石垣島に戻って

   



 石垣島に戻って、まずいつもの写生地を見て歩いた。どことなく違って見えた。小田原周辺の景色に目が慣れたのだろう。また、自分の記憶の中にある風景が、藤垈周辺のものだと言うことも確認した。記憶といま見ているものとを併せながら絵を描いているのだから、何かこの辺に整理しきれないものがある事に気付いた。

 何度も同じ場所を描きたくなると言うことは記憶できるまで、その場所を描いていたいと言うことのようだ。その場所を記憶できると、それが絵として思い出される要素になって行く。いま見ているものが記憶にならなければ、絵にならないと言うことも言える。

 そして昨日は写生地で一番高い屋良部岳の中腹の写生地で絵を描いた。海の絵を描いた。この海の澄んだ色が石垣の色だ。石垣の色を記憶しようとしている。まだ見ている色の方が、記憶の色よりも明確である。完全には記憶できていないと言うことかもしれない。

 そして、午後は床屋さんに行った。コロナ陰性なので、床屋さんにいっても大丈夫だ。床屋さんに行くと何だか石垣の人になったような気分になる。お帰りなさいの床屋さんである。いつもの床屋さんが金曜日にもかかわらず閉まっていて他の初めての床屋さんに行った。農林高校の門の前にあるとこやさんだ。

 散歩していて、気がついていた床屋さんである。コロナに気をつけている目印のアマビエの張り紙のあるお店に行くことにした。幸いすぐにやってもらえた。確かに気をつけているので、ひげそりはできないと言うことだった。ひげそりは感染リスクがあるから行わない。

 「お願い出来ますか」とお尋ねしたら、「旅行者はやれません」と言うことだった。私は旅行者に見える。そのように見られている自覚もある。「いえ、住民です。桃林寺の裏に住んでおります。」それならやれますよと言うことだった。「マスクは取って良いです」ということだった。

 石垣の床屋さんはどこも腕は確かだ。まあ、私は頭の外側などどうでも良いので、誰でも腕が良いと言うことになる。さっぱり出来るんだから上等さ。石垣の床屋さんは2軒しか知らないが、ヘッドマッサージにどちらのお店も凝っている。他では経験したことがない独特のマッサージをしてくれる。シャンプーが上手だ。

 私は旅先でけっこう床屋に行っている。床屋さんは旅行ものが地元の人と接触できる少ない機会なのだ。私のように日本全国あちこちで床屋に入る人も少ないかもしれない。私がどこでも床屋に入れるのはどのように刈っていただいても全く一緒だから。短くなったぐらいしか、判断が出来ない。床屋さんでもどだい鏡というものを見ない。

 長く坊主頭で居たからかもしれない。もちろん坊主頭もいいのだが、少し相手に不安を与えそうで、今は当たり前の頭にしている。だからどのように刈り込んで欲しいなどとは言わない。好きなようにちょっと短くして下さいということにしている。床屋さんにはそれぞれ得意の髪型がある。そう言うと大抵の床屋さんは得意の形にするらしいので、それでいいと思っている。

 床屋から戻ると完全に石垣に気持ちが戻っていた。21点の小田原で描いた絵が目の前に掛けてある。今日描いた石垣の絵もあるのだが、確かに違う。石垣の夏の色と関東の春の色である。夏の色は水彩の人は緑だけで描きにくいという。

 描きにくいという抵抗感は.私の場合は問題にしない。得意な描きやすい絵を描こうというわけでは無いからだ。何か自分に伝わってくるものに向かう。見えている惹きつけるものを、なんであるのか分かりたいから繰返し描いている。

 篠窪、塩山、笛吹き、仙石原で描いた絵は色が柔らかい。良くなっていると言いたいがそこまでは言えないが、変わってきた傾向は感じる。いくらか柔らかいが、石垣の色の記憶が絵に入ってきている。絵の具を筆に付けて、混ぜるという行為が、石垣のやり方に腕が成っている。

 わずかであるが、昔なら描けなくなって終わりにした絵をダメでもいいじゃんと進めている。わずかながら難しいところを乗り切っている絵がある。上下が二分する構図が好きなのだが、その分離が絵として何とかなっているところがある。

 自分の位置にあるものと遠くにあるものの関係のようなものに惹かれるのだ。どちらかが中心になるということではなく、両方が同等のものとして描きたい。それがいつも行き詰まりの原因になってきた。しかし、それでも何年でも解決法を見つけるというのでなく、問題のまま続けている。

 問題であると言うことに意味があると考えているのだ。絵は問題がある方が良いぐらいだと思っている。何が問題であるかを絵を描きながら探っているような感覚だ。描いている内に何故そこを描きたくなったかがだんだん見えてくる。

 屋良部岳の高いところからの風景を描きたいのは、畑や家がモザイク模様のように図柄になっているところだと思えた。飛行機からの景色に惹きつけられるのと似ている。この見方が、仙人的だとか、上から目線だと言われるところだが、ナスカの地上絵のように、離れて高いところから見ないと、見えて来ないような世界がある。

 
遠くから模様になってしまった甲府の町は、そこに人が沢山居ると言うことには繋がらない。その後ろに屏風のように横たわるやまも、絵の入り込んで入り込んで山という意味を失っている。絵に描くと言うことはそのものの意味を離れると言うことがある。

 画面の上では、色と線に還元されているのだが、ものの意味を完全に失うわけでもない。意味を説明するようなことはない。描いているときにはどこも同じに色と線である。現実の意味と絵の上の色との間を行き来しながら、その加減を描いている。
 
 三週間石垣で絵を描く。石垣島の風景はまだ記憶の中には入り込んでいない。繰返し描いている段階である。甲府盆地を描いているときに記憶の石垣島が出てくるようなことはあるのだろうか。子供の頃の記憶のような眼の底に焼き付いたものにはならないのだろうか。

 もう一度このあたりを確かめながら描いてみようと思う。
補足というか、二拠点居住の農と水彩画の暮らしがいかに健康に良いかが分かったので、ここに記録しておく。オムロンさんの測定ではなんと、なんと41才に若返った。41才になったのはこの数年無かったことである。

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