沖縄の城グスクは迎賓館である。

   



 日本の城は大嫌いだ。お城好きの人が若い人に増えているようで、どこか不安な気になる。コンピュターゲームの延長のような気分なのだろうか。ゲームでも戦うと言うことがテーマになっているものが多いようだ。社会の階層化がこう言う現象を生むのだろうか。

 そもそも、お城というものが支配者の象徴だ。私には気分の良いようなものではない。城は武力的権力をの象徴だから嫌いだ。小田原城の館長は農の会の仲間だったので、嫌いというのも少しまずいとは思ったが、はっきりと嫌いだった。それは、鉄筋コンクリートだからだと最初は言っていたのだが、木造のお城を再建するという運動が生まれて、はっきりと武力的権力遺構など大嫌いだというしかなかった。

 同じ頃出来たものの歴史的遺物としては、元冶年間の舟原ため池がある。小田原城は再建である。こちらこそ残すべき農業遺構だ。しかし、全く見向きもされていない。やっとそれを掃除をして、もとの形に直して、久野々里地里山協議会で整備を続けている。こういう遺構の方こそ意味がある。

 日本の歴史はまるで権力の歴史しか見ていない。庶民の歴史の方が、人間の暮らしの歴史の方が当然意味が重い。一体教育に置いても、そういう基本的なことにいつ気付くのだろうか。学校権力者ばかりを覚え指すからおかしくなるのだろう。

 何故、見識のある人たちが古いものだからと言って武力の象徴であるお城を国宝などにするのだろうか。観光資源という意味なら分かるが、城に対する歴史的な批判は充分認識した前提でなければ、間違った象徴になりかねない危険なところがある。

 たぶん小田原城以外のお城でも刀や槍がかざってあるのではないか。私はそういう物を見るだけでぞっとしてしまう。何故人殺しの道具を見せなければならないのかが分からないのだ。日本刀の中には、国法というように、美術品扱いになっているが、武器はどこまで行っても武器だ。美しいなどと思いたくも無い。

 アウンサンスーチーさん所有の日本刀を修繕するというので、日本刀協会が引き受けたらしい。アウンサンスーチーさんには色々がっかりさせられる。そ言う曖昧なところが、軍事政権の介入を許したのではないだろうか。

 平和主義者だと思っていたら、とんでもない人だったと言うことにならなければ良いと思っている。刀を日本の昔の軍人が献上したらしい。降伏したので渡したのだろうか。平和主義者なら、そんなもの受け取り、いままでもっているべきでは無い。
 
 沖縄のお城は武力的なお城ではないところが好きだ。グスクと言うのだが、平和的なお城なのだ。あくまで平和外交の場として、諸国の使節団を歓待するための舞台である。唄を聴いて貰う。踊りを見て貰う。そして古酒を飲んで貰う。琉球国の文化の高さを示す歓迎の場だったのだ。

 敵意が全くないと言うことを文化の姿で外国からの使節団に見せていたようだ。その歓迎の迎賓館が首里城なのだ。だから首里城は迎賓館的要素が強くて、軍事的要塞としての機能はそれほどのものではないのではなかろうか。

 あの優美な城壁は、充分外国からの使節団に首里城の威厳を伝えたことだろう。又高台にある御嶽から、久高島の方角に祈りを捧げたのだろう。宗教施設的な意味合いも強い。臣民の統合の象徴は助成である司の役割でもあった。

 琉球国の武士というものは歌曲を演ずることが、習いであった。女性は唄を唄うことも、三線を弾くことも許されなかったと言うから、琉球国の芸能は男性が継承していた。この平和的な武士の存在は武力を持つことを禁じられたところから生まれたのだ。

 沖縄で空手が生まれたのも、武器の所持を禁止されたからである。空手に先手なし。あくまで防御のための護身術であるとして、琉球王朝の武士は空手を修練した。武士の精神を鍛えるための武術である。天皇家が武力を奪われ、文化で統治するという道を選択したことに似ている。

 日本は平和憲法を与えられ、攻撃的武力の保持を禁止された国である。現代の日本国のモデルのような国が琉球国だ。武力を使わず、文化を持って琉球国を維持していたのだ。統治されても支配はされず。独自の文化を維持した国である。

 琉球王国の武力なしに平和を維持する方法は、江戸幕府にも、薩摩藩にも、明治政府にも、弾圧された。しかし、その中でかろうじて琉球王国を維持してきた。現代であれば、武力がなくとも、日本国を維持する方法は見つかるのではないだろうか。

 首里城が焼失した。すこしづつ再建が進んでいる。多くの寄付が世界から集まったのだが、51億円もの金額だという。私は政府からコロナで貰ったお金は首里城再建に寄付した。又貰えるなら、首里城に寄付をさせて貰う。

 寄付金は是非とも首里城の平和的施設の再建に使って貰いたいものだ。琉球舞踊を演ずる舞台が望ましい。是非とも世界に誇れるような琉球舞踊を多くの人に観て貰いたいものだ。日本で一番美しい舞踊に違いない。と言うことは世界で一番の舞踊かもしれない。

 琉球舞踊をよみうりランドの民
家園で見せて貰ったことがある。東京芸大に見えていた人達が、演舞してくれた。この時に全く心底感動してしまった。その精神的な凝縮度である。動き一つに込められた思いの深さに、身動きが出来ないほど心を揺さぶられた。

 能の舞台は家元のご子息に絵を教えていたので、良く見せていただいていた。琉球舞踊の動きは、能の影響を深く受けている。私の感じたところでは能にある霊性のようなものとは違う。琉球舞踊はもっと生にの人間の情のような精神を高めたものを感じた。実に崇高な舞踊である。

 能では身体を停止した最高潮の場面で、心拍数や脳波などの活動量は最高に達するそうである。琉球舞踊もそうだと思う。軽やかな体重など全く感じさせない動きのなかに、深い思いを凝縮している気がする。能のすり足とも違うのだが、緊張感は似ている。

 八重山に来て、八重山舞踊を時々観ることがある。こちらはもっと庶民の動きである。これも面白いものであるが、琉球舞踊の持つ精神世界とは少し違う。八重山舞踊は豊年祭などで見せて貰うと映えるもののようだ。琉球舞踊は現代の舞踊としてすごい。

 首里城にこの舞台が作られ、演ずることが続けば、世界に琉球王朝の意味を文化として伝えることが出来るはずだ。文化というものはそういう物ではないだろうか。是非とも城好きのひとは、沖縄の城廻りを楽しんで貰いたい。そして琉球舞踊を観て貰いたいものだ。

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