観ると言うことと記憶していると言うこと

   



 絵を描く人は本当のことを観るために描いている。描くことによって、初めて見えてくる何かがある。野見山暁治氏には「眼の人」という題名の本がある。絵を描くときの観るの意味が書かれている。見ているものはそれぞれのものだと言うことが分かる。

 見えれば描かなくとも最後には指させばそれで良いのだと、岡本太郎氏は書いていた。ここでのみるはかなり難しい世界だ。真実というものは描くそばから、消えて行くから、指で指し示すほかにないと言うことのようだ。その感覚は分かるが、それは岡本太郎の努力不足も意味している。

 しかし、私には描いてみなければ、絵になるものが今考えていることの先にあるのかは見えてこない。見て描いて、さらに観て又描く。絵になるものを見るは一人一人の人間としての重要な奥底のものだ。うわべのものではない。いままで生きてきた記憶の蓄積の上に見ているものだ。

 描くという行為は記憶している形象と現実の風景の関係に、内在しいて、観たときに立ち上がってくる決定的なものを見つけている。難しい言い方だが、まだ分りやすくは分かっていないのでこうなる。結果としては、その人の人間とその生き方が絵から見えないようなものは、芸術としての絵画ではない。良い絵とはそういう物だと思いながら、描いてきた。

 自分の絵が見えたというその領域に至っていないという自覚はある。残念なことだがそれは事実である。ただ、そこに向かってやり続けてきたとは言える気がする。観ると言うことの方角は分かっているつもりだ。しかし、絵に人間が現われないのは、まだ人様に見せられるような確たる人間では無いからだろう。

 これは人間の質がダメとか、良いとか言うのではない。未だに核のない曖昧な人間と言うことである。ダメでも本物のダメであればまだ良いのだ。人間が本物になると言うことは、実に難しいものだと痛感する。それなら偽物を極めるというのもありかと、やってきたようなものだが、やはりそれでは絵は本物にはならないらしい。

 それっぽい偽物を越えるために絵を描いているようなものかもしれない。絵を描いているとまだまだだぞ、と絵が言っている。これでは自分をごまかしようがない。絵というものの良さは、事物であると言うことの良さだ。絵を見ればごまかしはきかない。

 絵にすべてはある。おまえはまだまだだぞと言う証拠が目の前にある。これは辛いようだが、生きる上では有り難い事なのだと思う。自分をごまかして生きて、死ぬよりはまだましというものだ。少しでも飾りでない自分らしい絵に向かいたい。繰返しこういうことを書くのは、今日のこれから描く覚悟である。

 ネットで12枚のセット絵はがきを作る。というものを見つけた。石垣島の絵が12枚出来たところで、作ってみようと思っている。今年も水彩人展はまた出来ないかもしれない。自分で区切りのようなものを考えないと行けないかと思っている。

 一つは生の絵を見て貰う機会を作りたい。もう一つは自分なりの発表の場を作りたい。そのために12枚の絵はがきは意味があるかと考えている。目標を具体的にしないと、コロナ社会に心をやられてしまう。楽観的な脳天気人間のつもりだが、悪い方を思うことが多くなっている。

 今まで作った絵はがきセットをいつもアトリエカーに積んである。名刺を入れて会う人会う人に渡している。おかしな厚かましい奴に見えるかもしれないが、絵を描いている奴だと言うことだけは認知して貰いたいと思っている。ともかく車が滅多に来ないところに、毎日止まっているのは不安を与えるからだ。

 石垣島であれば、二,三年絵はがきを配っていれば、あの車は絵を描いているんだと認知されると思うからだ。不安を与えるのでは困ると言うことだけである。昔作った絵はがきを配っている内に大分減った。そこで、新しい絵はがきを作る気になった。

 ただし、困るのは私の絵では、石垣島のどこが描いてあるのかがとうてい分からないところである。田中一村のアダンの絵であれば、観光絵はがきになる。私の場合はとうてい実用にはならないものである。いつも渡してみてくれる人はどこを描いたのかと思うらしい。題名を見て怪訝な顔をしている。

 今石垣島に住んでいる人には石垣島には、きっと見えないだろう。しかし、島を出て五〇年という人にはどこか懐かし空気があるかもしれない。そのくらいの距離感である。木村忠太の絵を見てフランスの光を感ずると言えばそんなもんだ。

 実はこちらに来てから、描きかけだった、渋沢丘陵の絵をよく描く。境川や石和の生まれふるさとの絵もよく描く。こういう風景画では地名とはだんだん離れてゆく。その場であると言うのはどうでも良いことである。私が見ているのはその場ではないということだ。

 ただ、まるで風景に見えないような空間のない絵も嫌なのだ。誰が見ても畑や田んぼの絵ではあるのだが、どこかに具体的にある風景は始める参考に過ぎない。

 面白かったのは、私を不動産屋と疑った別荘地のおばさん2人は、私がいまこの絵を描いているのだと説明をして、絵はがきを渡したら、なんと、「
今ここで描いて見ろ」というのだ。

 確かに、そこに見える風景ではない絵が置いてある。それを見て偽装工作だとでも思ったようだ。そんな面倒な不動産屋がいるものだろうか。どうもその辺が開発で騒動があったらしい。自分たちの別荘地の上に当たるので、開発を嫌っているようだ。自分たちの別荘地が出来るときには出来なければ良いのにと思った人もいたのだ。

 そこで、描いて見せて上げた。さすがに描いたらば黙ってしまった。描いて観ろと言われたのは、ハバロフスク以来である。ハバロフスクでフランスで描いた絵を抱えていた。ロシアで買った絵を持ち出そうとしているのだろうというのだ。丁度画材もある。ここであなたの似顔絵を描いて上げようと言ったら、分かった分かったと言って、やっと認めてくれた。

 あのとき描いたらどうだっただろう。全く自分に似ていないので、この絵はおまえが描いたのでは無いと言うことになったのだろうか。しかし、あんなに苦労してフランスから持ち帰った絵が一枚もない。すべて廃棄処分した。

 絵はがきを作ろうかと思ってみると、これならという絵はなかなか決まらないものだ。12枚、まあこれなら良いかというものを7月半ばまでにまとめるつもりだ。期限を切らないといつまでもできない。絵はがきを自分なりの発表の場にするつもりだ。貰ってくれる人にはどんどん差し上げたいものだ。

 

 - 水彩画