泡盛が世界文化遺産になる。

   



 お酒は美味しいと思うし好きである。何故おいしいと思うと改めて書いたかと言えば、父は酒をまずい不味いと言いながら、飲んでいたからだ。そんなに飲むのだからおいしいと思っているのだろうというと、「お酒は、ジュースのような美味しさはない。」とかならず答えた。

 父は糖尿病だったから、できるだけお酒は飲まない方がよかったのだ。家族はお酒を何とかやめてもらおうと思い、美味しくないなら飲まない方がいい頼んだ。というつつも、ウイスキーを毎日一瓶も飲んでいた。家族はお酒をやめるように頼んでいたのだが、結局何度か倒れてお酒をやめざる得なくなった。

 お酒は美味しいと思う。間違いなく好きである。お酒がおいしいのか、アルコールが好きなのかの判断はつかない。どんなお酒でも変わりなくおいしいのだから、アルコールで酔う感じが好きなのではないかと考えた方が的確だろう。
 基本は泡盛である。お隣に八重山最古の蔵元玉那覇酒造所がある。「玉の露」である。玉の露の43度のものを古酒くーす甕に仕込んである。5年間で回るように10くらいの甕に保存してある。クースの方が新酒よりもおいしいくらいは分かる。
 比べるからである。スコッチウイスキーのクース良いものもたくさん置いてある。その方が価格的にはかなり高いのだろう。まとめて買う機会があったのだ。確かに比べると泡盛よりもおいしい。最近日本のモルトウイスキーが評価が高いようだが、飲んだことがない。

 なぜ玉の露しか飲まないと決めたのに、ウイスキーを飲んでしまうかと言えば、泡盛がまだクースにならないからだ。5年は待たなければならない。石垣島に引っ越して来た時始めたので、来年はいよいよ5年クースを飲み始めることになる。
 ついに飲めるのは楽しみであるが、どちらかと言えばクースを仕込んであるということの方がうれしいのだ。並んだ甕を見ていると何か自分まで熟成されていくような気になる。何でもよいものができるためには、無駄な長い時間が必要なのだ。

 クースの方がおいしいのはアルコール分が抜けているだけなのではないかという人がいた。確かにそうなのかもしれないと思う。泡盛は甕に入れて寝かせている。瓶に入れている場合もある。ウイスキーのようにオークの樽に寝かせるというような凝ったことではないのだ。

 怪しいものだと思いながらも、クースは美味しいと思うし、人にも何度も言う。琉球王朝には百年クースというものがあり、これを外交に使った。こんなおいしいお酒を造る人たちは、特別な人に違いないと、認めてもらう手段だったのだ。接待外交である。

 琉球王朝は武力を取り上げられていた。だから空手が生まれた。そして百年クースができて。沖縄古典民謡、古典舞踊が王朝の役職として成立した。すべて平和外交の為に必要とされたものだったのだろう。おもてなし外交である。いま日本が考えなければならない平和外交の前例である。

 中国から、配下の国である琉球王朝には使わされる冊封使というものがある。歓迎の大宴会は琉球王国の外交行事であった。交易が盛んだった琉球王国は、海外のさまざまな文化を融合し昇華させた、独自の〝チャンプルー文化〟を育み、全力で宴会を盛り上げたのだ。

 中国と君臣関係にあった琉球王国では、王の即位に際して、皇帝の命を受けた冊封使が派遣された。数百名に上る一行は約半年間滞在。王府は、国王主催の7つの大宴会「七宴(しちえん)」で歓待した。その場には、王府が中国に派遣して学ばせた料理人による宮廷料理や御用酒である泡盛が並んだ。

 紅型の衣裳をまとっての芸能が披露された。御冠船踊と呼ばれたこの芸能は、王国の重要な外交行事で、担当する踊奉行という役職があった。歌舞は男性だけに許されるものだった。その席に御用酒として100年クースが出されたのだ。

 おもてなしに欠かせなかった100年クースを中国からの使節団は楽しみにしていたことだろう。100年クースは第2次世界大戦の際にすべて爆撃で失われた。100年クースを作るためにはよほど強いアルコール度数のお酒でなければならない。いわゆる60度ある花酒であったのだろう。

 なぜお酒がおいしいかと言えば、酔うからである。酔っていい気分になるからである。お酒が酔わないものであれば、確かにあまりおいしいとは言えない食べ物かもしれない。友達と愉快に酒を飲むというのは実にいい。家で自堕落に飲んで酔うのもまた実にいい。

 泡盛は、平和外交の手段だ。胸襟を開いて酒を飲み交わす。共に酒を飲み、恨みも怒りも飲んで忘れる。こんな庶民の日常を会合にまで広げたのが、琉球王朝である。琉球王朝は武力を放棄した王国である。平和の国だったのだ。1600年代の、流動的な世界情勢の中、巧みに生き延びた小国である。

 琉球王朝は倭寇という武力集団と関係を結んだ国でもある。中国は倭寇に手を焼いていた。そこへ琉球王朝が輸送を引き受けるという意味で臣下の国に名乗りを上げたのである。琉球王朝は中継貿易立国を目指したのだ。中継貿易を確立することにより、琉球国は海洋国家としての立ち位置を獲得する。

 同時に那覇の湊には他地域から多くの商人が取引のために訪れるようになり、外に開かれた国際都市として栄えることになる。発掘調査により14世紀後半から15世紀前半にかけての大量の中国産陶磁器やタイやベトナム、朝鮮半島産の陶磁器といった遺物が出土している。

  大型船が中国で建造され、琉球王朝に与えられている。福建省の崇武千戸所に所属していた軍船である。この軍船は最大乗員数366人であることが考えられていることから、当時としては最大級の軍船を琉球王国は明朝から与えられ、使いこなしていった。

 倭寇にとってこのような大型の軍船を襲撃することはとてもリスクを伴うものと考えられることから、琉球王国の使節を乗せた船は中国大陸沿岸部を航行する際に襲撃に遭わなかった。 倭寇とも琉球王朝は条件付きの特別な関係を持っていたとも思われる。

 琉球王朝の輸出品には馬がある。明国に進貢された献上馬は、1374 年 に始まり 1681 年に終了している。この間、送っ た貢馬数は 5,544 頭とある。中国は軍馬に対して、相当の見識があったはずなので、琉球王朝から馬を輸入していたということは、興味深いことだ。
 宮古馬、与那国馬、トカラ馬など今に伝わる馬なのだろう。当時の琉球馬は今のものよりも大型であったことが分かっている。明治政府は愚かなもので、さらに大きな軍馬を作るために、牡馬すべてを去勢させようとしたのだ。本当に馬鹿だ。その結果数が激減して、小型化した。

 泡盛が世界遺産に認定された。1. 原料に米を使用する。2. 黒麹菌を用いる。3. 仕込みは1回だけの全麹仕込みである。4. 単式蒸留機で蒸留する。インディカ米が使用されている。硬質でさらさらしているため黒麹菌が菌糸を伸ばしやすい。香りや味わいに泡盛独特の風味を出す要因となっている。

 そしてクースを誰にでも作れるという所に、泡盛には魅力がある。酒飲みは飲むまでの熟成期間を眺めて楽しめる。だからクース甕も面白いものでなければつまらない。甕を眺めて楽しみながら、時間を感じながらクースを飲む。世界遺産にはぜひぜひ甕に入れて一〇〇年保存するクース製法を加えてほしい。

 


 

 - 石垣島