大阪ナオミ選手と菅総理大臣の記者会見
大阪選手が記者会見を拒否した。大阪選手の記者会見は以前からチャーミングであると評価されていたのだと思う。むしろ記者会見を見たいというファーンは一番多かった選手ではないだろうか。大阪選手の良いイメージは多分記者会見から作られた。上手く記者会見に対応していると思えていた。ところがその記者会見が大阪選手には負担になり始めた。
自分を見せることに対して、内面的に負担が大きかったのだろう。そうした中で、大阪選手は政治的な意思表示や発言をするようになった。人種差別問題では影響力もあるように見えた。そうした中、アメリカでは黒人差別が今度はアジア系差別に広がってきた。
当然その矢面に立つのが大阪選手という事になる。実際のことは全く知らないが、様々な角度からの圧力が働いていると想像できる。好意的な記者会見が多かった中、人種差別的な対応や、嫌らしく足をすくおうとする誘導質問が出たりしているに違いない。日本で報道されないだけだろう。
しかし、大阪選手はあくまでスポーツ選手である。上手く対応できないとしても当たり前のことだ。誰でもが表現力に優れているとは限らない。対応障害的な人が無理をしているとしても、テニスに優れていれば構わないはずである。
以前野球の巨人軍のピッチャーだった上原選手がアメリカンリーグでプレーしていた時、日本の報道に対して、驚くような乱暴な発言をした。上原選手の精神状態が苛立ちの頂点だったのだろう。たぶん、侮辱されたと思った報道はそのままテレビに流した。
その報道を見て上原選手のイメージは完全に危ない人だと印象付けられた。その後日本に復帰して記者会見をしているときも、もうその先入観で見ているもので、何を言ってもまともに受け取ることが出来なかった。あの一回の報道を見た人と、見ていない人では違う受け取り方をしたかもしれない。
報道を敵に回すとはどういうことかわかる。たぶん大阪選手はよほど精神的に追い込まれて、記者会見拒否を宣言したのだろう。もし記者会見をしたらもっと悪い結果になると恐れたのだろう。大阪選手はミスをして、その苛立ちでラケットを地面に投げつけるようになっている。
菅総理大臣は記者会見はするが、印象に残っているのは優柔不断で結論の出せない人という人物像を自ら作り上げている。ともいえるが、報道の抵抗の影があるのかもしれない。謝罪場面の情けなさが繰り返し報道されてきた。仏頂面と偉そうな態度が災いしている。
そして、コロナに関していえば何もわからないので総理大臣である。医療の専門家でないのだから、当然のことだが、コロナに関しては自分では決断できない人物という事になる。尾身会長にご意見を伺い、決めさせていただく人である。菅氏自らがそういう決断できない人物であることを記者会見を繰り返す中で作り上げてしまった。
その自分の意見のないイメージの菅氏が、根拠を示さず、オリンピックは安全に開催できると発言している。ますますオリンピックに対する不安を増幅しているのではないか。オリンピックがまじかに迫りながら、オリンピックでのコロナ蔓延不安がますます広がっている。コロナ感染が広がるくらいなら、オリンピック開催を取りやめて欲しいという気分の方が強くなっている。
しかし、政府は相変わらずオリンピックは開催すると宣言だけしている。政府は根拠を示さず、開催するとしている。当たり前のことだが、国民が安心できるコロナ対策を示すのが政府の役割だろう。何故か、一日延ばしにここまで来ている。このような対策をするので、コロナの感染拡大の心配はないという安全の説明をしない。
説明がないという事は、実は政府はコロナがオリンピック開催で広がると内心は考えているのではないかとの憶測が広がる。コロナが少々広がっても、オリンピック開催の方が大事だから、強行するのだ。これが本音なのではないかと見えだしている。安全の根拠を説明をしない以上、そう考える方が自然の成り行きである。
国民全体が緊急事態疲れである。最悪の気分で暮らしている。どこにもやり場のないうっとうしい生活である。まるで、引きこもりになれと政府から言われているようだ。その中でのオリンピックである。コロナ対策に無策で、失敗ばかりしてきた政府に対してもうあきれ果てている。
その上で、楽しみにしていたオリンピックがむしろ不安の種になっているのだ。政府には開催を取りやめてもらいたいが、どうしても開催するとするなら、こういう形でやるので安心してくださいという、科学的な対応策を示すべきだろう。政府の行わなければならない義務だ。
そして、コロナで暴かれたのが日本の後進国化である。ワクチン予約でもまともにやれない国になってしまったのだ。コロナの追跡アプリはどうなったのだろう。仕方がないそういう国なのだからと、遅れをとった国の気分を味わっている。
オリンピックを日本から中止を申し出ると、賠償金を1兆8000億円払わされると新聞には書かれている。こんな不平等な契約でも受け入れざる得ないオリンピックなどそもそも希望するべきではなかった。こんなバカげた不平等契約が今の時代にあることの方に驚いた。
儲かるからと思って手を上げたオリンピックが実は大損だったという事だろう。ぼろい儲けにありがちなことだ。この時点で開催できるとしたら中国だけだろう。中国にお願いして、引き受けてもらったらどうだろうか。選手のことが一番という事らしいから、ぜひそうしてもらいたいものだ。
もう一やらないで済む方法はある。延期の申し出である。中止とは言わないで延期せざる得ないと主張するのだ。延期をIOCが認めなければ、責任は日本にはないことになる。コロナパンデミックの結果なのだから、日本だけの責任ではないはずである。
このようにオリンピックはすでにお金に汚れた大会になっている。これが資本主義社会の最終段階の姿なのだろう。そもそも選手自体が、お金のために努力をして何が悪いという事になっている。これは古代オリンピックが崩壊した過程と同じだ。何のためのスポーツなのかという根本が問われている。本来、自分のという人間を成長させる一つの手段なのではないだろうか。
大阪選手はテニスが強いスポーツ選手である。しかし社会運動家ではない。菅氏は日本の総理大臣であり、政治家である。二人とも記者会見というもので失敗をしている。菅氏は記者会見をやるたびに、その印象を下げている。ガースです、などという慣れないダジャレで自分を貶めた。
スポーツ選手の大阪選手が記者会見拒否で印象を下げるのは可哀そうなことだが作戦ミスである。医師の診断書を付けて、サポートを付けることを認めさせればよかったのだ。信頼できる人が傍にいてくれるだけで、記者の質問をうまくかわせるようになったはずだ。