10年生存率
ガンになった人の10年生存率が55%にまで改善されたと新聞に出ていた。早期発見や新薬の開発などがあって、ガンに対する考え方も変わっている。ふと思うと、私自身の10年生存率はどうなのだろうかとおもった。しらべてみると今67歳だから、77歳まで生きるという意味では70%ぐらいと見ればいいようだ。ガンであろうとなかろうと人間は必ず死ぬことになっている。毎晩一度死ぬ。そして翌朝に再生する。こういう考え方さえあるらしい。明日は死んだままで目覚めないかもしれない。今日はそのつもりで生きることができたか。そう自問するという話に結びついて、聞いたことがある。毎晩一度死ぬという考え方には魅力がある。しかし、本気でこれで死ぬと思ったら、寝つけるものだろうか。まだやることがあれこれあるので寝ている訳に行かないだろう。一日をやり尽くすこと、つまり十二分に今日一日の生命を使い切ることができるという事は、難しいことに違いない。
昭和40年の平均寿命は67歳だったというから、私の歳ではだいたいは死ぬとしたものだったようだ。それが私の中学生の頃の話だから、隔世の感がある。67歳の私がガンになったとしても、平均余命という意味では、人生はそれほど短くはならないという事らしい。今日眠るときには寿命が来るという事ではなく、後17年は平均的にはつまり半分の人は生きているようだ。5今の時代は平均余命としてはまだ17年くらいはあるらしい。50年間に17年も伸びたのだろうか。これは凄いことだ。半数の人が生き残る年齢が寿命中位数ということになると、84歳といという年齢になる。17年生存率が50%と考えればいいのだろう。現実主義者だから、今晩で死んで目覚めないだろうとは思わない。17年間は生きるという事で、計画を立てている。17年のうちあと2年は今までの農業を取りまとめる。農業をやり尽くせる年齢はそのくらいが限界である。そして、70歳になったら絵に専念をする。15年間絵だけをやってみるつもりだ。
石垣島に移住することは決めたのは、その17年をくっきりと生きたいからである。石垣島で暮らすという事になれば、絵を描くことに専念する生活ということになる。70歳になれば、農業のような身体を使う仕事では、納得できるだけ働くことはできなくなる。それであれば、84歳でも普通にやれる絵を描くという事をやり尽くしてみたい。その生きる日々の時間を突き詰めることが充実だと思う。やりたいけどやれないというような気分で過ごすことが嫌だ。そう思うと、田んぼのことや自給農業のことをあと2年でまとめなければならないと考える。あと2年は動けるからだ。死ぬということを明確に意識すると、今やることが見えてくる。今日やることがはっきりしないようでは、明日生きることが、死ぬまでにやり遂げたいことが見えないだろう。
生きていれば、全く雑務が押し寄せてくる。できる限りやりたいことだけをやっていきたいと思うのだが、その前提となる、どうでもいいような、ところがどうでも良くないような雑務としか言いようのない凄まじい我慢の時間が、押し寄せてくる。私にはこれがうまくこなせないできた。受験勉強などというものも、雑務の最たるものだった。学ぶという事は好きではあったが、受験勉強のくだらなさには耐えがたいものがあった。この雑務をこなせんければ、本筋に入れないという仕組みがあるから、仕方がなくやった。今でも時々思い出してしまうのは、この仕方ないというような部分が自分の人生の中にあることが情けない。受験をして大学に行かなければ、やりたいことがやれないと思い込んでいた。全くの間違いだった。確かに大学での日々はやり尽くし感がある。一刻も無駄にしないで使い切った。それ以降はどうだろうか。大体はやりたいことをやるだけだった。それでもいまだ雑務が押し寄せてくる。困ることにはこれが雑務と言い切れないからだ。