人口減少は必要なことだ。

   



 人口減少を困った悪いことのように政府は考えている。全く世界の方角が見えないのだろう。世界の今の人口は地球という限られた場所に、人間が暮らすには多すぎる。当然日本も人口減少しなければ成らないのは当たり前すぎることだ。

 少子化を問題だとする今の政府は,経済にとらわれ過ぎていて、次の時代を見誤っている。次の時代はGNPを争うような時代ではなく。ひとりひとりの暮らしの充実を求める時代になる。GNPがたとえ今の半分になったとしても,人口が三分の一まで減少していれば、ひとりひとりは豊になっているのだ。

 実は日本はついこの前まで人口減少を願う社会だったのだ。1940年に出た人口予測は、全く今の現実を正しく予測して居るそうだ。2000年に人口減少に入ると考えていた。むしろその時点でのその予測は、だから大丈夫だという予測だったのだ。

 日本が満蒙開拓団を擁して中国に進出したのも、人口対策が背景にある。移民を奨励したのも、日本では生活が出来ない人が溢れるという不安からの政策だった。産めよ増やせよかけ声を掛けながら、海外雄飛を奨励するという、矛盾した帝国主義国家なのだ。日本民族が世界に広がり、軍事大国になれば良いという、世界が見えていない考え方である。

 現代の少子化対策の背景となっている考え方は、労働人口の減少を経済の国際競争力の低下と見ていると言うことに過ぎない。競争主義にとらわれている。人口減少を受け入れた上で、どのように考えるべきなのかを、国民的議論にするのが政府のあるべき姿ではないだろうか。

 なぜ人口減少した方が良いのかの方向を考えてみたい。一番重要なことは食糧危機である。食糧を自給して日本列島に暮らせる人口は6~8000万人と考える。

 その理由は江戸時代の鎖国した状況の日本を考えてみると見えてくる。人口はおおよそ3000万人である。その後明治に入り急速に人口が増えだして、100年間で7000万人になっている。その後、50年間で12780万人まで、爆発的に増えたのだ。そして、減少を始めているのが現状である。2100年の人口予測では大雑把に4~6千万人である。

 江戸時代の農業技術は生産性において決して現代より劣るものではない。農業という観点で考えると意外にも生産性大して変わらないのだ。食糧生産は江戸時代も今も自然環境に従うもので、それほどは変化がない。産業革命で目覚ましい変化をした他の産業とは別物なのだ。

 江戸時代に近い自給農業をしているのだが、近隣の農家よりも多い収量を上げている。化学肥料の登場、農業機械の出現。農業革命が起こると思われたが、そうしたものは限定的な効果のものである。結局のところ、自然に従う循環農業が一番永続性がある。

 農業は機械化したところで、生産速度が速まる訳ではない。農産物の成長は江戸時代と何ら変わらない。お米は5月に種をまいて10月に収穫する。おおよそ半年かかる。機械は労働力の節約にはなっているが、日本の国土における生産力を上げるという意味では限定的な効果となっている。

 干拓事業や水利事業が行われたことで、生産可能な地域は広がったわけだが、それ以上の人口増加による住宅の増加、様々な生活関連施設が増加した。工業用地の増加も著しいものがある。結局は農業用地は江戸時代より劇的に増えたとまでは言えない状況に戻ってしまった。

 現状で農業用地は400万ha その内耕作放棄地は10%となっている。江戸時代が300万haという事だから急激な人口増加にもかかわらず、農地はそれほど増えたわけではない。それでも30%ぐらいは農業用地が増えているが4倍になった人口増加に比べれば、全く追いついていない。

 食糧生産を考えると、農地の増加で30%ぐらい増産できる。そして農業技術や品種の改良等によって倍くらいの生産性になったと考える。機械化農業は労働力の削減にはなっているが、国土の生産性という意味では、大きな影響はない。

 あれこれの推定で、日本列島の現状での食糧生産力を考えてみると、江戸時代の2,5倍ぐらいではないかと思われる。そして、もし食糧自給が可能な国という事が健全な国家という事であれば、日本列島に人間がまともに暮らせる人口はどうしても、6~8000万人という事になる。

 工業製品を輸出して、食糧など輸入すればよいという考えは、国の安全保障上問題が大きすぎるという事が見えてきている。日本の国力が低下してゆく中、高額な食糧の輸入など不可能になる。さらに、世界の人口は地球そのものの食糧生産力の限界に達している。

 食糧不足の国が年々増加している。こうした中いつまで食糧輸入が可能なのかという事である。中国が国力を上げ、食糧輸入国になっている。日本の10倍以上もある人口の国が、大量に輸入すれば価格が高騰する。世界の食糧不足は一気に高まってゆく。

 地球全体では自然破壊を続け、農業用地を広げている。人口増加に対応するためと経済優先である。それが温暖化の原因にもなっている。こうした方向も歯止めをかけなければ、地球が人間の暮らせない環境になることは目に見えている。

 日本が食糧自給を目指さなければならないことは、世界の状況の変化や、国の安全保障からも、当然の結論である。その点日本政府も一応、食糧自給率の増加と主張はしている。ところが、国際競争力のある農業であって、農業の方向は主食の食糧自給からは遠のいている。

 綿花やゴムの植民地における農業はその国食糧生産地である農地を奪った。プランテーション農業である。農業にかかわりながら飢餓に陥ったのだ。日本の農業の方向は全くこれと一緒で、菅氏の施政演説では「牛肉やいちごをはじめ二十七の重点品目を選定し、主食用米から高収益作物への転換、を 推進する。」

 農家出身の菅氏が何故主食用米を終わらせようと考えているのか、まったく情けない限りである。稲作の持つ優れた永続農業を、収奪的農業に変えてはならない。国際競争力に惑わされて、国の未来の方向を見失ってはならない。

 人口が8000万人以下にまで下がれば、自給的国家として日本は豊かに立ち直れる。少子化を困ったこととしてとらえるのではなく、自然の成り行きであるとして、8000万人以下の国づくりを考えるべきだ。その為には江戸時代の暮らしは大いに参考になる壮大な実験国家である。

 - Peace Cafe