NHKに未払い金がある。

   



 NHKに対して未払い金がある。NHKをよくするための未払いの理由はあるのだが、それにしても世間様に対して申し訳ない気持ちはある。みんなでNHKを支えているはずである。ところがその公共性が揺らいでいる。

 平成17年頃のことだ。その未払い金を払えという督促が、毎年今も来る。払わないことは公平性を欠いていると書かれている。公平性を欠いているのはNHK田と言いたい。払わない理由はNHKが私の質問に対して回答をしないからである。それを繰返し伝えるが、それについての返答すらない。

 平成17年頃のNHKの会長が偏向した人物で、公共放送に相応しくないと考えた。政府を忖度して、報道の方向性にまで口をだしている。NHK内の空気を悪化させた。あの頃から、NHKは公共放送という性質を変え始めたのだ。

 職場の空気が荒れていたのだろう。その結果、勤務中に株取引をするような社員が現われた。この緊急事態に対して、公共放送を重要と考えるひとりとして、抗議をし回答を求めた。回答があるまでは受信料は停止すると宣言した。

 ところが一切の回答がない。仕方がないので、電話で横浜支局に問い合わせを行った。その時のNHKの職員の回答は私も同感であったのだろう。是非、不払いを継続して欲しいと言うことだった。そこでもういちどNHKに質問書を送り、回答があるまでは不払いを続けることになる、是非とも回答が欲しいと再度督促をした。

 しかし、結局の所何の回答も無いまま、不払いの請求書だけが送られてくる状態がいままで続いている。その後会長も替わったので、受信料は又払うようにした。しかし、回答がない以上未払い分を払う気持ちにはなれない。これは公共放送としてのNHKを思うからである。それは今も変わらない。

 なにもNHKをぶっ壊せと考えているのではない。公共放送たるNHKは重要だと考えるからこその行動である。報道の健全な批判精神と、調査報道を維持して貰うためには、政府からの独立性を保つ報道機関であって貰いたいのだ。その後NHKに対しておかしな政府の圧力が繰り返され、今はもう公共どころか政府放送局かと言いたいようなニュース内容もままある。

 郵政の簡保が、郵政職員の強引な勧誘方法によって、多くの保険加入者が騙された大事件があった。それを最初に調査報道したのはNHKである。それは久方ぶりに素晴らしいことだった。ところがその報道を抑え込もうと、政府は闇雲にNHKの内部人事まで口を挟んだ。

 こんな圧力を受ける、公共放送はありうるだろうか。公共放送の重要性を一番ないがしろにしているのが政府である。存在しうる公共放送の在り方は政府と報道内容については、独立性を保つことが絶対条件である。

 そうでなければ、NHKが大本営の発表になり、政府の報道機関と言うことになる。そんな者は誰も必要としていない。もちろん信頼されなくなる。信頼される報道が無くなると言うことは、ネットのインチキニュースが蔓延する。

 報道という者は批判精神があって始めて意味をなす。ただ政府に追随して、政府の都合の良いことだけを報道しているのであれば、国民は騙されるだけになる。それでは誰も報道を信頼しなくなる。たぶん北朝鮮や中国はそうであろう。

 科学的に正しい報道で無ければならないが、一貫した正義の理念を持ち続けることこそ、公共放送の姿勢だ。政府以上の科学的知識が必要である。福島原発の時も、原発に関しての知識が欠けていた。そのために正しい報道としての指摘が出来なかった。

 NHKはよくやっているとは思う時もある。しかし、最近の傾向としては批判精神を失いつつある。今のNHKのままで良いとは思えない。資本主義が限界に達し、未来に不安が生じている。公共放送は国民と共に次なる社会を模索する必要があるのではないだろうか。

 どうすれば、能力主義の弱点が克服できるのか。この問題を真剣に追求すべきではないだろうか。能力主義を良しとしてきた社会が、格差社会を生み出している。今だ能力主義を強化しなければ、国際競争力に勝利できないという考え方である。

 NHKの政府からの独立性を保つためには、政府からの人事による支配を排除しなければならない。任命権を政府に持たせておいては成らない。どのような意味でも、報道機関は政府から独立していなければならない。

 民間の報道機関が営業のためにお金の影響を受けやすい。その意味で公共放送があることで、報道のゆがみを取り除く可能性が高まる。しかし、その公共放送が、国営放送の傾向を持つのでは全く意味が無くなる。今その危機的状況にNHKはあるのではないだろうか。

 これから、テレビ報道は変貌して行かなければならないだろう。様々なウエッブにおける情報が飛び交う中、どのように情報の信頼性を確立するかは重要な社会インフラになるはずである。

 コロナ報道をみていると、コロナ感染爆発に関して政府以上の影響力があることが分かる。はっきりとオリンピック中止を主張した朝日新聞と、聖火リレーを報道し続けたNHK。どちらがまともであろうか。感染症対策から考えれば、明らかにNHK
は間違った報道を続けた。

 政府を忖度しているとしか見えなかった。そして、今地獄のオリンピックが始まろうとしている。コロナで一番重要なことは科学性である。科学的に正確に状況を把握する力量だ。政府は希望的観測によって、正しい科学性を失った。

 その時に、誰が信頼されるのか考えるべきだ。公共放送である。ところが、NHKが不要な聖火リレーを提灯報道していれば、誰もNHKを信頼できなくなる。もしどうしても聖火リレーを報道するのであれば、注意書きを入れるべき所だ。コロナ感染の危険があるので、聖火リレーには近づかないようにして下さいと、テロップを一貫して入れるぐらいは出来ただろう。

 結局の所、聖火リレーは何の意味も無かったと思う。感染をいくらか広げるぐらいの役割である。本来中止すべきオリンピックである。NHKにはそういう主張を持つ人がひとりもいなかったのだろうか。もしそうだとすれば、国民の世論とはかけ離れた存在になっているのだろう。もう公共放送を名乗るのは止めた方が良いだろう。

 - Peace Cafe