されるのだろうか。これからオリンピックを楽しもうと言うときに、どうも落ち着かない。

 いよいよオリンピックがやってくるのだが、今回はパンディミック下のオリンピックが可能なものかの実験的オリンピックと言うことになるのだろう。感染者が余り出ないで、何とか無事開催されることを祈るばかりだ。

 - Peace Cafe